つきのしたごうぞくやかた

槻下豪族館

鳥取県東伯郡

別名 : 月下城
旧国名 : 伯耆

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しんちゃん

タケヤブラー (2025/06/28 訪問)

現地の案内板によれば鎌倉時代の武士(岩野氏)の館跡で東西に二つの屋敷跡が残っているとの事です。訪問してみると主要部の周辺にも土塁が残っています。西側の館跡の方が土塁や虎口の形状が良く解り、館の周囲には堀も残っています。見たところ西側の館跡が主郭のようで北側に虎口が付いています。
いかんせん、竹が密集していて、移動がシンドイので土塁の上を歩きながら形状把握に努めました。

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todo94

ゴールデンウイーク後半・伯耆の城めぐり⑧ (2025/05/03 訪問)

石井垣城からの転戦です。説明版はすぐに見つかりました。その奥になかなか規模の大きな空堀と土塁が潜んでいます。ぴーかるさんの投稿、非常にありがたかったです。ありがとうございました。倒竹を踏み分けていかなくてはなりませんが、一見の価値のある空堀、土塁かと思います。近くに、山陰唯一の特別史跡、法隆寺式伽藍配置の斎尾廃寺跡があったので、16年ぶりに立ち寄っていきました。この日の攻城はここまで。泊は、倉吉のホテルに取りました。

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ぴーかる

比較的簡単に内部に行けます。 (2024/10/05 訪問)

【槻下豪族館】
<駐車場他>槻下神社駐車場<35.486944,133.715000>4台程度に駐車できます。
<交通手段>車

<見所>土塁・横堀
<感想>初秋の鳥取縦断平山城攻め旅4城目。現地説明板によると鎌倉時代の豪族の館跡であったようです。2つの方形の曲輪が東西にあり、周囲は空堀で巡らしています。西側の曲輪が主郭のようで堀底から高さ3m程の土塁で囲んでいます。
 
 藪化が酷く入れないとの事で、城びと内部投稿初になりますが、館跡へは比較的簡単に行けますよ。まず<35.487831, 133.716164>の地点から轍のある土の道が北へ伸びているので、そこに入って左手を見ながら少し進むと左手(西側)に平坦な竹林道がありますので西に進みます。館跡の北側に位置するのですが、今は一帯が筍を取る竹林になっていますが、広がる削平地の雰囲気からはかつての家臣屋敷の曲輪跡のようにも見受けられます。左手(南側)を見ながら進むと土塁が見え、近づくと大空堀があります。東の曲輪は空堀のゆかるみと倒竹がひどく行けませんでした。西の主郭と思われる曲輪は北側に切通しの虎口がありますので内部に入れます。内部は北の虎口が1か所、周囲を高土塁で囲みしっかりとした造りになっています。南と西側に深い空堀が残り西側は民家と接しているため改変されているかも。
 深い堀を造って出た土を高土塁にした、館跡というより完全なお城でした。

<満足度>◆◆◇

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大山の裾野 (2023/08/28 訪問)

城びと先人(国重さん、カズサンさん)が、深い竹藪であることをレポートされています。周囲を一周し、敷地南側の説明板を撮影して撤収しました。
大山から伸びる畝状の緩やかな起伏の高みにあり、少し向こうに日本海が望めました。水の便が悪いせいか、周りは牧草地で、今の季節は刈り込まれてました。東側に、海から山手に続く、風力発電の風車が並びます。風の通り道なのですね。よい景色です。
八橋城から槻下豪族館の間に、白バラ牛乳の工場があり、場内に直売所がありました。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 なし
築城主 岩野氏?
築城年 鎌倉時代?
主な改修者 不明
主な城主 岩野氏?
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、横堀、虎口、土橋
指定文化財 町史跡(槻下豪族館跡)
再建造物 碑、説明板
住所 鳥取県東伯郡琴浦町槻下
問い合わせ先 琴浦町社会教育課
問い合わせ先電話番号 0858-52-1161