しろいじょう

白井城

群馬県渋川市


旧国名 : 上野

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じゅんじん

曲輪 (2020/03/20 訪問)

広くて堀も大きかったです。

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WEST

白井城探訪 (2023/10/04 訪問)

群馬県渋川市にある白井城を訪問しました。
築城主、築城年は諸説あるそうですが、現在の姿は、徳川家康の関東入り後に整備されたとのことです。
北郭、三の丸、二の丸は農地となっていますが、本丸は綺麗に整備され登城し易かったです。本丸周囲の土塁は立派であり、是非これからのお城訪問先のリストに入れてみてください。
アクセスは自動車がおすすめですが、少々狭い道路ですので注意をお願いいたします。

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T-Shionoya

のどかな白井城散策 (2023/04/09 訪問)

前回投稿した岩櫃城に続いて訪れた群馬県渋川市の白井城。

吾妻川と利根川の合流点、2つの川に挟まれた三角形の台地の先端に築かれた城。
特に西側は高さ約20mの断崖絶壁。

白井城は前橋の北に位置し、北は沼田、その先は越後という上野国の中心部と越後を結ぶ拠点。
また西は中之条、その先は草津などを経て長野善光寺に繋がるポイント。

築城時期は諸説あるが、15世紀中頃に関東管領上杉氏の家臣長尾景仲が築いたと推測され、以後白井長尾氏の居城となった城。
小田原征伐後は徳川家臣の本多氏(豊後守)などが城主となり、整備されるも1624年に廃城となりました。

現在は、土塁と堀に守られた本丸が城跡として整備され、二の丸から北は農地となっているものの広い堀が残存。
訪問時は道の駅から八重桜で賑やかな白井宿を経由し、大手虎口から観光客不在の城域へ入城。堀や土橋が風景に溶け込んだ三の丸と二の丸を進み本丸土橋に辿り着くと、東側の堀は屈曲があるため三日月堀と呼ばれているのでしょうか。土橋を側面攻撃するこの本丸突出部は魅力的な部分。
復路は帯郭を歩き、北遠構まで回ると滞在時間は約2時間。
のどかな白井城散策が私の城郭巡りの154城目でした。

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しんしんちゃん

本丸と二の丸の間の堀切が見事 (2023/04/30 訪問)

白井城は利根川と吾妻川の合流点に突き出した台地上に築かれています。
北から北曲輪、三の丸、二の丸、本丸と続き標識もあって
わかりやすくなっています。本丸の南に出丸の笹曲輪があり
南東側に南曲輪、さらにその先には新曲輪がありました。
本丸、二の丸、三の丸の間には今でも大きな堀切が残り
本丸と二の丸の間の堀切は幅も広く、深さもあり三日月堀の表記があります。
二の郭と三の郭の間の堀の一部は、なんと畑になっています。それだけ
大きい堀ということです。本丸周辺には高い土塁が残り、枡形門跡周辺には
石積みが残っています。
本丸は広く、駐車も可能です。二の丸と三の丸、北曲輪は畑地になっています。

案内板に寄れば白井城は15世紀中ごろに関東管領山内上杉憲実の信任が厚かった
長尾景仲によって築かれたと考えられています。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めに際し前田利家に攻略され開城し
戦国の城としての役目を終えました。その後、徳川家康の関東移封に伴い
本多広孝、康重が城主となり現在の姿に整備されたと考えられています。
その後、戸田康長、井伊直孝、西尾忠永、本田紀貞と続き、寛永元年(1624)
紀貞の病没とともに廃城となったそうです。






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城郭情報

分類・構造 梯郭式平城
天守構造 不明
築城主 長尾景仲
築城年 永享年間(1429〜1441)
主な城主 白井長尾氏、本多氏
廃城年 寛永元年(1624)
遺構 曲輪、帯曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、三日月堀(水堀)、櫓台、枡形虎口、用水跡
指定文化財 市史跡(白井城址)
再建造物 碑、説明板
住所 群馬県渋川市白井本丸609-1他
問い合わせ先 渋川市教育部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 0279-52-2102