府中城は石岡小学校が三の丸跡とされ、本丸は市街地化
されているようです。かつては常陸国国府が置かれ学校内に
石碑と「常陸のみやこ一千有余年之地」の碑が建っています。
小学校には陣屋の門があり、南側には土塁が残っています。
府中城は大掾詮国によって築かれたとされています。
小田原攻めで豊臣秀吉に従わなかった咎で、天正18年(1590)
佐竹義宣に攻められ大掾清幹は自害し、一族も滅亡したとあります。
江戸時代には陣屋となり、六郷政乗が一万石で入封、その後皆川氏が
入りますが嫡子無く除封、天領となりますが元禄13年(1700)
徳川光圀の弟、松平播磨守頼隆が二万石で入り、明治維新まで続いたと
いうことです。
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