たんなんじんや

丹南陣屋

大阪府松原市


旧国名 : 河内

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来迎寺 (2023/08/26 訪問)

 来迎寺に石碑と説明板があります。
河内松原駅よりバスに乗り岡バス停下車、徒歩2~3分です。

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ぴーかる

丹南陣屋 (2021/05/29 訪問)

【丹南陣屋】
<駐車場他>来迎寺駐車場あり。
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第3弾2城目。高木氏の高木清秀は相模国海老名9千石を領していたが、家督を子の高木正次に譲り正次は1623年大坂城番任命、千石加増と河内国丹南移封により1万石の大名、丹南藩を立藩する。明治維新まで高木家が治めるが6代目から幕末の引揚げまで領主は江戸定府となりこの地には住んでいない。
 丹南陣屋は来迎寺の西側にあったようで、現在は企業の工場、宅地になっていて遺構はない。来迎寺山門前に石碑、説明板、来迎寺内の墓地に高木正次の墓があります。

<満足度>◆◇◇

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イオ

高木正次と来迎寺 (2019/06/06 訪問)

丹南陣屋は、現在は宅地化されており遺構はありませんが、陣屋西隣の来迎寺の山門前に石碑と説明板が設けられています。

来迎寺は、大坂夏の陣で焼失したのを丹南藩初代藩主・高木正次が再建し菩提寺としたもので、境内の墓地には代々藩主の墓が祀られています。
また、高木正次は徳川十六神将に数えられる高木清秀を父とし、徳川家の数々の戦いに従軍した武功派ですが、大坂夏の陣では真田信繁隊と激戦を繰り広げ、その際に分捕った信繁所用とされる手桶と柄杓が来迎寺に伝えられています。
 

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todo94

リベンジ (2016/10/15 訪問)

これまた2014年3月のリベンジです。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 高木正次
築城年 元和9年(1623)
主な城主 高木氏
遺構 消滅
再建造物 石碑、説明板
住所 大阪府松原市丹南町
問い合わせ先 松原市教育委員会事務局生涯学習部/地域教育振興課
問い合わせ先電話番号 072-334-1550