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のり巻せんべい

帯曲輪 (2022/04/04 訪問)

明智城の大手道に防御する為の地形が少ないと感じていましたが、
大手道の中間位置付近の左側の切り岸の上方に帯曲輪が有ると
案内板が立ちました、左上方に人工的な平な所が100m位に渡り
大手道に沿って有る様に見受けられます。

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じゅんじん

永福寺 (2022/03/06 訪問)

茅葺の寺門がいいね。本堂奥のお墓が主郭とか。断崖絶壁でした。

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じゅんじん

諏訪神社 (2022/03/06 訪問)

遊具があり家族連れがあそんでました。二の曲輪が太陽光😢。道中は細いので注意してください。

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じゅんじん

吉田小学校 (2022/03/06 訪問)

日曜日だったので入らさせていただきました(無許可)ごめんなさい。

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北風の又三郎

坂本龍馬記念館に行っていたら城があった! 四国旅行3日目  (2022/04/04 訪問)

四国旅行3日目で、高知城に行った後のことです。

坂本龍馬について詳しく知るために、坂本龍馬記念館に行きました。そしたら城がありました😀時間がなかったのでそんなに見ていませんですが、
石垣が残っているのを確認しました。他の方の投稿を見ていると、堀切があったりするようです。そして、この城は四国で初めて天守閣が建てられた城だそうです。驚きました‼️長宗我部元親が10年間もいたそうです。こんなに綺麗な海を毎日見ながら暮らせるのはいいなあと思いました。
#高知 #坂本龍馬 #長宗我部元親 

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北風の又三郎

天守&本丸御殿が残っているのはここだけ! 四国旅行3日目 (2022/04/04 訪問)

四国旅行3日目です。

高知城は、歴史博物館に行ってから行くととてもわかりやすいです。石垣や、天守閣、本丸御殿や、櫓などが残っています。石垣はというと高知は、雨が多く降るため、野面積にしているようです。石垣の石は大きめに感じました。天守閣は、大火事で一度燃えてしまい、そのあと21年かけて造ったのが現在の天守です。
長宗我部元親が造りそのあと山内一豊が城を大きく変えました。
ちなみに、三菱のロゴは山内家の家紋と、創業者の岩崎弥太郎の岩崎家の家紋を合わせたロゴだそうです。勉強になりました😃

ひろめ市場でカツオやマグロを買ったら、とても美味しかったです。ぜひ食べてください。

高知もいい街でした。
#高知 #現存天守 #本丸御殿 #櫓 #資料館 #平山城 #山内一豊 #長宗我部元親 #日本100名城

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ryu

安土城再訪 (2017/12/02 訪問)

2007年以来、10年ぶりに再訪。
今回も安土駅前でレンタサイクルを借りて、観音寺城を探訪後、一路安土山へ。
この時は、観音寺城をじっくり時間をかけて探訪したため、宿泊地の彦根に向かう列車の時間に間に合わせるため、大手道から山上へ駆け上がった。
大手道~黒金門跡~本丸跡~天守跡~摠見寺本堂跡~三重塔~仁王門~伝羽柴秀吉邸跡と急ぎ足で見て回る。

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ryu

安土城(2007年) (2007/08/05 訪問)

伊吹山登山後、訪城。
まず、駅裏の城郭資料館で天守閣復元模型を見て、駅前からレンタサイクルで信長の館(安土城天守閣5,6階部分原寸大復元)、安土城考古博物館を見学後、城跡へ。暑い中、400段の石段(標高差約110m)を登る。
大手道の両脇に秀吉をはじめ各武将の邸跡。天守閣址に残る石垣から天守の大きさが分かる。

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ryu

大垣城再訪(2007年) (2007/08/04 訪問)

1977年以来二度目の訪城。伊吹山登山とあわせての訪城で、大垣市内は水都まつりの日だった。
お城は市の中心部にあり、公園側からは櫓を従えた天守閣が絵になるが、正面入り口の東門(柳口門)側は、民家が迫っている。

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新ろくべえ

逆井城に行ってきました! (2022/04/02 訪問)

 逆井城に行ってきました!
この城は、1450年(宝徳2年)に小山常宗が逆井に城を構えたのが始まりです。
その後小山常宗は逆井尾張守を名乗りました。
 さて、逆井城は、北側に飯沼、西側には入江の蓮沼に接する、天然の要害でした。
先ほど説明した逆井氏はその後、1560年頃に築田氏の知行地となりました。
そして北条氏康が関東に進出し、1567年、築田氏は北条氏康と盟約を結びました。
しかし1572年に北条氏康は、結城氏、佐竹氏と結び(策略とみられる)、
築田晴助の関宿城を攻め、進んで佐竹氏と戦いました。
ですが、1573年に再び関宿城を北条氏照が攻め、包囲しました。
そして1574年に北条氏政はまたもや関宿城を攻め、関宿城は陥落しました。
これにより、逆井城は北条氏の傘下になりました。
なので、逆井は芳春院松峰昌寿の知行地となりました。
 その後は目立った逆井城に関係する戦はありませんでしたが、
1577年に、結城、山川、佐竹、宇都宮、那須が反北条連合を結び
逆井城を本陣とし、連日、結城、山川間で戦が続きました。
 そして北条氏繁が逆井城より多賀谷領佐竹領に忍者などもって攻撃しました。
その後、逆井城主北条氏繁が飯沼城を築城しました。
ですが北条氏繁は逆井城にて死亡し、逆井城代は北条氏舜となりましたが、
 その一年後に北条氏勝に変わりました。
氏勝は1589年に山中城修築を氏直に任されました。
そして秀吉の北条征伐が始まり、
氏勝は山中城を守っていたが豊臣軍の総攻撃で落城し敗走。
さらに逃げ帰った玉縄城も開城し、このころに逆井城も開城しました。
 そしてついに小田原城も落城し、逆井城は廃城になりました。

【城情報】
・築城年      ❙1450年
・廃城年      ❙1590年(天正18年)
・築城者      ❙小山常宗(逆井尾張守)
・最後の城主    ❙北条氏勝
・廃城理由     ❙後北条氏が滅亡し、存続理由がなくなったため
・主な城主     ❙逆井氏→築田氏→松峰昌寿→後北条氏
・遺構       ❙鐘堀池、掘、土塁、関宿城薬師門
・主な建築物    ❙二階櫓、塀、橋、大手門、井楼櫓、主殿、関宿城薬師門、庭園、門
・説明看板、石碑  ❙両方有
・駐車場、トイレ  ❙両方有
・天守       ❙二階櫓?
・保存状態(自身判断)❙遺構の保存状態がよく、復元建造物も存分にあるため予想しやすく
          ❙ おすすめ
・備考       ❙・二階櫓の瓦には北条家紋が記されている。
          ・わたしがいった時は、二階櫓の二階には登れなかった。
           土、日、祝日は登れない?

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チェブ

渡辺食品株式会社。 (2022/04/02 訪問)

茨城県常総市の「古間木城」、迷いました。

いつ頃、築城したのかは不明です。渡辺氏の居城です。
1488年の戦で古河公方から恩賞を賜った記録があるそうなので室町時代には「古間木城」は存在しているようです。
その後、多賀谷氏に攻めれ渡辺氏は、多賀谷氏の配下になりました。
以前「豊田城」の投稿でも書いたように、多賀谷氏は、関ケ原の戦で家康さんの出陣要請に応じず、夜襲を仕掛ける強者です。
で、改易されちゃいました。
配下の渡辺氏は、帰農したんだとか。

「古間木城」は住所を調べると『渡辺食品株式会社』です。
んんっ!わ・た・な・べ~!
末裔の方のようです。帰農しても、名前が生きているのは先人の渡辺氏も、誉れな事です。
ただ、『渡辺食品株式会社』にたどり着くまでに、看板があるのですが、なかなか着きませんでした。
道が工事中で、ナビやグーグルが案内する道が通れません。
やっと見つけた『渡辺食品株式会社』。向かって入口右手に石碑があります。
石碑には『土塁 濠跡』と刻まれ『←』が社内に向いてます。
土曜日ですが、お仕事中のようです。
入口奥には土塁がありますが、社内の写真は控えました。

石碑に刻まれた「古間木城」の歴史は、躍動感があり渡辺氏の想いを受け取れます。

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小荷駄

亀山城 (2022/04/02 訪問)

道の駅作手の第二駐車場に車を停めました。トイレは城跡にはありませんでした。道の駅の隣がお城なのでお手軽でなおかつ整備もしっかりとしていただいてあり遺構も見やすくありがたいです。

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イオ

一日とことん観音寺城(表参道~観音正寺~伝本丸) (2022/03/20 訪問)

南北朝期に北朝方の六角氏頼が布陣したのが始まりとされますが、応仁の乱での攻防を経て、戦国前期に近江守護・六角氏の居城として本格的に築城されたと考えられます。足利義昭を奉じた織田信長の上洛に敵対するも、支城の箕作城が落城すると六角氏は観音寺城を放棄して甲賀に逃れ、そのまま戻ることなく廃城となったようです。

繖山の山頂から南東と南西に八の字形にのびる尾根とその間の南斜面に多数の曲輪群を配した巨大山城で、日本五大山城のひとつに数えられます。山岳寺院の観音寺(現在の観音正寺)をベースに築かれたと考えられますが、僧坊か曲輪か、寺院か城郭かの線引きは明らかではないようです。山上からは東山道に睨みをきかせ、南麓には御屋形跡(居館跡)や石寺(城下町)が広がっています。

まん防も解除になったので、念願の観音寺城へ。裏参道から登城するつもりでしたが、崩落の復旧工事で通行止めのため表参道から。料金ゲートが開くのは8時半からですが、少し前(8時17分)に通してもらえたので一番乗りかも!? と思いきや10台前後の駐車場はほぼ満車…。何とか最後の1台分に駐めて登城開始です。

表参道駐車場からは約400段の石段が続き、10分ほど登ると観音正寺です。観音正寺は聖徳太子と人魚の伝承のある西国三十三所の札所で、江戸初期に現在の位置に再興され、明治には彦根城の欅御殿が本堂として移築されましたが、平成5年の火災で焼失したため現在も諸堂の再建事業が続けられています。山門代わりの仁王像の近くにある観音寺城の説明板を読み、受付で入山料500円を支払い、休憩所で100名城スタンプを押し、本堂で手を合わせ、境内をひと巡りするといよいよ観音寺城に向かいます。

縄張図によれば、観音正寺から伝本丸までの散策路沿いにも多くの曲輪があるようですが、藪に沈んでいてよくわかりません。案内表示に従って進み、10分ほどで伝本丸に到着。伝本丸は北東部と北部に虎口が開口し、北東部は平虎口ですが、北部の搦手口は石塁を追加して喰違い状に改修されています。伝本丸は北部の虎口から西辺にかけてを石塁で囲み、石組みの貯水施設も見られます。また、伝本丸から東下には北辺に石組みの排水溝を備えた大石段が続き、安土城の大手道を彷彿とさせますが、発掘調査でば下方から大石段につながるルートは確認できず、大石段の用途は今なお不明のようです。

さて、大石段から伝三の丸(奥に石垣が遺っています)を抜けて、伝平井丸に向かいます(続く)。
 

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カズサン

勝山城博物館姫路城天守写し (2010/05/15 訪問)

 一乗谷城朝倉義景館跡復元城下町探訪を終えて12年前の平成22年5月中旬、勝山市に在る、姫路城を写した勝山城博物館を訪ねました、平成4年に勝山市出身の多田氏が財を成し故郷への貢献として勝山城への思い深くRC造模擬天守閣風の博物館を建造した。
 住所:福井県勝山市平泉寺町85-26-1 国道157号線恐竜街道から東側近くによく見えます。
 駐車場は北山麓に専用駐車場が有る。

 5重6階連立式望楼型姫路城写しの模擬天守閣、大天守閣、3重櫓、2重多聞櫓で連立式構造です、コンクリートですが良く出来ています、恐竜街道から眺めると惚れ惚れします。最上階からの眺めも素晴らしい。

 史跡上の勝山城は北北西約3km程の所、勝山市役所が本丸中心地です、市民会館が天守台跡だったようです、縄張り図付の案内板が有り藩校建物など残って居ります。

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釜次郎

山頂に殿様池と呼ばれる井戸が残る (2022/04/02 訪問)

戦国時代に佐々成政の配下となった中山氏が城主を務めていた山城。堀切や土塁、畝状竪堀群、井戸などが残る。山頂に井戸があるのは良い山城の証ですね。

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釜次郎

越中3大山城のひとつ (2022/04/02 訪問)

守山城は増山城、松倉城と並び越中3大山城と称されています。現地は公園化やドライブコースの敷設により失われた遺構も多いですが、石垣が残るなど当時の痕跡を確認することができます。

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カズサン

朝倉氏城館跡唐門がシンボル (2010/05/15 訪問)

 福井城の復元舎人門、復元廊下橋、本丸を外から内から探訪し歩いて柴田勝家の北ノ庄城跡を探訪終えて、12年前の平成22年5月中旬、南東に約10km程の所に在る一乗谷城朝倉義景館跡を目指す。
 車は城館近くに駐車場が各所有りますのでそこを利用、一乗谷川を越えて城館の近くの駐車場と記憶していますが?

 先ずは数拾年も前から一乗谷城の紹介写真は朝倉景義館の唐門でしたので懐かしさと初めてと言う感じで無く久しぶりと唐門から入城、発掘調査されて復元整備されポイントポイントに説明板が有ります、奥の苑池庭園も整備されツツジが盛りでした、館の周囲の堀も土塁も残って居り唐門左右の隅櫓台も痕跡が有ります、左右の土塁内側には小さいが雁木が数か所備わって居ました。
 
 山城部には行きませんが館上段の曲輪部分に諏訪館始め数ヶ所の庭園跡が残り発掘調査の上整備されて居ました。
 
 一乗谷川を渡り城下町、武家屋敷の発掘調査の上復元整備された町並み、武家屋敷を見学、昭和40年代からの発掘調査の成果で、平成7年頃に良くぞ此処まで中世城郭、城下町の復元をされたなと感心感謝です、けれど広大な一乗谷城域の発掘調査はまだまだほんの一部との事、末永い継続発掘調査研究が窺えます。
 
 一乗谷城の上下を守る虎口、下城戸跡を見学、巨石を用いた桝形虎口、土塁と堀も備わってる、上城戸は遠くから長い土塁を眺めて終了。

 山城部には行ってませんが見所満載な城郭です、中世城郭の城下町を含めて復元整備は日本唯一の特別史跡でしょう⁉

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todo94

県内の城めぐり2022⑨ 神之峰城(長野県飯田市) (2022/03/20 訪問)

久米ヶ城、伊豆木陣屋と同じく「甲信越の名城を歩く~長野編」所収の神之峰城(かんのみねじょう)にも行ってました。本丸にNHKのアンテナが立ち、民放のアンテナも立っています。出丸には久堅神社が建っています。曲輪の表示がしっかりとあり、展望スポットもあるなかなか見所のある城でした。無料の上久堅郷土歴史資料館にリーフレットが置いてあったので頂いて参りましたが、残部はあと1部になっています。この後、転戦した松尾城からも神之峰城を望むことが出来ました。

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橋吉

深い堀切 (2022/03/26 訪問)

薩摩半島の知覧から、クルマで2時間20分ほど、大隅半島の志布志へやってきました。

まずは志布志市埋蔵文化財センターへ、
入口で続日本100名城のスタンプを押すことができます。
また、志布志城(内城)の復元模型が展示されています。

城跡へは、志布志小学校隣にある無料の観光駐車場にとめました。
残念ながら雨が強くなってきたので、入口付近で撤収!

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朝田 辰兵衛

沖見城(新潟県上越市) (2022/04/02 訪問)

【おきみ じょう】別名を舟見城。標高:160m,比高:90m。山の名称が,なんと岩殿山。岩殿山中腹に天台宗明静院があり,謙信公の墓所があります。明静院には巨岩も祀られており,岩殿山のネーミングに関係しているのかな…と思いました。
麓には,岩殿山と明静院の案内パネルがあり,明静院のちょい手前に登城口があります。東側土塁(主郭)と西側土塁を分かつ堀切を直登します。案内用のピンクリボンが巻かれているので,登城シーズンで気象条件が合えば,徒歩約20分で主郭に到着します。
春日山城から直線で約2.5㎞です。海上警備のための支城。眼下には郷津(ごうづ)海水浴場が見えますが,当時は軍港でした。郷津という名は,国府の津(こうのつ)が転訛したと伝わります。
春日山城を攻め落とすことができるとすれば,それは海からと言われてました。最短距離で攻めるなら郷津から陸に上がり,沖見城を落として春日山城へ…となります。
「こんな重要拠点が整備されてないなんて,上越市は何しとんねん」って言いたいです。

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