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しんちゃん

多治見邸リターンズ。土岐氏の流れを汲む多治見氏の館跡。 (2022/10/22 訪問)

久々に近くを寄ったので訪問してみました。館の主の多治見国長は正中元年(1324)
京都で非業の最期を遂げますが、地元の多治見市では人気があるようで「多治見まつり」
の武者行列の中でも主役の扱いを受けているようです。土岐氏の流れを汲む饗庭氏の
一門らしく中央の石碑には桔梗の紋が彫刻されています。

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しんちゃん

落合五郎城  岐阜県中津川市 (2023/10/21 訪問)

落合五郎城は木曽義仲の家臣・落合五郎兼行の居館跡で、中津川バイパスの北の丘に
ある、おがらん四社のある場所に築かれていました。街道を望める立地はすばらしく
遺構は残ってはいないものの案内板や石碑が設置されています。幼い義仲を養育した
中原兼遠には樋口兼光、今井兼平、落合五郎兼行と義仲の愛妾(妻)となる巴の
三男一女があり、まさに義仲ファミリーともいえる面々です。ドラマとかでやって
欲しいですね。
お伽藍(おがらん)神社 岐阜県中津川市落合241−12

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しんちゃん

規模はそれほど大きくないがアクセスが良好で遺構も満足できる。 (2023/10/21 訪問)

阿木城は阿木川の北側にある丘陵地に築かれており、道沿いに登城道が二つあり南側が
Aゲート、北側がB(ゲート?)で南のAゲートからアクセスするのが良いと思います。
害獣除けの策をカチャっとあけて入るのですが、これがなかなか開けやすい。ゲートは
全部このタイプになっていると助かりますね。城の規模はそれほど大きくないですが、
楕円形の主郭の東に二の郭、西に帯郭が二段に配され土塁も残ります。主郭の虎口は
南北に付いていて、二の丸側の切岸はなかなか見ごたえがあります。東西の尾根を大き目
の堀切で断ち切ってあり、東の堀切を確認しながらB地点から車道に出ますがこちらには
柵がありません。Aゲートの柵はなんだったんだろうと考えつつも、遺構に満足して
Aゲート付近に停めた車を目指します。

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ぴーかる

若松城 (2023/09/09 訪問)

【若松城】
<駐車場他>駐車場はなし。川代5号線<33.901973, 130.820251>に停車しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅6城目。若松城は黒田六端城の1つで洞海湾の入口にあった中ノ島に築かれた城でした。城主に黒田二十四騎の1人である三宅家義を置きます。三宅家義は知行3600石、代官料1万石で船手頭を務めました。若松城に多くの軍船を備えていたそうです。若松城は一国一城令により廃城となります。島は1940年まで残っていましたが現在は削平されて海に没しています。若戸大橋の中央真下辺りにあったそうです。
 上記ポイントに停車してダッシュで撮影しました。にのまるさんの投稿で「かばしま石」の事を知り、戸畑図書館前の記念石を訪れました。島ごと無くなってしまった城跡に島の石だけでも見られて少しだけ花を添えることが出来ました。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

国人領主因幡毛利氏の城 (2023/10/02 訪問)

 鳥取市南の八頭町に未踏の城が有り、今回の帰省時に訪ねました、認識なかった市場城で別名私部城(キサイチジョウ)とも言われてる。

 駐車場:県道282号線沿い中私都郵便局の川を挟んで西の砂利舗装駐車場を利用(35°25'04"N 134°18'42"E)、他に市場公民館彩祭館の駐車場とグラウンドとトイレ有、集落市場城入口の元駐在所跡2台可。
 参考資料:古城盛衰記さん城郭放浪記さん余湖図コレクションさん城びと、因幡の山城(鳥取教育委員会文化財課)グーグルマップに依ります。

 利用した駐車場から県道282号線の1本南の集落の道を東に約100m超で入口が有り、市場城、かえる岩の案内指示板がある、南に集落の道を進み、農作業の女性の方に情報を聞くが「登るの?」と訝る様な返事、道は良く無い様な返事、城びとあさんの投稿、古城盛衰記さん城郭放浪記さん写真にかえる岩が有りそこまで登れればと考えていたのですが、昨夜の雨で濡れて居り、落ち葉が深く積もっており、先の道も濡れて滑りそうな状態でもあり、ここで登城を断念しました。皆さんの写真で良しとしました。

 歴史は入口の詳しい解説板にありますが、築城時期は不明で鎌倉期室町期には国人の因幡毛利氏(安芸毛利氏と同族)の拠点と考えられます。丘陵頂部から放射状に延びる尾根上には曲輪群が設けられています。(因幡の山城、鳥取市教育委員会文化財課編H28/3/30による)
 因幡守護山名氏とも戦い、秀吉鳥取城攻防戦戦では安芸毛利氏に加勢し、鳥取城落城と共に落城の様子。

 あまり整備されていない山城は私の体力、脚力では無理が有るようです。
 

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しんちゃん

階段は急だがサクッと登れる。 (2023/10/21 訪問)

川口城の登り口は麓にある天神社の右手にあります。そこから階段を上っていくと
ほどなく主郭下に展開する帯郭にたどり着きます。帯郭には竪堀(堀切)が二本ほど
かかっています。そこからすぐ主郭にたどり着きます。やや左に傾いた南北に長い
形状をしていて、歩いてみたところ南北27m、東西11mくらい。案内板には南北
約30m、東西約10mとありますから歩数計側もおおよそ合っていると思います。
主郭南には東屋があって西南側には矢作川が望めます。武田勝頼の軍勢の来襲を
受けた時には次席家老澤田次郎大夫貞次の子、新左衛門が討死したと案内板に
書かれています。城主の代わりに討死したということになりますが、その後の川口城
のことは不明です。

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朝田 辰兵衛

富山スピンオフ (2023/10/09 訪問)

富山駅ナカのことを「とやマルシェ」と呼称します。「桃鉄」の富山ブラックラーメンで有名な「西町大喜」とやマルシェ店はいつも行列ができています。
海鮮丼に目線を移すと,富山と言えば「エビが食べたい」という客層が多いのか,エビが乗ってる海鮮丼は【2,000円】超。ところが私が見つけた別の店(魚どん亭)の海鮮丼はエビは乗っていませんが,高級魚で知られるのどぐろが乗って税込【1,518円】でした。アサリ汁,アジフライ,つみれのから揚げも付いており,『エビより得じゃん』と心の叫びが…。
「西町大喜」の富山ブラックラーメンは,やっぱり本店に行かなきゃな…と。でないと「桃鉄」の聖地巡礼とは言えないだろうと。
「桃鉄」,10年以上やってないな…。

にのまるさんへ。
どうやら,聖飢魔Ⅱの悪魔ネタには免疫がなかったようで,失礼しました。勝手にリアル世代かと思い込んでおりました。
『チケットを買って,悪魔に心を売ったのだから,差し引きゼロだ。ぐわっはっはっはぁ~!』ですが…
聖飢魔Ⅱのメジャーデビューアルバム『悪魔が来たりてヘヴィメタる』のエンディングでデーモン小暮が,『レコードを買って,悪魔に心を売ったのだから,差し引きゼロだ。ぐわっはっはっはぁ~!』の引用です。
お城川柳「なごやじょう」4連発など,リアクション素晴らしいにのまるさんなので…
『オマエも蠟人形にしてやろうかっ!』というリアクションを期待しておりました。
真に受けて,気分を阻害されておりましたら,大変に申し訳ありませんでしたm(_ _)m
のどぐろの乗った海鮮丼をどうぞ。

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ぜん

少し残念 (2023/10/24 訪問)

スズメバチが居るとの事で
色々と進入禁止のビニール紐で塞がってた
山だから仕方ないが 時期的な事なのかな
楽しみにしてたから 少し残念

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トク

74【関ケ原の26人】 (24) 島津義弘 (島津義弘と平松城) (2023/09/25 訪問)

(24人目)「島津義弘」の続き⑤です。
義弘初陣の地で最初に城主となった「平松城」を訪れてきました。

JR鹿児島中央駅から日豊本線で20分「重富駅」で下車、そこから徒歩30分の所にあります。現在は重富小学校になっていました(写真①②)。

重富小学校の校門にはこんな看板がかかげられていました。義弘の心構えが今でも地元の子供たち伝わっているのかと思うと、ちょっと感動しました(笑)(写真③)。また小学校を囲むように野面積の石垣も残っており、それがここに城があった事を今に伝えています(写真⑤⑥)。

1554年18才で、背後の岩剣城の蒲生氏を滅ぼして初陣を飾った義弘にこの地が与えられ、その後その岩剣城を居城とします(写真①の背後に見える山上=写真④)。この戦いの時、日本で初めて鉄砲が使われたそうです。義弘はこの山上の急峻の地は不便なため、麓にこの平松城を築き居城を移しました。そして1564年に飯野城に移るまでの約10年間(19~28才頃)、ここを居城とし大隅を平定していったようです。

私はその岩剣城に登るつもりで来ましたが、この急峻な角度を見て(これは絶対無理!)とあっさり断念しました(笑)。そして駅へ帰ろうと歩き始めた途端、何とバス停を発見! しかも1日5本しかない・・・その内の1本が何と10分後に来る!(写真⑩)。ラッキーこれで30分歩かずに済む、義弘様からのご褒美か?(最初からよく調べればよかった😩)。

次は、加久藤城を経由して義弘が最も長く在籍し、数々の義弘伝説が生まれた飯野城を目指します。
 

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Kimoくん

ライトアップ福山城みながら一杯! (2023/10/23 訪問)

鞆からの転戦で本日の締めは福山城 改装完了になり訪問しました。当日福山市内あちこちでアニメイベントが開催中でお城もたくさんのコスプレイヤーだあふれていました。さて、鞆城の投稿で予告しました鞆の浦保命酒の数あるお店の中の岡本亀太郎本店、この店舗は明治初期に福山城の長屋門の一つが移築されたものだそうです。建築様式からみて福山城の江戸初期の建築物でたいへん貴重な遺構らしいです。皆さん是非お立ち寄りを!泊まりの駅前ホテルの部屋からはライトアップされたお城を満喫。晩御飯は恒例の孤独のグルメで地元の魚を堪能しました。

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Kimoくん

ルーツを訪ねて鞆の浦~その2~ (2023/10/22 訪問)

鞆城の次は現在は地続きになっている南北朝時代の古城跡で円福寺にある大可島城に登城しました。立て籠って奮戦した南朝方が全滅したという歴史をもつお城だそうです。

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Kimoくん

ルーツを訪ねて鞆の浦~その1~ (2023/10/22 訪問)

6月の熊本以来久しぶりの城巡り。祖父のルーツの地鞆の浦を初めて訪問しました 天候にも恵まれ鞆城→大可島城登城と待ち歩きを満喫 石垣に刻まれた刻印を見て大感激!その後に訪れた地元の名産品「保命酒」のお店で思わぬ発見。顛末はこの後の福山城訪問記でお知らせしますので是非ご覧下さい。

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AJ

八方正面? (2023/09/14 訪問)

「南側・西側からご覧になりたい方は、皇居一般参観に御参加ください」ーー。

そんな案内板が北側にあります。江戸城・富士見櫓。本丸先端部(最南部)に築かれた天守代用の三重櫓は、明暦の大火後に再建された貴重な現存遺構(*関東大震災で大破し、その後解体復旧)。新政府樹立後、上野戦争の際には長州の大村益次郎がこの櫓から指揮を執ったそうな。

「八方正面」と謳われた櫓。つまり、どの方角から見ても優美ということなのでしょうが、現在、訪日客らが喜んで撮影している北側に破風はなく、単調な印象。宮内庁所管(皇室財産)のため、文化財保護法対象外。内部の見学も期待薄でしょうか。

一方、写真には写ってませんが、櫓が乗る打込接の石垣は1606年に加藤清正が築いたそうです。やはりもう一度、今度は下から見上げることにします。

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いのさん

鳥取城再訪 (2023/10/23 訪問)

先日雨に祟られた為、本日再登城。天球丸周辺に見学制限エリアが多いのはやや残念。中ノ御門工事の完了後再度来訪必須。

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いのさん

若桜鬼ケ城登城 (2023/10/22 訪問)

前日の雨から一転、快晴。駅前の案内所でまずは聞き込み。2023/10/16~30 三ノ丸下の樹木伐採工事の為、登り専用道は通行止めとのこと。来月以降麓からの眺めに変化があるかも。苔むした石垣はある種の風情がありました。駅前の飲食店が閉店。手軽に食べられそうなのは少し離れた道の駅くらいでは。

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赤い城

彼岸花が石垣を彩る (2023/09/30 訪問)

近江高島駅から徒歩で5分。
病院の駐車場も1時間無料で利用できます。
病院の敷地が二の丸、三の丸のようです。
本丸中心部の天守台周辺には石垣が残っています。
登城時はちょうど彼岸花のシーズンで石垣を紅く彩っていました。
琵琶湖の入り江となっていた乙女ヶ池が自然の堀となっていました。
信長が光秀に縄張りを命じた城とされます。
安土城、長浜城、坂本城とのネットワークを形成する要所となっていました。
ビワイチもこの日のリアはこれがラスト、今度はゆっくりと回ってみたいです。

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城とマスク

秋のお城巡り (2023/10/23 訪問)

会津地鶏の親子丼を食べに会津へ行き帰りに訪れました。熊に注意しながら山頂まで登り見学しました。食後の良い運動にもなりましたね。
この時期にヘビがいました

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ぎりょう

最上山城の典型「楯岡城」を歩く (2023/10/22 訪問)

長引いた残暑も納まり、やっと秋の攻城シーズンを迎えました。昨日は山形県の北村山地域史研究会が主催する城歩き研修会、「戦国期最上山城の典型 楯岡城跡を歩く」に参加しました。
この地は応永年間に斯波一族が領主となり楯岡氏を名乗り、七代続いた後の文禄4年(1595)に湯沢に移るまで本拠地だったといいます。城は市街地東側の楯山にあり、西楯山に主曲輪、虎口、階段状の曲輪群を、中楯山には中心曲輪、物見台を置きます。両曲輪は二条堀切で分離し、西側は急な崖、東側は多重帯曲輪で守る構造です。
研修会参加者は当初の定員25名を大幅に超過して50人近い人数となり、大手道から登り、西楯山、中楯山を経由して八幡神社側に降りるコースでした。遺構の残り具合もなかなかよいのですが、時節柄草が伸びすぎて、確認できない場所もあり、春先に再度攻城したいと感じました。

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朝田 辰兵衛

JR伏木駅前に立ちふさがる… (2023/10/07 訪問)

JR伏木駅から守山城に向かう時,行く手をさえぎっているのが古国府城。JR伏木駅からは,徒歩約5分で勝興寺総門につき当たります。勝興寺境内には「越中国府趾」の碑がありました。立派な建造物が立ち並んでいることからも,「越中国の中心は高岡」とのプライドが感じられます。金沢と富山のほぼ中間点という立地からも,どっちつかずの距離感を保ち,独自の文化を成長させてきたエリアかな…と思いました。
御亭角廃寺跡は,勝興寺南側の敷地外エリアにあります。

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トク

徳川家康と鳥居元忠(伏見城での別れ)

「どうする家康」はいよいよ来週から関ケ原へ! しかし肝心の私の投稿が追いついていません。(26人目)を迎える前にドラマの方が先に終わってしまいそうです(すいません😩笑)。

とりあえず、私が密かに期待していた徳川家康と鳥居元忠の伏見城での別れのシーンが来週(10/29)の予告編でありました。どう描かれるのか楽しみです。御覧になる前に私の(11人目)鳥居元忠をもしよければまた読んでいただければうれしいです(城びと「お城を探す」→「伏見城」で検索)。

番組最後の家康ツアーでは、先週は名護屋城、今週は長浜の三成生誕の地や観音寺と私が投稿した場所と同じ場所が紹介されたのもうれしく、はるばる三成を追って訪れた甲斐がありました。詳しくはまたよければ(23人目)石田三成や(21人目)徳川家康などを再度読んでいただければと思います。さらに(22)輝元(3)正則(16)長政(14)輝政(18)吉継(19)高虎(12)吉政(1)秀秋(9)秀家(5)左近(17)忠勝(8)行長 などもドラマに登場します。今までの投稿内容とドラマとを合わせて比較していただければうれしいです😊(長々とつぶやいてすいませんでした)。

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