御屋敷公園として整備されています。土塁が残っていて当時の雰囲気を伝えています。
真田氏歴史館は休館日でした。
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2023/03/23 21:30
2023/03/23 21:19
横尾采女正 (2023/03/22 訪問)
横尾氏が築いたとされる城です。横尾氏は村上義清に従い上田原合戦に参加しますが討ち死してしまい、その後、城は真田氏のものとなったようです。南に段郭を幾重にもめぐらして、背後を二重堀切と副郭により防御しています。ところどころに石積み、土塁等も見られました。ただ石積みが草でわかりにくかったり堀切の表示があっても埋まっていてほとんどわからない所もありました。登城路は整備されていて比較的歩きやすかった。
横尾バス停から北へ少し歩いて行くと古城緑地広場の案内表示がありそこを右へ曲がるとすぐに左手に尾引城(横尾城)の表示と案内板があります。登城口から約20分で主郭へいくことができます。
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2023/03/23 20:49
千葉城 (2023/03/22 訪問)
松代道と洗馬道が交わる要衝の地にあり、以前千葉(せんば)城と記載されている城ではないかといわれています。海野氏の一族である横尾氏が築いたといわれています。その後、真田氏が支城として改修したとのことです。山頂の主郭から南へ伸びた尾根に曲輪を配置して背後は堀切により防備を固めています。堀切は複数あると思いますが、最初の堀切が深さもあり見どころだと思います。
登城路は整備されていて歩きやすくなっています。登城口から尾根をひたすら登り約20分で主郭へは行くことができます。傍陽(そえひ)小学校が城館の跡地といわれています。
上田駅からバスに乗り傍陽バス停下車して登城しました。一番近いバス停は八幡前バス停だと思いますが本数も少なく傍陽バス停を利用しました。バス停から徒歩約15分で登城口へ行くことができます。
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2023/03/23 20:07
神西城 (2023/02/25 訪問)
【神西城】
<駐車場他>那賣佐(なめさ)神社参道入口前<35.314689, 132.700878>に駐車しました。
<交通手段>車
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅5城目。第七の城、現地説明板によると神西城は1223年に相模国鎌倉から小野高通が地頭として出雲国神門郡の神西へと下向し神西氏を名乗り、この地に築城したようです。その後神西氏は十二代続き戦国時代には尼子氏に仕えます。尼子氏時代後期に仕えた神西元通は有名で尼子勝久と共に尼子氏再興を目指しましたが上月城の戦いで自刃しました。
登城ルートはいくつかあるようですが那賣佐神社からの最短ルートを選択しました。神社裏から竹林を通るルートの頂上が主郭で主郭は開けています。北側の眺望は良くて神西湖や出雲の町が見えます。主郭奥に△状の鉄パイプ組があって、その東側にかけて曲輪がありそうなのですが藪化がひどくよく分かりませんでした。主郭から北側にかけても竹林であまり曲輪らしき遺構は観察出来なかった。
<満足度>◆◇◇
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2023/03/23 19:00
三重堀は圧巻 (2023/03/12 訪問)
展望台の模擬天守が目印。
駐車場もあります。
能満寺から登っていくと空堀が出迎えてくれます。
模擬天守の前には三日月堀も。
このあたりは公園として整備されていて地元の方も散歩をされていました。
何と言っても見どころは西側の三重堀。
ここも三日月の形状に掘られています。
元々は今川氏が築いた城ですが、武田と徳川の間で争奪戦が繰り広げられました。
模擬天守だから、と通り過ぎてはいけません。
三重堀を見に行く価値は高いです。
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2023/03/23 18:47
暴れん坊将軍の馬。 (2023/02/25 訪問)
千葉県松戸市に、ポツンとある「金ケ作陣屋」の標柱。
近くには、イトーヨーカドーやコンビニ、カフェやお肉屋さんと、お店があります。
「金ケ作陣屋」は小金牧という放牧場があり、牧の管理をしていたそうです。
幕府のお馬事情を調べてみたら、8代将軍 徳川 吉宗さんは、かなり熱心です。
外国から馬を輸入して改良したんだとか。
「金ケ作陣屋」でも、外国馬がいたのかな?
昔、観た『暴れん坊将軍』の白い馬。
やっぱり、大きい馬の方がカッコいいもんな、と、ドラマと現実がゴッチャになった「金ケ作陣屋」攻めでした。
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2023/03/23 17:19
2023/03/23 17:05
真田幸隆 (2023/03/21 訪問)
真田幸隆が築城したと地元には伝わっていたようですが、正確にはわかっていないようです。日向畑遺跡を経由して登城しました。登城路は整備されていますが、安山岩質の岩が露出していて歩きにくいところもあります。主郭周辺位はその岩を利用したと思われる石積みがあります。主郭背後の堀切はよく深さが保たれていて見ごたえがあります。この堀切を降りて行くと水の手から下山できるようですが、今回は行っていません。下って行くと屋敷跡とされる安智羅神社付近にでるようなので、こちらが大手筋ではないかと思われます。遠見番所跡も行っていません。この時期花粉症がつらくさらに登る気にはなれませんでした。
上田駅よりバスを利用して真田バス停下車し、そこから徒歩15分くらいで登城口に行くことができます。バスの本数が少ないのと、真田バス停は3ヶ所あり要注意です。
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2023/03/23 15:55
伊勢未踏の城廻Ⅱ (2023/03/19 訪問)
三瀬砦に次いで以前から訪ねたかった、北畠具教終焉の三瀬館を初探訪しました。
駐車場:34°24'18"N 136°25'09"Eの地点、茶畑の中に3台分のスペースの駐車場が用意されている。ここは古城盛衰記さんの案内と同じところ、三瀬砦跡から県道770号線を西行し国道42号線を渡り中部電力の建物横を通り紀勢本線を渡り北に約400m辺り。
要所要所に案内指示版が有ります。
車を駐た所から案内板に従って北に100~200m程の所に三瀬館跡があります、西から南面に谷筋の川が流れて水堀の様、鎌止山麓斜面にほぼ三段の館跡、現在は公園になっている、桜、楓が植栽されており春の花見、秋の紅葉狩りでは人出もあるでしょう、館跡には「北畠具教卿三瀬館跡」と刻んだ石碑と案内板、胴塚の碑と案内板、庭園の池、東屋が設けられている。
東遊歩道を進むと茶臼山見張り所の案内もあり訪ねる、麓に館跡の周辺案内図が有り分かり易い、ただ熊注意の看板ありドキッとするが大阪から来られた親子連れと一緒に登る、見晴らしは良く三瀬地区を俯瞰でき、見張り所には秋葉神社が鎮座。
戻って館跡から南に谷筋川を渡ると北畠具教卿の胴塚と歌碑がある。
南北朝時代活躍した南朝方の北畠親房の子孫伊勢国司八代北畠具教は伊勢に進出した織田信長との攻防の末、信長次男信雄を養子に迎えて和睦し三瀬館で隠棲し勢威を図ったが、天正4年(1576年)信長の指示により信雄のさしむけた刺客に謀殺られた。(案内板による)
この後は昼のサイレンも鳴り、「道の駅南伊勢おおだい」でトイレ休憩と持参したおにぎりで昼食、駐車はやっと1台確保の状態の賑わいでした晴天、桜もちらほら、こぶしにモクレン、ミツマタの花など咲き、花粉が無ければ最高の日和でした。
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2023/03/23 15:09
2023/03/23 14:47
藩主は田沼意次 (2023/03/12 訪問)
史料館があるところが本丸跡、四に駐車場もあります。
この日は駆け足リアと決めていたので資料館には入りませんでした。
前には意次の像と石碑が立っています。
パンフレットだけもらい二の丸の松へ。
相良小学校が二の丸で土塁が残り、その上に松があります。
引き返し萩間川方面に仙台河岸を見に行きました。
仙台藩主の伊達家が寄進した石で造られた石垣です。
ゆっくりと街を歩くのもよさそうでしたが次へと急ぎました。
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2023/03/23 12:27
㉛【関ケ原の26人】(15)加藤嘉明 (松山城:城攻め) (2023/03/11 訪問)
(15人目)「加藤嘉明」(松山城)の続きです。
私が松山城でいちばんおもしろくて好きな所は、城攻めの気分を味わいながら登城できる所です。 さあ攻める気持ちになり大手門からいざスタートします! 門をくぐると真正面に天守が見えるので、(行け~!)と勢いよくそのまままっすぐ進むと行き止まり(あれ?)。振り返ると戸の無い門(戸無門)があり、なんだ~ここからなら簡単に入れるではないか(それ~!)と思って門をくぐると、次の筒井門が閉まっている。(あれ?どうしよう?)立ち止まって考えていると横に隠れた門があり(隠門)そこから敵兵がいきなり出てきて囲まれてしまいます(しまった!これは罠だ~!と気づいた時にはもう遅い😩)。応戦している間に筒井門の上の狭間から鉄砲を撃ちかけられ、半分はここで討死するでしょう。さらに運よく筒井門を突破し中に入っても(またもあれ?)次の入口(太鼓門)が見当たりません(実は右奥の見えない位置にあります)。(次の門はどこだろう?)立ち止まって探している内に、正面の筒井門続櫓と右側の隠門続櫓の狭間が一斉に開き鉄砲で撃たれて袋のねずみです。この時点でほぼ全滅でしょう(無念じゃ~)。私も天守までたどり着く前にここで討死してしまいました(笑)。嘉明様お見事です!😊(写真①~⑤)。
【余談】道後温泉と鯛めし
夜は「湯築城」のすぐ横にある「道後温泉」に宿泊してゆっくり夏目漱石や正岡子規の気分で疲れをいやし、風呂上りに名物の「鯛めし」を食べてみました(写真⑥)。新鮮な天然鯛の切身をごはんの上に乗せ、だしのきいた醤油に生たまごをといてかけ、のりと薬味をのせて食べると、うわ~最高!これめちゃ美味しかったです😋。
次は(16人目)に続きます。
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2023/03/23 06:43
後北条氏の城、らしい (2023/03/22 訪問)
続日本百名城の選定理由の一つは、後北条氏が築いた城の特長が随所に見られる、とある。
となると、杉山城を思い出してしまい、横浜まで来たついでにスーツと革靴のまま、訪問。
深い空堀と随所に塁線を屈曲させて横矢を確保している辺りはわかりましたが、後世に畑作されていたためか曲輪周りの要塞らしい土塁の技巧とか、遮蔽とかは削平か埋められたのかで無くなっており、寂しく感じた。あと、やはり竹の密集により眺望が効かないのも、「城」としての魅力は下げているのかな...。
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2023/03/23 06:17
服部半蔵の活躍 (2023/03/15 訪問)
大河ドラマ「どうする家康!」第6回で舞台となった上ノ郷城跡へ行ってみました。
鵜殿長照の城で、服部半蔵の活躍で攻め落とし、その際生け捕った長照の子を人質交換に使うというストーリーでした。
まずは、赤日子神社をめざしました。
神社西側の駐車場を利用させていただきました。
ここに上之郷城のパンフレットも置かれていました。
ただ、神社のまわりは細く曲がった道が多く、あげくの果てにミカン畑の陰で見通しが悪いです。
ちょっと間違えると大変なことになりそうなので、自動車は中央公園の駐車場に止め、そこから歩くことをお薦めします。
矢印にしたがって進めば3分ほどで入口に到着します。
主郭からの眺め
三河湾が見えます。
城跡から200mほど歩いたところにある熊ヶ池は上之郷城の堀の跡と言われています。
さらに蒲郡市西部公民館には上之郷城の推定復元模型が置いてあります。
また、上之郷城や郷土史に関する資料も用意されています。
所要時間:約1時間
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2023/03/22 22:24
大好きなマリコ♪になりました (2023/03/12 訪問)
城友さんからも「絶対行くべき」と言われていた丸子城。
ニッポン城めぐりのイベントでようやく行くことが出来ました。
誓願寺の駐車場に停めさせて頂き登城。
遊歩道になっていて比較的歩きやすい山城です。
主郭までの途中にも竪堀を確認出来ました。
主郭には土塁も残ります。
とりあえず北側の尾根を進んで行きました。
二の曲輪には展望台もあり、眺望も楽しめます。
大手口まで進むと三日月堀があり、カーブした土橋があります。
当然三日月堀に降りて見ましたが歯朶が元気過ぎ。
写真にはならないかな?
堀に沿って主郭方面に戻ります。
やはり主郭西側の防御がこの城のメイン。
迷路のように堀が走ります。
ここが続100にも選ばれてないなんて、と思います。
今川氏の築城ですが武田、徳川が改修しています。
西側を押さえる重要な拠点の役割を担っていました。
もちろん脳内には中島みゆきの歌声が駆けめぐっていました♪
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2023/03/22 20:26
高瀬城 (2023/02/25 訪問)
【高瀬城】
<駐車場他>登城口<35.371363, 132.860396>手前道路脇に駐車しました。
<交通手段>車
<見所>曲輪・眺望
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅4城目。第六の城、高瀬城は戦国時代に尼子氏の重臣の米原氏によって築城されました。宍道湖の南に位置する独立した山城で出雲平野・宍道湖岸を押さえる重要な位置にありました。月山富田城落城後も米原氏は尼子再興軍に加わり戦ったようですが1571年に毛利軍に敗れて高瀬城は落城します。
上記登城口からは1400mの登山となります。中間地点の山の尾根上の平坦部分が三の丸(鉄砲立)になります。狭い尾根上の曲輪で山頂側に自然大石を利用した虎口らしき遺構があります。長い土橋を通り傾斜を登ると城跡の中心部分の駄置場という曲輪に入ります。そこから西側が二の丸(小高瀬)の連郭群、南側が主郭を含む連郭群となります。二の丸は中心に土塁と丸い巨石があります。二の丸から西下段に半月状の広い曲輪が数段あります。駄置場から南側の主要部は山頂が岩場の狭い曲輪なので物見曲輪かと思われます。手前の石垣跡が僅かに残る広い曲輪が主郭かと思いました。山頂部分には岩をコ字状に削った貯蔵庫のような遺構があります。山頂からの眺望は良く、宍道湖や出雲空港のある菱川町の町が見えます。比高の高さ要害ゆえからなのか、城跡の防御設備(堀切・堀)の遺構が表面観察からは見受けられなかった。しかし、尾根に沿って多く削平した曲輪群を楽しみました。いい山城です。
<満足度>◆◆◇
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2023/03/22 20:24
伊勢未踏の城廻Ⅰ (2023/03/19 訪問)
前々から訪ねたいと思っていた南伊勢北畠氏関連の城跡、三瀬砦跡を訪ねました。
駐車場:主郭北側土塁そばに駐車エリア(34°24'03"N 136°25'35"E)があります。
北畠氏の家臣三瀬氏の城跡、南に宮川の急峻な崖、西、北も崖で落ち込んでいる断崖上にある要害の地、主郭は土塁で囲まれて東が虎口となり現在は八幡社の鳥居が建ち、その前に三瀬砦跡の石碑が建つ、内部には井戸跡、西側土塁上に八幡社が鎮座、西奥に次の郭?その奥は虎ロープで立ち入り禁止、崖で危険かな?
東土塁外に案内解説板がある、北方から入る県道770号線沿いには案内板があり分かり易い。県道770号線北側に三瀬氏の菩提寺慶雲寺がある。
三瀬砦跡には家から高速道一本で約250㎞地道は数㎞で大宮大台ICで繋がっています、国道42号線を東進し県道770号線を更に東へ約3㎞程で到着。
トイレは有りませんので途中に「道の駅南伊勢おおだい」を活用するのがよろしいでしょう。
国道42号線は紀勢自動車道が完成する前に新宮城、赤木城、熊野三大社を訪ねる時さんざん利用していた国道ですが三瀬砦、館に関心が当時無く今まで訪ねる事が有りませんでしたが今回訪ねて願いを叶えました。
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2023/03/22 18:58
【かるた】彦根城の読み札
表から 見えぬ狭間もつ 彦根城
彦根城の天守にある、隠し狭間を詠んでみました
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2023/03/22 17:46
㉚【関ケ原の26人】(15)加藤嘉明 (加藤嘉明と松山城) (2023/03/11 訪問)
(15人目)は「加藤嘉明」です。
関ケ原当時の居城は「正木城」でしたが、関ケ原後の居城「松山城」を訪れてきました。
松山城へはJR松山駅前から伊予鉄路面電車で道後温泉行に乗って大街道で下車し徒歩5分、そこからロープウェイまたはリフトで登ります。乗り場の前では加藤嘉明の銅像が出迎えてくれます。さすが賤ケ岳七本槍! 凛々しい顔ですね~(写真①②③)
私の好きな景色はここです。天守最上階から本丸越しに松山市街を眺めた景色です(写真⑦)。しかし、この日は晴れていたのですがあいにく黄砂が多く、全体的にもやがかかったような感じで見通しが悪かったのでちょっと残念でした。
加藤嘉明の関ケ原での陣跡は残っていませんが、おそらく細川忠興と徳川家康の中間に位置し、石田三成を攻めていたのではないかと思われています。しかしなぜか?あまり積極的に前へ出て手柄を立てたような記録はありません(理由は不明です)。関ケ原の最中、毛利輝元の別動隊が伊予を攻め、正木城の家臣たちがよく食い止めていたようです。それらの功績で、伊予正木の6万石から伊予半国20万石に加増され、1602年に松山城の築城を開始します。嘉明の松山城は五重の天守を持つ城だったようです。しかし完成間近の1627年に会津40石へ加増転封。嘉明の時に完成を見る事はありませんでした。
1784年松平氏の時に天守は落雷火災で焼失。幕末(ペリー来航の頃)の1854年に三重の天守で再建され、その天守が今でも現存しています(よって現存12天守の中では最も新しい)。嘉明の築いた五重の天守の詳細な記録はありません。いったいどんな天守だったのでしょうか?(写真④スタンプはここ料金所前、記念撮影スポットです)。
【余談】本丸まで登りのどが渇いたら、そこにある水道の蛇口をひねってみて下さい。水ではなく、みかんジュースが出てきます(本当です!😲)。でも有料です(笑😊)(写真⑧)。
次は(松山城)を攻めてみます。
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2023/03/22 12:44
初登城 (2023/03/19 訪問)
現存天守良かったです
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