ここは案内無しでは入口にたどりつかない感じです。
築城時期や城主は不明です。
少し登ると広く深い藪、ではなく空堀に出ます。
かなり広く、写真には収まりません。
主郭には虎口があり、土塁が周回しています。
北西部には櫓台があり、大日様が祀られています。
主郭はほぼ竹藪になっていますがかなりの広さがありました。
城主も定かでないマイナー城でこのクオリティ。
常陸の城の奥深きを感じました。
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2023/03/20 21:41
大日山城 茨城県龍ケ崎市 (2023/03/04 訪問)
ここは案内無しでは入口にたどりつかない感じです。
築城時期や城主は不明です。
少し登ると広く深い藪、ではなく空堀に出ます。
かなり広く、写真には収まりません。
主郭には虎口があり、土塁が周回しています。
北西部には櫓台があり、大日様が祀られています。
主郭はほぼ竹藪になっていますがかなりの広さがありました。
城主も定かでないマイナー城でこのクオリティ。
常陸の城の奥深きを感じました。
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2023/03/20 16:48
2023/03/20 06:18
2023/03/20 01:45
2023/03/20 01:23
織田信長公生誕の城 (2023/03/19 訪問)
石碑と案内板がありますが、それ以外は、特にありません。
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2023/03/20 01:16
夜 (2023/03/18 訪問)
四時半を、すぎると、お城の敷地内には、入れません。初めての知りました。仕方がないので、遠くから、天守閣を、撮りました。
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2023/03/20 01:12
豊田市美術館の中 (2023/03/18 訪問)
豊田市美術館の敷地内にあります。
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2023/03/19 22:15
三刀屋城 (2023/02/25 訪問)
【三刀屋城】
<駐車場他>駐車場<35.292615, 132.871607>あり。
<交通手段>車
<見所>切岸・櫓台石垣
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅2城目。第三の城、三刀屋城は1221年に三刀屋郷の地頭職に任じられた諏訪部扶長が築城したと伝わります。扶長の末裔が三刀屋氏を称します。戦国時代には城主の三刀屋久扶は尼子氏⇒大内氏⇒尼子氏に帰参⇒毛利氏に帰属します。1588年に毛利輝元に随行し上洛した際に徳川家康と面会し輝元から嫌疑をかけられ、領地没収追放されます。関ヶ原後は堀尾氏が入城します。石垣を改修しましたが一国一城令により廃城となったようです。
山頂の少し手前の駐車場となっている曲輪跡まで車で上がれます。駐車場上段のトイレのある場所も曲輪跡、駐車場の下段の曲輪が馬舎跡の曲輪は巨石石垣の曲輪壁、その下段が馬場曲輪、谷を利用した深い堀切がサイドにあります。駐車場から山の山腹に入り奥に進むと、主要部を仕切る堀切があります。主要部の三刀屋川側は高い切岸になっていて木が伐採され見応えあります。主要部は北東側に石垣跡の残る櫓台跡、中心に主郭、主郭は南西の二の丸と仕切り石垣で仕切っています。櫓台のさらに北東は段差のある連郭があり、端に深い堀切があります。崖がきつく広大な削平地が取りにくいので私の考えでは堀尾氏が本拠地にしようとしていたとは考えにくい。
<満足度>◆◆◇
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2023/03/19 17:21
神君出生の城 (2023/03/04 訪問)
岡崎城は龍頭山山頂に本丸が置かれた平山城として築かれましたが、1600年から本多康重公から3代忠利公までの約5年にわたる改修により平城となっています。
本丸の北方に持仏堂曲輪、その北方下に二の丸、その北に北曲輪、二の丸の東側に三の丸と東曲輪、その東に備前曲輪と大手門があった浄瑠璃曲輪、本丸と二の丸の西側に坂谷曲輪、その西に白山曲輪、本丸から北に6重、西に4重の外堀を巡らしていたとのことです。
岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、代々の本多氏、水野氏、松平氏、本多氏と家格の高い譜代大名が城主となりました。石高は5万石と小石でしたが、各大名は岡崎城主となることを誇りとしたと伝えられます。
この日、「どうする家康」で賑いを見せる松平氏館→大給城→岡崎城と巡ってみました。特に岡崎城は、岡崎城リニューアルオープンと松潤効果が重なり凄い人出となっていました。これから桜が咲く季節→藤の花が咲く季節と移り行き更に人出が増すことと思います。
岡崎城も素晴らしいですが、桜→藤の花も素晴らしいので、是非行かれることをお勧め致します(*^▽^*)
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2023/03/19 12:19
桜が咲いてます🌸 (2023/03/19 訪問)
今日は天気も良く、岡崎公園は賑やかです。家康公像付近の桜は満開でキレイです。
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2023/03/19 11:31
葵とコアラ。 (2023/02/04 訪問)
第一次国府台合戦で北条方が布陣した「松戸城」。
「葛西城」から国道6号を通り、到着した「松戸城」は『戸定ヶ丘歴史公園』がお城跡のようです。
『いざっ』と攻め込むよりも、『お邪魔いたします』と、おごそかな雰囲気でした。
『戸定邸』があり、15代将軍 徳川 慶喜さんの弟 昭武さんが建てたそうです。
昭武さんは水戸藩主でもあります。
2021年の大河ドラマ『晴天を衝け』では、パリでの昭武さんの 日本を背負った立ち振舞い、感動しました。
『戸定邸』から富士山が見え、徳川の世が終わった後に昭武さんは、どのような気持ちで眺めていたのでしょう?
国道 6号は水戸街道(旧水戸街道も近くにあります。)で、実家にも続く道。なぜか、暗い気持ちになりました。
たぶん、ドラマ内で昭武さんが『日本に帰るのが怖い』みたいなセリフが印象的だったからかもしれないです。
あれ、「松戸城」は?
庭園をぐるっと回り、郭だったかも。
と、きれいなお庭に乏しい想像力です。
考え込むばかりで、写真を写してない事に気が付き屋根の『葵の紋』を写しました。(暗くて写ってませんが、、、)
『小さい頃、水戸黄門で葵の紋を知ったんだよな』と、また考えが昭武さん寄りに。
因みに、昭武さん役の方、『どうする家康』では、井伊 直政さん役です。
帰りの駐車場近くで『コアラのマンホール』を見つけました。なぜ?
幕末から明治時代と、オーストラリアの事が気になってしまった「松戸城」攻めでした。
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2023/03/19 09:29
谷全体には何が埋もれているのだろう (2022/11/12 訪問)
筑紫氏「三代」(満門、惟門、広門かなあ)が居住したと伝わる館。谷の最奥部にある居館と家臣団屋敷を勝尾城と砦群がぐるっと取り囲む光景は壮観で、もしかしたら一乗谷みたいなものが谷全体に埋まっているのかもしれない。
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2023/03/19 09:01
2023/03/19 08:50
2023/03/18 22:04
松潤だらけの二日間 (2023/02/23 訪問)
連休を利用して大阪方面に行く予定でしたが雨予報のためぎりぎり大丈夫そうな浜松に行ってきました。
最初は二俣城&鳥羽山城です。
掛川から天竜浜名湖線を利用。松潤ラッピング車両には乗れませんでしたがなかなか斬新な面白い車両でした。
二俣城へ行くには二俣本町の方が近そうでしたがコンビニに寄りたかったためひとつ前の天竜二俣で下車。駅自体が観光名所のような雰囲気でした。案内所で資料と「どうする家康」のパンフレットをいただいて、ファミマで兵糧調達、徒歩で城址に向かいました。
旭ヶ丘神社の石段から登城しましたが、いきなり天竜川までずどーんと落ちる竪堀に迎えられ、よき日になりそうな予感がしてきます。
喰違いの北虎口から入ると土塁に囲まれた方形の本丸。天守台が気になりますが直行せずに大手口にまわり、改めて入りなおしました。大手門石垣の左右の違いが印象的でした。
野面積みの天守台はこの城の象徴的な遺構でとても個性的なのですが、風景と一体となり、なりをひそめているようにも見えました。
神社のある北曲輪から駐車場の方まで下りて縄張りの大きさを体感し、戻って二の丸をじっくり歩き石垣観察。かなり崩れていますがまだまだがんばっている子たちもいます。稲荷神社の土塁から蔵屋敷との間の堀切を眺め、導かれるままに坂を下っていくと西曲輪を経て天竜川まで出てしまいました。しかしまだ蔵屋敷や南曲輪を見ていません。再度登って二の丸に戻りました。まあまあ無駄な動きですが、無計画に効率悪く歩くのも嫌いではありません。
蔵屋敷は整地されたばかりのようでとても見やすかったです。奥の土塁内側の石垣もいい感じでした。南曲輪は藪っぽかったので一度は引き下がったのですが、後々悔いが残りそうなので引き返して突入してみました。なかなかの倒竹ぶりでしたがみなさま方の残された踏み跡がしっかりとありましたので堀切を越え一歩踏み込んで来られました。その先はもう一歩も無理でしたが、こんな風に手つかずで残っている部分があるのも面白味があってよかったです。
西の郭には滑り台がありました。現地案内板にはポニーや砂場の表記もあったのでこの一画は児童遊園のような整備がされていたのかもしれません。滑り台の奥には何かあった気配がたちこめていましたがとても素人が踏み込める雰囲気ではありませんでした。少し下ると四阿のある水の手曲輪。本丸天守台裏からも天竜川を覗き込めましたが、このあたりに井楼を組んでいたのかと思うと城のリアルがぐっと感じられます。「どうする家康」に合わせて読みすすめている本(写真⑩)に川の流路が変わっていることや水の手が複数あったことなど興味深いことが書かれていたので、時間をかけてじっくり学んでいきたいです。
カズサンさんのご投稿を拝読するともっともっとたくさんの見どころがあるようで興味は尽きませんが、ベストなタイミングで行くことはなかなか難しいのでお写真で楽しませていただいています。これからもよろしくお願いいたします。
→鳥羽山城に続く
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2023/03/18 17:48
登城山城 茨城県龍ケ崎市 (2023/03/04 訪問)
満願寺の周辺が城跡です。
お寺の入口がすでに堀切でここも曲輪の跡であることがわかります。
お寺の奥にも堀切があり、その先に二郭、主郭と続きます。
主郭と二郭の間には綺麗な堀があり、これまた綺麗な土橋がかかります。
お寺の方が整備されているのだと思います。
尼広さもなく単純な形の城ですが遺構が良好に残る良い城でした。
ただしここまでの道は狭く、注意が必要です。
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2023/03/18 16:31
2023/03/18 16:25
但馬 山名氏を支える国人の城を巡る (2023/03/05 訪問)
但馬 山名氏を支える国人の城を巡るシリーズの最後に八木城を持ってきました。頭抜けています。とは言いつつ、八木氏は、織田軍に滅ぼされて、配下の別所氏らが改修したものですが。
城びと先人が書いておられるように、奥の八木土城もとてもよいです。麓の説明板に、「土城への登山道はありません」と書かれてますが、くぬぎの落葉が深く積もって急斜面の下りがちと滑りがちなくらいで、問題ありません。
城びと先人が未投稿の説明板があったので写真をアップしました。先に投稿した朝倉城は、八木の谷の入り口にあり、八木城の支城として、機能していたと説明板にありました。八木城から朝倉城が見えます。
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2023/03/18 14:07
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