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イオ

一日とことん観音寺城(大石垣~伝木村丸) (2022/03/20 訪問)

(続き)

伝池田丸の東斜面にはいくつかの曲輪が広がっていますが、大石垣に下りて行く道沿いに整備された帯曲輪があったので寄り道してみました。観音寺城には無数の曲輪があるとは言え、そのほとんどは未整備で藪の中なので、草木が刈られているからには何かあるのかな、程度の軽い気持ちでしたが、帯曲輪に足を踏み入れると途端に石垣が視界に飛び込んできました。さらに北端の虎口状になったあたりも石垣で固められています。観音寺城おそるべし…。

続いての大石垣では、こんな山中での石垣(石塁)の連続にすっかりハイテンションになってしまい、「おおっ!」とか「すげぇ…」とか声に出しながら見て回っていると、のぼり旗の下に休憩中の先客がいて気恥ずかしい思いをしたりもしましたが、さすがに最大の見どころだけあって、石垣の高さも規模も素晴らしく眺望も抜群で、実に見応えがありました。また、大石垣周辺には女郎岩など巨石がごろごろしていますが、石材を現地調達できればこその大石垣なんでしょうね。

大石垣を堪能した後は、さらに下って伝木村丸へ。伝木村丸の南辺には石塁が設けられ、石塁の西端に埋門があります。伝平井丸の埋門は崩落していただけに、こちらは無事でほっとしました。でも、どちらの埋門も人が出入りするには狭すぎるような…。伝木村丸にも当然のごとく石垣が見られ、東斜面からは竪堀が落ちているようなので行ってみると、竪堀の曲輪に面する部分は石垣で固められていました。大石垣まで来るのであれば、ぜひ足を延ばして伝木村丸も訪れてみて下さい。道中の帯曲輪も併せて、寄り道するだけの価値はあると思います。

伝木村丸から来た道を引き返し、伝本丸と観音正寺の間の分岐を北に観音寺城の最高所を目指します(続く)。
 

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小城小次郎

わりと歩く (2021/11/27 訪問)

四周の石垣に沿って散策路を歩くと中央の礎石群を見逃すため、どんなに効率的に歩こうとしてもどうしても一周半は歩く羽目になる。ビジターセンターまでの車道が狭く険しく感じるのは私だけだろうか。

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todo94

県内の城めぐり2022⑩ (2022/03/20 訪問)

2009年8月以来、13年ぶりの再訪です。冬枯れの季節なので眺望が見事に開け、神之峰城を望むことが出来ました。きれいな公園として整備されており、城址碑は立派ですが、遺構はかなり破壊されてしまっているようです。隣接する鈴岡城の小笠原氏と同族で争ったりするから武田信玄に侵略されてしまうんですよね。信濃国は。毛利氏や後北条氏を見習えと云いたい。

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higekam

八木城の案内板に朝倉城とあり急遽登城 (2022/04/04 訪問)

但馬朝倉氏の一部が越前に渡り下剋上でのし上がったあの朝倉氏となった話は頭の片隅に残っていた。すぐ近くのようなので竹田城に向かう前に登城。100m足らずの山頂にプリン2つを重ねたような単純構造。唯一南に走る尾根筋を堀切でし切るという仕掛けはあった。

いささか拍子抜けの城跡だったが、それでもここで育った末裔たちが越前でやりおったと感慨にふける。

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higekam

本丸高石垣が凄い (2022/04/04 訪問)

三木の干殺しの際、別所氏のなかで一貫して織田信長を支持していたため死を免れた別所重棟。戦後播磨から離れた但馬八木一万石あまりの地を与えられ築いたのがこの石垣らしい。
初めて訪れたときはこの規模に驚いた。しかし、この時は夏場の草木生い茂る時期だったため、石垣をしっかり見るために五年振りに早春の季節に再訪。一部崩落が進んではいるが、やはり凄い。

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ryu

唐津城(2007年) (2007/10/03 訪問)

福岡から地下鉄~筑肥線で唐津駅下車、駅前から歩いて登城。
市役所前の肥後堀~三の丸辰巳櫓(復元)~城内橋を通って唐津城へ。本丸へはエレベーターが設置されていたが歩いて登城する。城址周囲を一周し、舞鶴橋を渡り、城址を遠望。時の太鼓櫓を見る。

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ryu

彦根城で100名城スタンプ (2017/12/02 訪問)

三度目の訪城となるこの日は、観音寺城、安土城を探訪した後、午後遅くに来訪。まずは佐和口多聞櫓の開国記念館で100名城スタンプを押して天守へと急ぐ。人気のお城で天守内部はいつもは混雑するようだが、この時間帯ともなると見学者も少なく、天守内部をじっくり見学できた。天守が夕焼けに赤く映えて美しい。閉館間際の西の丸三重櫓内部もギリギリ見学できた。

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ryu

彦根城(2007年)(2) (2007/08/06 訪問)

伊吹山登山にあわせた訪城。(2)

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ryu

彦根城(2007年)(1) (2007/08/06 訪問)

伊吹山登山にあわせた訪城。
この時は築城400年祭開催期間中だった。
いろは松~埋木舎(月曜休館)~佐和口多聞櫓~馬屋(特別公開)~天秤櫓(特別公開)~太鼓門櫓~本丸~着見台~天守閣~西の丸三重櫓(特別公開)~黒門~楽々園~玄宮園~開国記念館~表御殿(彦根城博物館)~表門~大手門~京橋~(夢京橋キャッスルロード)~中濠経由~いろは松と見て回る。

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橋吉

運動公園 (2022/03/26 訪問)

松山城は平清盛の弟、頼盛の孫である重頼によって築かれた城です。
戦国時代には島津氏や肝付氏などによって激しい戦乱の舞台となりました。

城跡に道の駅が建てられていると聞いて行って見ました。

城郭風の建物です。
ディキャンプできそうな広場がありましたが、城の遺跡は見当たりませんでした。

谷を挟んで隣にある運動公園に移動してみました。
ここは二の丸跡のようです。

櫓の跡かな?
残念ながら通行止めになっていて、登ることはできませんでした。

ようやく見つけた遺構
堀切の跡だと思うのですが・・・

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ぴーかる

高室山城 (2022/03/12 訪問)

【高室山城】
<駐車場他>佐目自然公園駐車場<35.205985, 136.340579>無料15台程度/駐車場(十二相神社・十兵衛屋敷跡)あり。
<交通手段>車

<見所>石垣・土塁
<注意>私の投稿時点の個人サイトの方々の高室山城の案内は全部南端の出曲輪辺りを主郭としていて間違っています。Googleマップで「高室山城」と打込むと石垣の載った正しい写真と位置(城びとポイントも正しい)が出ますので位置情報と照合しながら攻めましょう。

<感想>城びと初投稿いただきます。高室山城は築城年・築城者は定かではなく、麓の十二相神社前に十兵衛屋敷跡という場所があり、城びとの情報では明智氏?としている。
 高室山はハイキングコースになっており私が来城した時間には多くのハイカー達がちょうど下山していました。高室山登山口の矢印板の所から登ります。そこそこの急な尾根をまっすぐ15分程登ると最初のピークが見えます。削平地に出て中心辺りに浅い堀切があります。個人サイトの方々はここを主郭としているようですが小さすぎるのでここは離れた南端にある出曲輪のようなものかと思われます。
 出曲輪と思われる所から一旦下ってさらに先に進みます。出曲輪から20分程登ると巨石が多くなり山肌が拳大程の石で覆われた所(添付写真)に来ますのでもう少しです。つづら折れに少し登ると石垣が見え到着します。
 城跡は南北の細尾根を削平地にして両サイドは急な谷になっています。曲輪は大きく2つに分けて北の曲輪は岩場で出来ていて狭いです。下段の主郭とは巨石の岩で仕切っています。南側の石垣のある広めの削平地が主郭のようで南端の石垣は曲輪壁ではなく虎口か櫓台の石垣のように感じました。城跡の最北に岩場のピークがあり、ここは鬱蒼としており、そこから北は急に下がって谷の土橋になっていました。どうやらここまでが城跡のように見えたのでここから先の高室山頂の方には行きませんでした。城跡手前の拳大の石群は急に現れてくるので防御の為の石積壁か投石用の集めた石積みが崩れたものかもしれないと感じました。

<満足度>◆◆◇

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前ちゃん

五大山城 (2022/04/05 訪問)

18切符の旅のため、早く帰りたかったので朝駆け。
ルートインホテル七尾を7時にでて、お城そばの資料館に7時40分着そのまま登城。大手道に沿って歩き、分岐は安寧寺跡から三の丸、二の丸、桜馬場、本丸へ。朝飯(オニギリ)後、調度丸から下山。資料館でスタンプ押下後、七尾駅11時21分発で帰路。乗り継いで18時30分新大阪着

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前ちゃん

奥村助右衛門と佐々成政の攻防戦 (2022/04/04 訪問)

花の慶次ファンは立ち寄ってほしい
JR七尾線、宝達駅から歩き、国道沿いを北に歩くと看板(駐車場)が、登城後は、敷浪駅まで歩き七尾へ

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やなぎぶそん

日本最大級の城郭建造物 (2021/05/04 訪問)

これだけ規模が大きい城郭建造物は見たことがありません。
しかも1000年以上経っても残っているのはすごい。
一見の価値ありです。

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カズサン

【越前大仏】福井県勝山市 昭和62年落慶の大仏 (2010/05/15 訪問)

 越前勝山城博物館の探訪を終えて隣接の越前大仏を参拝しました。

 住所:福井県勝山市片瀬50-1-1  駐車場は大型の専用駐車場が併設

 ここも勝山城博物館を建てた勝山市出身の多田清氏の建立で昭和62年5月28日に落慶した清大寺、奈良の東大寺大仏より2m程高い大仏毘盧舎那如来で洛陽市郊外の龍門石窟にある龍門奉先寺坐像をモデルとの事、高さ17m、台座から28m、脇佛も10mの高さで左右に2体ずつ菩薩像と羅漢像の立像、大仏殿に納まって居ます、壁面には小さな仏像が一面に納められています。
 境内には大門左右に仁王像、中門、大仏殿、回廊が繋がり山手奥に五重塔の概略構成です。
 大仏様脇仏様壁面に納まった仏様(1m程は有ります)見事な造りです、建物も大仏殿中門大門回廊五重塔と壮大な造りです。

 現在宗教法人前の固定資産税滞納問題で観光客参拝者は少なく寂れた様子に成ってるそうです。しかし一見の価値はあると思うのですが?

 ここで福井城、復元舎人門、復元廊下橋、本丸巡り、北ノ庄城、一乗谷城朝倉義景館、勝山城博物館、越前大仏日帰り探訪は終了しました、北陸道米原経由名神東名で帰路へ、天気良く良い探訪でした。

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トク

九州の桜2022⑤(最終回)-平戸城 (2022/04/03 訪問)

桜も散り始めてきたので、最後はまた平戸城に行く事にしました。桜の写真と前回訪問時(2022.01.13投稿)に撮り忘れた、天守最上階よりの絶景を掲載します(2022.04.03撮影)。今回は平戸城の他に、松浦資料博物館・平戸オランダ商館なども見学しました(いずれも平戸城から徒歩圏内(15―20分程)ですので平戸城と一緒に見学される事をオススメします)。

全5回読んでいただき、ありがとうございました😊。
 

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イオ

一日とことん観音寺城(伝平井丸~伝池田丸) (2022/03/20 訪問)

(続き)

伝三の丸を抜けると右手に伝平井丸の石塁が見えてきます。石塁が一部崩れていたのでよく見てみると、埋門の上部が崩落して埋門の体を成さなくなっていました。下調べで見た写真ではかろうじて遺っていたんですが…近年に崩落したんでしょうか。埋門の先には巨石を駆使した立派な虎口があり、石段を登って伝平井丸内へ。曲輪内には石碑や墓石が建てられており、北西奥には上段に続く虎口がありました。また、西辺外周にも見事な石垣がめぐらされています。

伝平井丸から伝池田丸に向かう道沿いにも低い石垣が続き、石垣に設けられた虎口から曲輪内に入ってみると、周囲を土塁がめぐり、西辺の土塁外周には石垣が設けられていました。伝本丸や伝平井丸ならともかく、こんな名前もわからないような小さな曲輪でまで立派な石垣が見られるとは、観音寺城おそるべし…。

さらに南に進んで伝池田丸に到着。伝池田丸は西辺から南辺、南東辺にかけてぐるりと石塁で囲み、北西部に虎口が開口しています。南部には石組みの貯水施設も見られ、伝本丸、伝平井丸、伝池田丸の発掘調査で礎石建物跡や庭園跡、輸入陶磁器などが確認されていることからも、山上の曲輪群が生活空間であったことが窺えます。

続いては、伝池田丸の東下に広がる曲輪群と大石垣に向かいます(続く)。
 

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のり巻せんべい

帯曲輪 (2022/04/04 訪問)

明智城の大手道に防御する為の地形が少ないと感じていましたが、
大手道の中間位置付近の左側の切り岸の上方に帯曲輪が有ると
案内板が立ちました、左上方に人工的な平な所が100m位に渡り
大手道に沿って有る様に見受けられます。

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じゅんじん

永福寺 (2022/03/06 訪問)

茅葺の寺門がいいね。本堂奥のお墓が主郭とか。断崖絶壁でした。

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じゅんじん

諏訪神社 (2022/03/06 訪問)

遊具があり家族連れがあそんでました。二の曲輪が太陽光😢。道中は細いので注意してください。

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