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カズサン

【掛川埋蔵文化財センター】静岡県掛川市 ミニ企画展見学 (2023/08/28 訪問)

 「発掘された掛川の城郭」と題して掛川埋蔵文化財センター展示室でミニ企画展が、NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送に合わせて開催されています。
 住所:静岡県掛川市千羽986 駐車場:埋蔵文化財センター横に完備、トイレはセンター内部利用
 車では国道1号線バイパス千羽ICを出て北に県道270号線を約1.3km程の右手を入る。

 発掘された掛川の城郭の紹介は、掛川城、掛川古城、高天神城、横須賀城と徳川家康の掛川城攻城戦の付城砦群の中で杉谷城、殿谷(高藤)城、家康の高天神城攻城戦の付城砦群から中村砦が展示パネル、発掘遺物と共に展示されています。
 1時間滞在しましたが狭い室内ですがパネルの内容を読んだり、遺物を見たり観察したり大変有意義でした、ただし杉谷城は東名掛川ICの建設工事、同地区の住宅、商業施設開発で小山が削平され消滅していますので、発掘調査報告書が唯一杉谷城の在った証拠資料です。
 
 展示室の残り半分は掛川市の縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良平安鎌倉時代の発掘遺物復元と解説パネルで展示されています、6000年前の縄文時代遺物、遺跡に思いを馳せるのも良いものです。
 掛川中心街から北東の山中ですが森林に囲まれて里山の雰囲気満々です。

 また、掛川市では今回のNHK大河ドラマ「どうする家康」に合わせて、徳川家康の掛川城攻城戦のシンポジウムが開催されて、講師の日本城郭協会理事加藤理文さん、静大の小和田哲男さん、大石泰史さんの講演内容資料PDFが掛川市HPで公開されています、興味の有る方はご覧ください。
 また、徳川家康の高天神城攻防戦のシンポジウムも開催されて講演内容PDFで公開されています、講師は加藤理文さん小和田哲男さん平山優さんです。
 
 

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todo94

ゴールデンカムイ最終決戦の地 (2023/08/09 訪問)

松前から函館に戻って、まずは五稜郭前のあじさいにて遅めの昼食をとりました。中国人がたくさんいましたが、さほど待たずに塩ラーメンにありつくことができました。20タワーズスタンプラリーからは足を洗ってしまっていますが、五稜郭タワーからの俯瞰は外せません。大学4年の夏休みに初めて訪れた時の古いタワー、2006年には新旧2つのタワーが並び立つ写真をとってありましたので投稿しておきます。今のタワーの半分くらいの高さしかないので眺望は今一つでした。函館奉行所も一通り見学してその前の売店では月寒アンパンも購入してしまいました。6個入りの袋のキャラは、杉元、アシリパ、白石、尾形、月島、鯉登で、エスコンフィールドのスタンプラリーと全く同じでした。五稜郭近くの丸井今井で開催されていたゴールデンカムイ展も見てきてしまいました。入場料1,800円。Tシャツも買ってしまったので五稜郭タワー、函館奉行所とあわせると出費は総額で10000円を軽く超えてしまいました。

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あみりん

見晴らし良好河後森城跡! (2023/08/28 訪問)

夏満喫のこの季節の登城は汗だくでした。
第十曲輪跡、続100名城スタンプをいただく為小高い山登りでした。古井戸の跡を見ながら更に上へ〜。
夏草とアブや、蜂がいて虫避けスプレーは必須です。
景色は最高。

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にのまる

③蛇尾の石垣 (2023/06/24 訪問)

太鼓櫓の後背に、東に向かって細く長く延びる林が見えます。
この林の反対側(外側)が、杉の木の伐採によって全容を現した蛇尾堀の石垣です。
今回いちばん楽しみにしていたところなので、バイパス方面に向かって歩きながらもドキドキしてきます。

角を曲がると少し崩れた積み石が目に飛び込んできました。石の抜け落ちているところからは裏込石が覗いています。
逸る気持ちを抑えられずに正面にまわってみるとがっちりと組まれた算木積み。伐採された木の切株が食い込み気味に接しているようにも見えますが、少しも揺らいでおらず今でも現役そのものといった風格を備えています。

その先に続く長大な石垣の見事さよ!
北を流れる阿武隈川と同じ流れを為すかのようなしなやかさとしたたかさ。
以前の姿を知らないながらも、驚天動地とはまさにこのような光景を指すのだろうと心の底から納得。もう目が釘付けです。
全貌を視界に捉えようとギリギリまで後退してみました。目の揃った布積みの美しさはまさしく小峰城の石垣です。
近くまで寄ってじっくり観察し、すりすりしたい衝動に駆られますが、蛇尾堀跡にはフェンスが張られており近づくことはできません。しかし離れたところから見てこその石垣という気もしますし、近づけない故に感じるオーラもあります。通り過ぎてしまうのがとても惜しかったです。
(耳より情報!石垣ビューのベストポイントに売地が出ていました☺)

ふと右手を見ると三重櫓が聳え立っているのが見え、我に返りました。
<つづく>

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しんちゃん

手に入らなかった天下の代わりに築いた小さなユートピア。‥だったのか? (2023/05/02 訪問)

大阪の陣終結後、織田信雄は大和国宇陀郡3万石と上野国甘楽郡2万石を領し、
甘楽の地に陣屋を築きました。雄側の東岸の御殿跡と庭園が楽山園として整備され
現在も公開されています。陣屋はこの楽山園の周辺に築かれていたようです。
表御門(大手門)を境に南へ約760m、東西は雄川と雄川堰に囲まれた約600m
面積は約34ヘクタール(34万平方m 東京ドーム約7個ぶん)に及び
藩邸、64の藩役所、武家屋敷と二つの神社を備えた広大なもので、各所に小堰が
分配されていたそうです。陣屋というよりは、小さなユートピアのようですね。
平和が一番ってことで。
補足‥ちょっと平和ボケが入ってました。周囲を川に囲まれ各所に水を引いていたということは
それなりの防御力を備えていたということです。北東の小幡八幡宮を詰めの城と考えれば
いざという時の備えは怠っていなかった様子。案外趣味と実益を兼ね備えた城塞だったのかも
しれません。この広さは城ですよね。牧歌的なビジュアルに騙されましたかね?

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シェル

市街地に堀切が残っていた!! (2023/08/19 訪問)

真岡駅から真岡鐵道で南下し 下館二高前駅で下車 徒歩約12分(下館駅からは徒歩約17分)
下館城は、平安中期に藤原秀郷が築いたと言われ、戦国時代には、結城氏の重臣 水谷氏の居城となり、江戸時代は下館藩が設置され、明治に廃城となりました。
本丸跡は、八幡神社になっており、鳥居の脇に下館城址の碑と下館城の案内板が設置されています。
遺構は、ほとんどが市街化により失われていますが、本丸から八幡神社前の二車線の道を北に進み、洋服屋さんの北東側に堀切が残っていました!!
位置的には、出丸と本丸の間の堀切だと思われます。
変わって八幡神社と下館小学校の間の道は、かつての本丸と二の丸の間の堀跡であり、現在も堀の名残りが残っています!!

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ぴーかる

井上城 (2023/07/22 訪問)

【井上城】
<駐車場他>神明神社駐車場<35.299178, 136.874953>に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾6城目。現地説明板によると井上城は1394~1441年には城主が有馬主殿正として城があったとされています。嘉吉年中(1441年~)は城主が重松主水正になったとしています。また戦国の城というより館程度の建造物があったのではないかと記述しています。
 現地には遺構は残されていないようで土塁跡のような盛り土の上に城跡碑と祠があります。

<満足度>◆◇◇

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刑部

清洲会議の城 (2023/08/11 訪問)

ここは、初めて来た?何度か新幹線で城址の中を突き抜けてたからどうなんですかね?最寄りの駅から徒歩で約15分縄張りに入りウロウロそして天守へ。
今日も暑くてしんどい中、城址公園を探索しました。

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しんちゃん

関東管領の居城跡 (2023/05/01 訪問)

平井城は関東管領上杉氏のかつての居城で城址公園として整備が進められていますが
とにかく石碑やパネルがたくさんあります。本丸部分が整備が進められていて
県道を挟んで西側の二の丸とその南の笹廓は宅地になっています。かつての
本丸は県道沿いに底辺を合わせた五角形の形状をしていて東西北側に土塁が囲み
その外側と南西側に堀を巡らせていたようです。南東側は鮎川に面し崖が切岸の役割をする
天然の要害でもあったようです。パネルにある主郭保存計画の俯瞰図もそれにそった内容に
なっていますが川沿いの部分はまだ整備が進んでいない様子。
平井城は永享10年(1483)に勃発した永享の乱に際し、関東管領上杉憲実が総社(蒼海)の長尾忠房
に命じて築城したとする説と、応仁元年(1467)に上杉顕貞が築城したとする説があるようです。
いずれにせよ天文21(1552)北条氏に攻められ落城するまで、関東管領上杉氏の居城として
機能したとされています。

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しんちゃん

移築陣屋門あります。 (2023/05/01 訪問)

伊勢崎陣屋は譜代大名稲垣長茂によって慶長6年(1601)に築かれました。
二代重綱の代に転封となり、酒井忠世が封じられましたが、忠世が本家の
前橋藩を継いだので一時廃止になりましたが、60年余りして酒井忠寛が2万石で入り、
本家の転封により姫路藩の分家として陣屋が再建され、9代忠影の時に明治維新を迎えました。
陣屋跡は現在は市立北小学校になっています。すでに遺構は消失していますが広瀬川にかかる
栄橋を渡り対岸から見やると、往時の雰囲気を幾分か感じることが出来ます。
小学校の目の前に市の重要文化財の旧時報鐘楼があり、なかなか良い味を出しています。
北に300~400mほどの所にある同聚院に武家門(陣屋門)が移築されています。

同聚院の武家門
群馬県伊勢崎市曲輪町
36°19'30.6"N 139°11'33.5"E
36.325156, 139.192638

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92

館山城(草刈り中) (2023/08/28 訪問)

草刈り中でした。天守前に軽トラ

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ノボル

皆川城跡 (2023/08/27 訪問)

次は涼しくなったら再訪問します

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とっち

残暑厳しい中、越後の名城へ (2023/08/26 訪問)

麓の埋蔵文化センターや、ものづくり館で情報収集してから登城しました。
上杉謙信公立像まで車で行く事ができ、売店もあるので飲み物を補給してから登るのが良いと思います。
登城路も整備されていて、想像以上に登りやすかったです。
巨大な土塁や堀はありませんが、各郭に景虎屋敷や柿崎屋敷、景勝屋敷が配されています。
本丸から直江津方面の眺めは最高です。

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トク

65【関ケ原の26人】(23)石田三成 (石田三成と名護屋城②) (2023/08/20 訪問)

(23人目)石田三成(名護屋城①)の続きです。
名護屋城から3km南にある「石田三成陣跡」を訪れてきました。

石田三成陣跡は標高103mの山上にありました。県道23号線に標識があり(写真①)、そこから三成の陣跡の近くまで入れますが、現在は私有地(果樹園)になっていて、猪など害獣よけの電線なども張り巡らされていたため中には入れず、外から眺めてきました(写真②)。すぐ近くには結城秀康の陣跡や立花宗茂の陣跡がありましたがいずれも柵があり立ち入りはできませんでした(写真⑤)。

名護屋城の本丸から呼子町の方向を見下ろすと、徳川家康の陣跡が見えました(写真③)。いつかは150以上あるといわれるこれらの陣跡を全て巡ってみたいな~と思いました(MAP写真④)。


【余談1】トークライブショー
私の「石田三成と名護屋城」の投稿が功を奏しNHKを動かしたのか? それともたまたま偶然か?(たぶん偶然だろう🤔)、なな何と! 9月23日この名護屋城博物館で、どうする家康で石田三成を演じる中村七之助さんと平山優先生によるトークライブショーの開催が決定しました!(入場券は抽選なので当たればいいな~😊詳細はNHK佐賀のHPで)。

【余談2】夕陽の見えるキャンプ場(島津義弘陣跡)
この名護屋城から3km北の波戸岬海岸には島津義弘の陣跡があり、そこは今ではキャンプ場になっていて、私は毎年訪れています(写真⑦⑧)。今年も名護屋城を見学した後、そこでテントを張りキャンプをしてきました。夕陽がとてもきれいな所で、陽が沈むと今度は呼子のイカ釣り船の漁火がとてもきれいで幻想的です。名護屋城の前には桃山天下市があり、唐津行バス停や食事処やおみやげ屋もココです!(写真⑥)。私はここで海の幸(さざえなど)を買い、横にある町唯一のスーパーに酒や肉も売っているので、夕陽や漁火を眺めながら海鮮バーベキューをして楽しみました(写真⑩)。夕陽のいい写真が逆光でうまく撮れずHPに同じ場所から撮った写真があったのでそれを掲載させていただきました(すいません)。でも本当にこんな感じです(写真⑨)。当時の武将たちも、この夕陽を眺め、そしてここから決死の覚悟で朝鮮へ渡ったのかと思うと感慨深かったです。三成や義弘にもこの海鮮バーベキュー・・・食べさせてあげたかったな~😊

次は、関ケ原当時の居城(佐和山城)を訪れます。
 

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しんちゃん

洲本城 おまけの巻 (2023/08/12 訪問)

洲本城はとにかく広くて、その分郭もたくさんあります。
いくつか名前のわからない郭もあって、東の丸も
三段くらいの階層構造になっていて、総じて東の丸というようです。
洲本城はカップルや家族連れも多く、けっこう幅広い階層の訪問客が
いるのですが、日月池より東側、東の丸から武者溜にかけては
訪れる者もいなくて、ほぼ貸切状態です。
東二の門や一の門や石段などを、のんびり見物していたら
女性が一人やってきました。油断してましたね‥
年代は不詳ですが、いらぬ警戒心を与えないようにさりげなく
立ち去ります。次に来たときには登り石垣をゆっくり確認してみたい。
なかなか奥の深い城跡です。

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しんちゃん

洲本城 下の城 (2023/08/12 訪問)

洲本城山上の城は戦国期に安宅氏によって築かれ、羽柴秀吉によって落城し
天正13年(1585)~慶長14年(1609)に洲本城主の脇坂安治によって
総石垣の城に改修されています。
山下の洲本城は阿波藩主蜂須賀氏が由良城を配して寛永8年(1631)~同12年(1635)
までに築いた平城です。資料館の向かいには蜂須賀氏家老の洲本城代稲田氏の屋敷がありました。
東から郷土資料館、検察庁、裁判所と続き、手前には水堀を備え
かつての洲本城の石材を積み直して使用しているそうです。
西にある洲本八幡神社にはかつての城の遺構の金天閣が移築されています。

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ヒカミ

はしご登城 (2023/08/26 訪問)

清洲城・小牧山城・犬山城 
3城、御城印GET

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しんちゃん

本州と四国を繋ぐ要の城。 また来ます。 (2023/08/12 訪問)

洲本城は三熊山の山頂部全体に総石垣を用いて築かれた、かなりの城域を持つ
すごい城です。麓にも江戸時代に使用された、総石垣の城がありますが
ここでの洲本城はやはり山上の城でしょう。
馬場が駐車場になっており、そこから下にも駐車場があります。
私は今回、馬場のほうに留めさせていただきました。
大手と言いながらも途中狭くなっている箇所があり、大軍の移動を
妨げています。いくつか虎口を経て大階段を登って本丸を目指します。
本丸には南と西に虎口があり、南側の虎口は完全な桝形になってはいませんが
2回は直角に曲がらねばならず、実戦では、ここまでたどり着くまでに何度も
討ち取られていること必須です。
本丸北側に天守台があり例の天守閣が鎮座しています。
一度本丸から降りて、南の丸付近から本丸の石垣を眺めますが、かなりの高さです。
そこから西登り石垣の方向に行けるのですが立ち入り禁止になっています。
方向を変え東の丸を経由して東の端の武者溜へ移動。東一の門を見学し帰途につきます。
いずれ東の登り石垣にもトライしてみたいと思いますが、危険と判断したら
引き返す予定です。何度でも訪問してみたくなるすごい城です。

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T-Shionoya

溶岩石積みの本栖城 (2023/03/04 訪問)

樹海の溶岩石塁に興味があり、3月は山梨県南都留郡富士河口湖町の本栖城へ。

精進湖と本栖湖の間、烏帽子岳から東の青木ヶ原樹海に突き出た比高約120mの尾根に築かれた城。
甲斐と駿河を繋ぐルートの1つ、中道往還が麓を通る、戦国期の国境警備ポイント。
1500年代中期には武田が、後期には徳川が支配していた記録があるとのこと。

現在はハイキングコースの一部でしょうか。
当日は南麓部、山城部、北麓部そして139号線東側の石塁の順で訪問。

樹海で道を見失いそうな南麓部は、初めて見る溶岩を積んだ関所らしい遺構が散在。
先端から登る山城の尾根は急勾配で、2か所ほどが滑りやすくスリリング。案内図の「竪堀」から連続堀切となり、ここからが城内でしょうか。
連続堀切を突破すると、積んであるのか転がっているのか黒い溶岩が見られるようになり、主郭の向こう側に写真の7枚目。

北麓の信玄築石も中道往還に設けられた関所の様。
そして東の長い石塁は奥に進むほど状態が良く、高い部分は2mぐらい。

滞在時間は約3時間半。
珍しい溶岩石積みの城が私の城郭巡りの152城目でした。

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しんちゃん

岐阜城おまけ 織田信長居館 (2021/12/26 訪問)

岐阜城の麓にある織田信長居館も近年、どんどん発掘が進み
かなり立派なものであったことが明らかになってきました。
CGの技術も進み、往年の姿がわかりやすくなってきたことも
その宣伝に大いに役にたっているようです。
かつての政庁と呼ばれるもので、ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスは
「入口に劇場のような家」があり長い石段を登ると「宮殿の広場」に入る、と
記しているそうです。
居館中枢の背後には巨大なチャートの岩壁があります。
まさに天下の奇景ですね。

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