古墳を利用した城で厳島神社が跡地とのことです。前方後円墳の後円にあたる部分が厳嶋神社のようです。堀が残っています。境内にある厳嶋神社縁起には一津屋城の記載がありますが、それによると松原第七中学校あたりの本城があり、その出城であったと書かれていました。
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2023/08/26 21:31
2021/05/30 09:58
一津屋城 (2021/05/29 訪問)
【一津屋城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>バイク
<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第3弾1城目。一津屋城は現地の縁起板によると、ここは一津屋古墳という古墳で、南北朝時代に楠木氏の一族和田氏の砦として機能していた。戦国時代には三好氏の出城としていたらしい。
現在は厳島神社となっており、後円部に本殿、その裏手に周濠の一部が残っていてその他はほとんど宅地化されていて城の痕跡はおろか古墳跡も僅かに残るだけとなっている。所在地は松原市だがほぼ古市古墳群エリアにあり、城びと登録のある高屋城や小山城等の古墳を利用した城だったのあろう。
<満足度>◆◇◇
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2019/09/30 23:46
2019/06/21 17:37
古墳にコーフン (2019/06/16 訪問)
近鉄南大阪線・恵我ノ荘駅から北に歩いて10分あまり(駐車場はありません)、現在の厳嶋神社のあたりが城域であり、南北朝期には和田氏が、戦国期には三好氏がこの地にあった古墳(一津屋古墳)を城として活用したと伝わりますが、織田信長が三好氏を破って河内を平定したことに伴い、廃城となったものと思われます。
厳嶋神社の縁起によれば、社殿があるのは古墳の後円部とのことで、参拝した後、社殿の裏手に回ってみると、社殿を円く取り囲む水堀が! 登城時には「神社が城跡」くらいの予備知識しかなく、あまり期待していなかっただけに、思い掛けず水堀を発見してテンション大幅UP! 古墳を城、周濠を水堀、東側を流れる東除川を天然の要害とした往時の様子を想像しながら、楽しく散策することができました。
…と言っても、帰ってから見てみると、城びとの城郭情報の遺構欄にもちゃんと「堀(周濠)」と書かれていますし、古墳の周囲に周濠がめぐらされているのはごく普通にあることなので、思い掛けずも何も、単なる下調べ不足なんですけどね。
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分類・構造 | 平城(古墳利用) |
---|---|
築城主 | 三好氏? |
築城年 | 戦国時代 |
主な城主 | 三好氏 |
廃城年 | 天正3年(1575)? |
遺構 | 曲輪、堀(周壕) |
住所 | 大阪府松原市一津屋5-8-9(厳島神社) |
問い合わせ先 | 松原市教育委員会事務局生涯学習部/地域教育振興課 |
問い合わせ先電話番号 | 072-334-1550 |