天王文庫の前に石碑と説明板がありました。土塁や井戸が残っているとのことですが、確認していません。
阪急茨木駅よりバスがあり安威南バス停がもよりのバス停です。
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2023/08/31 21:07
安威弥四郎 (2023/08/31 訪問)
 天王文庫の前に石碑と説明板がありました。土塁や井戸が残っているとのことですが、確認していません。
阪急茨木駅よりバスがあり安威南バス停がもよりのバス停です。
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2023/08/31 20:57
国際文化公園都市 (2023/08/31 訪問)
 歴史的には不明なことも多い城址ですが、発掘調査から16世紀半ばの山城と判明しているとのことです。ぴーかるさんの投稿を見て残念な状態になっていることは承知していましたが、石碑が残っているとの情報があり行って来ました。栗栖山砦と彫られた石碑を見つけましたが砦の文字は少し土に埋もれていました。昔は説明板もあったようですが、今はありませんね。
 大阪モノレール彩都西駅からバスがあり馬場バス停がもよりのバス停です。阪急茨木駅かもバスがあるようです。
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2023/08/31 20:43
高さ4mの土塁は圧巻。 (2023/05/01 訪問)
赤堀城は西の粕川と東の鏑木川に囲まれた自然地形を利用し、東西約170m、南北約350mの
範囲に築かれた平城で、本丸の周囲を高さ4mの土塁で囲み、その周囲、北東南を二の丸が囲みますが
東側は鏑木川の氾濫で失われています。本丸は一辺80mの方形で北と南の虎口は食い違い虎口になっていて
二の丸は南と北に堀跡と土塁が残っているようです。
南北朝の時代、赤堀氏は足利尊氏のもとで功績をあげて旧領を回復し、戦国期の永禄・天正のころは上杉謙信に
従っていましたが、謙信の死後は北条氏に従っています。赤堀城には小田原から派遣された小菅摂津守が入っていましたが
天正18年に廃城となったようです。
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2023/08/31 15:26
姫路城2023夏の特別公開 (2023/08/21 訪問)
期間2023年8/11(金)〜9/24(日)
時間9時〜17時最終受付まで
入城料1,000円の他に別途特別公開観覧券500円が必要です。
兵庫デスティネーションキャンペーン(自治体と観光業者、JRグループが一体となって行なっている大型観光キャンペーン)の開催を記念した
非公開エリア
「東小天守」、
「イの渡櫓」、
「ロの渡櫓」、
「乾小天守」、
「ハの渡櫓」、
「折廻り櫓」の計6棟の公開です。
6棟のうち「折廻り櫓」以外は2022年の夏季特別公開時に見学済みですので「折廻り櫓」目当てで見学して来ました。
今回の観覧券は昭和9年頃に使用されていた復刻品となって記念になります。
折廻り櫓は、天守台東側の石垣に接した2階構造の櫓です。
1階は倉庫、2階西側には居室としての3室があり、東側は備前門に繋がる防衛拠点としての役割を担っていました。
令和4年度に改修工事を終えたばかりなので外観、内部共に綺麗でした。
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2023/08/31 12:30
カズサンさんからの宿題を果たしに (2023/08/28 訪問)
鳥取西部の城をものいろしていると、2020年12月のカズサンさん投稿「公園広場が有る、ここが城跡かと思い打ち切りましたが、案内板と今回ガイドの古城盛衰記さんをよく理解すると更に200m程下に城跡、石垣、曲輪、櫓台が有るそうです。雨の中注意散漫で重要遺跡を見落としました。次投稿の方に宜しくお願いいたします」を発見。二番槍をつけるべく、行って参りました。
 進入経路はカズサンさんと同じく城域南の山の中腹を走る農免道路から。河口城の説明板脇から、散策道を下って行きます。散策道は、いのししが掘り返した痕がたくさん😥鬱蒼とした中を進むと、河口城の標柱がありました。階段を登ると、本丸に。南端に、整った石垣の櫓台がありました。本丸の周りを囲むように小さめの曲輪を配置し、その外側は、南以外は切り立っています。特に北側は断崖。南側は、背後の山に続いていくので、広い堀切で遮断しています。
 上述の農免道路は、分かりにくいのと、あまり使われて無さそうで、木が道路に覆い被さってきてます。泊駅に駐車して、国道9号線から攻めるのが良いかも。
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2023/08/31 11:08
【遠江天王山砦】静岡県掛川市 家康掛川城包囲戦本陣 (2023/08/28 訪問)
 『歴史群像』4月号、戦国の城連載で【遠江】掛川城攻め付城群が文・監修=加藤理文氏、イラストレーション=香川元太郎氏で寄稿されて居り、訪ねてみたいと思っていた城郭です。
 住所:静岡県掛川市下西郷84(龍尾神社)、掛川城から北東に約900m程の独立小山
 駐車場:龍尾神社西麓に参拝者駐車場が広くとって在ります。
 駐車場から倉真川に注ぐ麓川(水堀の様)を渡り、石段の参道は控えて、一般車禁止の坂道を褶曲するように登る、砦の法面は切岸の様な崖ですが草木に覆われてる、龍尾神社が鎮座す境内が天王山(龍尾山)砦跡、グーグルマップを拡大すると史跡マークが出て来ます。
 境内は樹木に覆われて掛川城方向を望む事は出来ません、龍尾神社に先ず参拝、龍尾神社の祭神は素盞鳴尊で家紋は織田木瓜でした、境内曲輪は広くその当時の本陣としては十分機能したのでしょう、掛川城に対して北池が南に控え、砦の山麓には川が周囲を流れて堀の役目、掛川城に対して約900mとは今川氏真に威圧を掛けた事でしょう。
 歴史的には、永禄11年(1568年)12月、武田信玄と徳川家康との密約で今川領の2処分化で駿河は信玄の侵攻、遠江は家康の侵攻で始まり、信玄に今川館を追われた今川氏真は家臣の朝比奈氏の守る掛川城に逃げ込む、家康は包囲戦付城砦を築き翌年の永禄12年1月より掛川城攻めを開始、天王山砦付近でも今川軍徳川軍の攻防が繰り返されて居るようです、膠着状態が5ヶ月ほど続き、遠江も不安定な状態であり、和睦を図り今川氏真は義父の北条氏康のもとへ退去を永禄12年5月して掛川城包囲戦は終わる。
 ほぼ遠江を治めた家康と駿河を治めた信玄との国境の戦いが始まる。
 
 龍尾神社は地元の方々の崇敬及び歴代の城主の方にも敬われて居ました、境内には近世掛川城に改修した山内氏二代忠義公奉納の蘇鉄と土佐石が社殿脇に在り、また掛川城主太田備中守奉納石灯籠が二の鳥居脇に在ります。(社務所にてパンフレットを頂きました)
 参考資料は、歴史群像4月号遠江掛川城攻め付城群、文監修=加藤理文氏、イラスト=香川元太郎氏。
       2023年2月25日掛川市生涯学習センターホール講演、徳川家康の掛川城攻め、加藤理文氏講演レジメ(掛川市HP公開)
       龍尾神社パンフレット
       グーグルマップ
       に依ります。
 
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2023/08/31 07:11
⑤清水門・帯曲輪門 (2023/06/24 訪問)
歴史館、二の丸茶屋に寄ったあと清水門へ足を進めました。
清水門は「白河城御櫓絵図」により外観だけでなく内部構造までもわかっているそうで、復元へのプロジェクトが進んでいます。
今でもここを通るといよいよ本丸だ!とワクワクしてきますが、櫓門が甦ったらどんなに素晴らしいことでしょう❣️
復元の日を楽しみに待ちたいと思います……と、いつでもどこでも待っているだけなので、このたびはふるさと納税で一石城主に申し込みました。
今まではここから右手の竹の丸→前御門→三重櫓へと進んでいましたが、今回は帯曲輪へ行けるようになったので、左手へ進みます。右側の桜之門を過ぎると帯曲輪門。この門には杮葺きの櫓門があったそうです。石垣のみとなった今でも、“ちょっとここどうなってるの?”というおもしろさがありました。
美しくよみがえった石垣は近くに寄って見ると補修の跡がわかるところがあり、以前訪れた際の石工さん方の姿や一つ一つに番号が振られていた石を思い出しました。
これまでの石垣復元工事の流れを知りたくてみなさま方の投稿写真をじっくりと見させていただきました。この頃はこのあたりはこういう状態だったんだ……ということがわかって、改めて城びとの投稿欄に集まったみなさま方の訪問記録や現地情報、写真は財産だなと思いました。感謝m(__)m
〈つづく〉
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2023/08/31 07:07
2巡目の続日本100名城のスタンプラリー69城目 (2023/08/09 訪問)
予定していなかったゴールデンカムイ展に時間をかけてしまったため、予定していた四稜郭はパスしました。るろうに剣心北海道編の聖地のひとつなんですけれどもね。碧血碑には脚を伸ばしておきました。2003年11月以来、20年ぶりです。ここもるろうに剣心北海道編の聖地なんです。函館空港のレンタカー営業所に返却する前に志苔館に立ち寄ってスタンプをゲットしました。空港で夕食をとるため早めに城めぐりを切り上げたのですが、飛行機が1時間以上遅れたので、余裕で四稜郭には行けたと思います。それでも台風の影響で大混乱だった中、無事、北海道に行程通り行ってこれた幸いに感謝しなくてはなりませんね。
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2023/08/31 00:55
本丸は利根川の反乱で崩壊。 (2023/05/01 訪問)
石倉城は二の丸跡が公園になっているようで、城址碑があります。
城址碑の右の板が縄張り図のようです。裏側に回ると良いみたいですが確認し損ねました。
遺構はほぼ残っていないようで本丸部分は崩落しているようです。
河岸側へ降りて下から見上げてみると、切岸のようにも見えますが
昔とは形状が異なっているようですので、参考にはなりません。
城郭大系には武田信玄が築いたとされていますが、今の解釈では
信玄公が城を改築し、厩橋城を抑えて、永禄9年9月に箕輪城を攻略したと有ります。
厩橋城攻略のための重要な拠点で、かつては武田と上杉で争奪戦が行われ、
後に北条氏政(氏直)が厩橋城の北条高広に帰属を命じたが高広はこれに応じず、天正11年(1583)正月
氏政(氏直)は石倉城を対城として厩橋城を攻めたとあります。天正11年(1583)9月に
厩橋城は氏直の手に渡ったとあります。
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2023/08/30 19:53
一宮城 (2023/07/22 訪問)
【一宮城】
<駐車場他>近くのコインPに駐車しました。
<交通手段>車
<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾8城目。一宮城の築城時期は定かではありませんが、織田信長の家臣である関成重によって築城されたとされます。関成重の父、関綱長は美濃関城城主であり成重も近くの佐野城主でしたが、時期不明だが斎藤氏から鞍替えして織田信長に仕えたようです。また美濃関氏は尾張一宮の真清田神社の神主の家系であったことから信長から一宮の地を賜った時期に真清田神社と領地を守るために築城または規模の拡張を行ったと考えます。関成重の子である関共成は小牧長久手の戦いで戦死します。その後城は織田信雄家臣の不破広綱が入城しますが1590年織田信雄が改易された後に廃城となったようです。
現在は銀行入口横に城跡碑があるのみなので撮影し終了した。
<満足度>◆◇◇
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2023/08/30 07:00
デジタル一眼レフデビューの年 (2003/11/23 訪問)
古い写真をあさっていたら懐かしい写真が出てきたので投稿させていただきます。2003年11月、三連休パスと青森-函館往復切符で函館に行った時の写真です。秋田から青森に向かう列車に先行する貨物列車の車輪とレールの間にぬれ落ち葉が挟まって空転してしまい、時速3kmしか出せない状況で大幅に列車が遅れ、予定していた特急白鳥に乗れず、今は亡き寝台特急北斗星1号に乗って函館に行くことができたのは懐かしい思い出です。旧五稜郭タワーからは五稜星の形を一望という感じにはなりませんでした。
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2023/08/30 00:20
④帯曲輪石垣を見ながら会津門へ (2023/06/24 訪問)
蛇尾の石垣を見たあと、進行方向そのまま、搦手門方面に歩きました。
青々と茂る木の葉陰に石垣がちらちら覗いています。お濠では釣りをする人の姿も。
搦手門へ続く土橋に吸い込まれそうになりましたが、まだまだ続く帯曲輪石垣も見たかったので踏みとどまり会津門に向かいました。
会津門では鉤型の道や礎石に当時の面影を見ることができます。
やっと城内に入りました。
まずは歴史館です。ビデオや資料を見たりクイズに挑戦したりしました。解説付きの大きなジオラマがとても分かりやすくて、ここまでの復習と後半戦の予習ができました。
二の丸茶屋で城カードをゲットして清水門に向かいます。
<つづく>
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2023/08/29 23:52
佐野ダブル ちょっとややこしい。 (2023/05/03 訪問)
植野城は別名、佐野陣屋とも呼ばれています。とはいえ佐野氏の支配した佐野町より
南に1kmほど離れた植野町に築かれていて、堀田佐野藩の藩庁とされ、城主格であった
堀田氏の陣屋であるので堀田佐野城とか植野城と呼ばれています。
案内板によると東西540m、南北350m、周囲約1.8kmの規模だったそうです。
現在は堀田佐野城址公園が整備され「佐野城墟碑」が立ち、南側に一部、土塁が残っています。
佐野市寺中の東光寺に大手門が移築され、佐野市赤坂町の柳川医院に裏門が移築されています。
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2023/08/29 22:49
足利の 原始の魂 ここにあり (2023/05/02 訪問)
足利氏館は12世紀に足利氏の祖・足利義康によって築かれた足利氏の居館跡です。
足利義康は八幡太郎義家の孫で、境内の案内板には父義国と二代に渡って
堀と土手(土塁)を築いて邸宅としたとあります。
この時代の武士の館では最大級の大きさのようです。
ちなみに案内板には必ず本堂をお参りくださいと有ります。そうですよね。
鑁阿寺の本堂は鎌倉時代の遺構で国宝に指定されています。
GWなので人が多いです。本堂の写真は2103年8月のものです。
この時は早朝だったのでガラすきでしたね。
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2023/08/29 21:52
足利学校 中世の日本一の学校。 (2023/05/02 訪問)
足利氏館に行くついでに足利学校に行ってきました。‥というよりは逆です。
足利学校に行きたかったんです。足利市には二つ天下を取ったものがあると
ブラタモリでやっていて、一つがあしかがフラワーパーク、もう一つが
足利学校だったんです。実はもう一つ行きたいところがあったのですが
それは別の機会で紹介させていただきたいと思います。
足利学校は北と東を水堀で囲まれていて、南側中央の入徳門を通って
中に入ると学校の扁額のある学校門があり、
正面に孔子廟があります。そこから先、右手に足利学校校舎と衆尞(書院)があり北と南に庭園があります。
孔子廟の左手には収蔵庫(図書館)があります。
足利学校の歴史は古く平安時代から鎌倉時代に創設されたとされています。
「板東の学校」と称され江戸時代には全国から学生が集まり、明治元年まで存続したとあります。
足利学校は室町時代の前期には洲対していたのですが、永享4年(1432)関東管領、上杉憲実が
足利の領主になり再興に尽力し、円覚寺の僧快元を能化(今でいう校長)に招いたり、蔵書を寄贈したということです。
憲実公の方針で宗教色を廃したものになり、教育の中心は儒学であったものの、快元が易学に通じていたので
易学を学びに来る者も多く、兵学、医学も教えたと有ります。
16世紀には北条氏の保護もあり、学生数は3000人を超えるなど隆盛を極め、フランシスコ・ザビエルも
「日本国中最も大にして有名な板東のアカデミー」と記しています。
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2023/08/29 21:29
下奈良城 (2023/07/22 訪問)
【下奈良城】
<駐車場他>一宮文化広場C駐車場に駐車しました。
<交通手段>車
<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾7城目。下奈良城は小牧・長久手の戦いで秀吉側の右翼側の陣城で合戦の為に秀吉によって築城されました。合戦後に破却されたようです。現地には碑と説明板、近くの民家に石垣が残っていますが見落としてしまいました。
<満足度>◆◇◇
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2023/08/29 21:15
めがね橋 群馬県安中市松井田町 (2023/05/02 訪問)
松井田城に行くついでに、めがね橋に行ってきました。
碓氷第三橋梁というらしいですが、めがねでいいです。
城意外はそんなに頓着ないんですよ。積まれた煉瓦の数は
200万個以上で、高さ31m、長さ91mあるらしいです。
レンガ作りの橋では日本一らしいですよ。
橋の上を歩くことが出来るのもポイント高いです。
橋の先にはトンネルもありますよ。
群馬県安中市松井田町坂本
36°21'28.6"N 138°41'53.9"E
36.357944, 138.698306
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2023/08/29 20:51
あしかがフラワーパーク。 見頃過ぎてるじゃん。 (2023/05/02 訪問)
GWに関東遠征をするついでに、あしかがフラワーパークに行ってきました。
四国にしようか関東にしようか迷ったのですが、ちょうどフラワーパークが
見頃だというので、こちらにしたのですね。で‥行ってみたら
見頃すぎてるじゃん‥。肝心の大藤はだいぶくたびれています。
なんとか花がぶらさがってはいますが、生気がありません。見頃だったのでは‥。
あとで良く調べると、見頃は白ふじの方らしいです。たしかに白藤のトンネルはきれいでした。
とはいえライトアップの時間になれば、ライトの効力で、くたびれ気味の大藤も
なんとなくきれいに見えてきます。大藤が盛りの時に来たいのですが、4月くらいになるので
時期的に厳しいです。散らずに残っていてくれただけでも良かったとします。
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2023/08/29 13:16
第一回 作って食べよう!?「駿府城跡天守台」発掘の金箔瓦チョコレートづくりを開催しました!
8月19日(土)に葵生涯学習センターにて、作って食べよう!?「駿府城跡天守台」発掘の金箔瓦チョコレートづくりを開催しました。
発掘された本物の瓦の3Dデータをもとに作成した型を使って金箔瓦のチョコレート瓦を作りながら、駿府城に関する知識や駿府城跡天守台発掘調査現場で行われた発掘調査について学びました。
  
第2回目は、11月18日(土)に開催予定です。※詳細は画像をご覧ください。
全4回開催予定ですので、ぜひご参加ください♪
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2023/08/29 12:28
大山の裾野 (2023/08/28 訪問)
 城びと先人(国重さん、カズサンさん)が、深い竹藪であることをレポートされています。周囲を一周し、敷地南側の説明板を撮影して撤収しました。
 大山から伸びる畝状の緩やかな起伏の高みにあり、少し向こうに日本海が望めました。水の便が悪いせいか、周りは牧草地で、今の季節は刈り込まれてました。東側に、海から山手に続く、風力発電の風車が並びます。風の通り道なのですね。よい景色です。
 八橋城から槻下豪族館の間に、白バラ牛乳の工場があり、場内に直売所がありました。
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