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じゅんじん

金城小学校 (2022/02/19 訪問)

城址碑はどこかなあ?外からではわかりませんでした。

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じゅんじん

田沼意次像 (2022/02/13 訪問)

御前崎からの帰り道に寄りました。意次公の銅像ができてました。よい政治家でした。やっぱりお金は動かさないかんね。

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小城小次郎

だまれこわっぱあ! (2021/11/03 訪問)

麓の館とセットで室賀城とも呼ばれるこのお城は「黙れ!小童!」で一躍有名になった室賀さんのお城。真田丸効果で一度は散策路が整備されたが今はまた自然に還りつつあるので、散策するならここ1、2年がよいのかもしれない。

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ダイエティシャン

十善山城跡(出雲国、出雲市野郷町)3️⃣~主郭 (2022/02/10 訪問)

主郭からの眺めは、絶景でした。(1)
早朝には、雲海も見れるのでは?と思いました。
主郭の東西南北(2~5)
ベンチもあります(6)
主郭は、東側に、細長い郭(7)
夕陽も綺麗でした(8)

正に、【地域が誇る観光スポット】でした。

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ダイエティシャン

十善山城跡(出雲国、出雲市野郷町)2️⃣~登城道 (2022/02/10 訪問)

白鳥ロードを攻め登ります。(1~3)
駐車場から、約10分程で、主郭に到着(4、5、6、7)テントがあり、中に入って、休憩が出来るようです。

主郭に至る途中に、厠もあります、(8)

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POYO58

三成に過ぎたるものが二つあり 島左近と佐和山の城 (2022/03/13 訪問)

佐和山城は石田三成が築城した城です。関ヶ原合戦後井伊直政が入城し、彦根城を近くに築城したことによって廃城となりました。井伊直政はここで亡くなっています。

登城路
龍潭寺を通って佐和山ハイキングコースを通る。少し登るのがきついです。

遺構
それほどありませんが、天守の隅石垣がほんのちょっとだけ残っています。また、土塁や堀もいくつか残ってます。

評価
遺構:2
建物の美:-
行きやすさ:2

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ダイエティシャン

十善山城跡(出雲国、出雲市野郷町)1️⃣~登城道 (2022/02/10 訪問)

【地域が誇る観光スポット】の一つ、【十善山城跡】へ攻城。

【十善山城跡】は、中世に、宮倉氏の館があったそうです。

【目】のお薬師様で有名な、【一畑薬師】に参拝した後に攻城。【一畑薬師】から、南東に車で約15分

県道にも道標があり、分かりやすいです。
(1~4)未舗装の駐車場(5)に駐車して、案内板(6)に従って攻め登ります。
白鳥ロード(7~9)なるものを攻め登ります。後で確認すると、池にいたのは、白鳥の作り物だそうです。良く出来た作り物でした。

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BUCHI38

石垣編 (2022/03/13 訪問)

では石垣編に参りたいと思います。
彦根城はほとんど石垣で守っており、あまり土塁などがみられません。
彦根城はほとんどの石垣が野面積みのようですが、天守台の石垣は牛蒡積みです。
区画が多く集中攻撃しやすくなっています。また、簡単に天守へ辿り着かないように、石垣の壁を作り遠回りをさせたり、馬出しがあるので挟み撃ちができます。枡形虎口もみられます。なかなか恐ろしい城です…怖。
また水堀が多く簡単には城内に入れません(敵が)。また天守も入り口近くに来ると、石垣で見えません。
私が一番好きなのは西の丸三重櫓の高石垣。この櫓の石垣の根元ら辺の立派な空堀があり、馬出しもあります。この堀に来た敵は櫓から攻撃され、その間に挟み撃ちされます。
なかなか道も長いし、これは敵に対する意地悪?

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BUCHI38

櫓編 天秤櫓、太鼓門櫓、佐和口、西の丸3重櫓 (2022/03/13 訪問)

では彦根城の櫓について紹介したいと思います。
まず佐和口。
彦根城の入り口にあたります。櫓によって道が区画され敵を集中狙いしやすくしています。

天秤櫓
文字通り櫓が左右吊り合って、天秤のように見える櫓。登城路がはっきり見え、敵が来たか、すぐわかる。
またここを通るには、石垣を回り、橋を渡っていかなければいけない。まさに遠回り。

太鼓門櫓
敵が来た時、太鼓を鳴らしていたところ。天守までの最後の守り。天守は目の前だが、石垣の鉄壁で通れない。そこで太鼓門櫓を通るしか方法はなく、そこを迷ってる間に太鼓門櫓と天守から攻撃される。

西の丸3重櫓
この櫓は高石垣で支えられていて、この石垣の根元にきた敵は真上から攻撃されることになる。またその反対方向に出丸があり、馬出しがある。ここに来たらもう終わり…

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POYO58

8年ぶりの彦根城 (2022/03/13 訪問)

今回は友達のY.K.さんと一緒に彦根城へ行ってまいりました。
彦根駅から徒歩15分くらいで彦根城入口の佐和口というところにつき約15分かけて天守に行きます。
彦根城は関ケ原の戦いで大勝利を収めた東軍の井伊直政が佐和山城に入って築城の計画を立てました。しかし、合戦でおった傷が治らず、あえなく死去。その後井伊直継が直政の跡をついで城を築城します。
彦根城といえばまさに3重の現存天守。彦根城の天守の破風は18か所あり、日本のお城で一番多いです。ちなみに姫路城は彦根城に次いで17か所あります。
ただ私は櫓が立派だと思いますねー。とにかく天秤櫓、西の丸3重櫓がすごい。彦根城の櫓はすべて中に入ることができます。私は時間の都合上で天秤櫓だけはいったのですが、もうまさに歩いていた登城路が見えてる… もうこれは城を登り始めた瞬間終わり。
あと石垣もとても立派で、櫓を支える石垣は野面積みですが、天守台は牛蒡積みになっています。
見どころたくさんです。ぜひ行ってみてください。

評価(1~5)
遺構:5
建物の美:5
行きやすさ:3

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ふゆづき

常陸の山城 (2022/03/05 訪問)

常陸では珍しい石垣を持つ山城である笠間城を30年振り位に訪問してきました。
公共交通機関を使ったアクセスは、常磐線友部駅から笠間市内の観光循環バスで、日動美術館前のバス停で下車か、笠間駅から徒歩45分位の場所にある笠間市歴史交流館井筒屋さんを訪問することから始まります。
井筒屋さんにはカフェが併設され、御城印を販売しているとともに、笠間城までのアクセスマップを頂くことが出来ますので、攻城の前には立ち寄ることをおすすめします(駐車場も数台分あります)。
井筒屋さんを出発し、大石家旧宅や日動美術館を通り過ぎ、案内図に沿って千人溜駐車場から山道に入ります。井筒屋さんで頂いたアクセスマップでは、石垣等の遺構が記載されておりますので、それを確認しながら本丸を目指しますが、遺構はそれほど多くなく、また石垣自体も土留め的に用いられたようで、それほど高いものではありません。
また、本丸の途中には、「○○門跡」等の記載がありますので、旧城域の範囲が想像しやすいものとなっています。
本丸には土塁が残っていますが、天守があったのは、土橋で連結された天守曲輪になっています(土橋の横には竪堀が掘られているのでしょうか?復元図が無かったので、未確認です)。
天守曲輪を構成する石垣は、崩れかけているようで、ビニールシートがかけてあり、また天守跡には立ち入れないようになっております。
下山した処にある時鐘楼と、城から少し離れた場所に真浄寺にある笠間城八幡台櫓の見学も忘れないようにしてください。
攻略時間は、真浄寺の八幡台櫓を含めて1時間半から2時間程度。
近くには、笠間稲荷もありますので、攻城の際にはお立ち寄りください。

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カズサン

スーパー堤防上に御三階櫓が輝いています (2010/11/27 訪問)

 忍城、さきたま古墳群の探訪を終えて東に約30km程の所で埼玉県茨城県千葉県が交わって、利根川江戸川の分流点のスーパー堤防上に千葉県立関宿城博物館が有り、江戸城富士見櫓を模した模擬御三階櫓が360度眺望の効く立地で建っています。
 元の関宿城は明治後の利根川江戸川の河川改修でほぼ破壊され、本丸跡、大手門跡が一部残存している状況です、忍城からは地道を走りナビに従い博物館の駐車場に到着。

 模擬御三階櫓の外周辺を散策し日本庭園側、戻って関宿城博物館に入館、最上階での眺望は見通しが効いて360度良く観えます、館内展示は利根川の水運関係の展示が主でしたが?
 その当時本丸跡大手門跡は城写真関宿城写真館等で見ておりあまり関心を持たなかった様で探訪して居ません。

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釜次郎

本願寺蓮如の開いた御坊跡 (2022/03/12 訪問)

本願寺蓮如が北陸の布教拠点として開いた御坊。
山麓に無料駐車場があります。

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釜次郎

北陸唯一の現存天守 (2022/03/12 訪問)

北陸唯一の現存天守をもつ丸岡城。
角度のきつい天守内部の階段は横から撮影すると2階の階段と一緒に撮影できるようです。

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釜次郎

本丸の高石垣は圧巻 (2022/03/12 訪問)

久しぶりに福井城へ。
当日は山里口御門が工事なのか枡形内部を見ることが出来なかった。通り抜けや櫓門の中には入れます。
周囲を水掘りに囲まれた高石垣は圧巻です。

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昌官忠

久々の攻城を計画中 (2018/10/22 訪問)

2か月ぶりの投稿です。9カ月くらい攻城していません。
今年の春に青春18きっぷを利用して四国一周を計画していましたが、コロナで断念。
しかし、自身の3回目ワクチンの接種が終ったこと&コロナ感染状況も落ち着きを見せ始めたので
6月に対馬&五島&北部九州(福岡&佐賀&熊本&大分)を遠征することにし、
フェリーを除く手配(航空券/レンタカー/ホテル)が完了しました。
フェリーは予約が1ヶ月前からなので、まだ取れてません。
熊本では復興した熊本城を見てくる予定です。(投稿写真は2018年10月22日に撮った復興途中の熊本城の写真です)
その後、コロナ感染状況が悪化しなければ、夏に青春18きっぷを利用して北陸と四国に行く予定です。
予定より、1年遅れましたが、今年中に続100名城を制覇したいと思っています。

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三重県伊賀の城の影響を受けた奈良県境の城 (2022/03/13 訪問)

三重県伊賀市に近い奈良県内の石打城は、伊賀に多い土塁に囲まれた単郭の城の影響を受けて、本郭は高い土塁に囲まれています。しかし更に、本郭の東西南の尾根に郭を置き、東西南北に100mを越える広さがあります。
城びと先達のtodo94さん、YAICHIさんがアップされてない写真を中心にアップします。

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イオ

堀切パラダイス(東曲輪群) (2022/02/26 訪問)

南北朝期に玉置大宣が築き、和佐玉置氏の本城として200年にわたりこの地を治めました。玉置氏と同じく室町幕府奉公衆を務めた日高川西岸の湯川氏とは縁戚関係を結んで共存していましたが、羽柴秀吉の紀州攻めに際して秀吉方についたことから秀吉に抵抗しようとする湯川氏に攻められて落城。秀吉の紀州平定後に復帰するも、関ケ原の戦いで西軍についたために改易され、廃城となったようです。

日高川東岸の城山を中心に東、北、西にのびる尾根に曲輪群を配した県内最大級の山城で、西麓の日高川河畔に玉置土居と呼ばれる居館、日高川上流に田尻城などの支城群を設けて日高川流域を支配しました。

県内の山城めぐり第2弾は手取城へ。案内表示に従って山道に入り、土取場に造成された駐車場に車を駐めて登城開始。古城行道の石碑のあたりから道路沿いに堀切や竪堀っぽい地形が見られ、笹藪と化した溜池を横目に進んで東の丸に到着。細長くのびる東の丸の北辺には分厚い土塁が長く続いています。東の丸東下には周囲を土塁で囲んだ腰曲輪があり、その先は二重堀切で尾根を遮断しています(ただし外側の堀切はシダの中…)。東の丸南下の帯曲輪の南斜面には竪堀が何条かあるようですが、浅くなっていてよくわかりませんでした。東の丸北下の帯曲輪の北斜面には三条の竪堀を落としており、その帯曲輪を北西に進むと北尾根の付け根に至ります。

北尾根は四重の堀切といくつかの竪堀により遮断され、堀切はそれぞれ状態良く遺っていますが、中でも最も内側の堀切は幅も高さもあり、本丸側は急峻でとても登り降りできません。また北尾根側の曲輪にも土塁を巡らせて厳重に防備されています。

北尾根を往復した後は本丸へ。堀切からは直登できないので、西側に回り込んで登って行くと、北西斜面には石垣が広がっていました。そして本丸北下の腰曲輪と帯曲輪を経て、裏手から天守台とも呼ばれる本丸に到達。本丸には建物礎石群が見られ、西側の眺望が開けています。本丸南下の二の丸は公園として綺麗に整備され、城址碑やテーブル・ベンチが設置されています。二の丸の南下には三の丸が広がっており、三の丸北西端から大堀切を越えて西曲輪群に向かいます(続く)。
 

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ガチャピン

一夜城 (2022/03/11 訪問)

駐車場が分かりにくいです

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ガチャピン

巨鹿城 (2022/03/11 訪問)

水の都

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