つきのしたごうぞくやかた

槻下豪族館

鳥取県東伯郡

別名 : 月下城
旧国名 : 伯耆

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主郭虎口
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ぴーかる

比較的簡単に内部に行けます。 (2024/10/05 訪問)

【槻下豪族館】
<駐車場他>槻下神社駐車場<35.486944,133.715000>4台程度に駐車できます。
<交通手段>車

<見所>土塁・横堀
<感想>初秋の鳥取縦断平山城攻め旅4城目。現地説明板によると鎌倉時代の豪族の館跡であったようです。2つの方形の曲輪が東西にあり、周囲は空堀で巡らしています。西側の曲輪が主郭のようで堀底から高さ3m程の土塁で囲んでいます。
 
 藪化が酷く入れないとの事で、城びと内部投稿初になりますが、館跡へは比較的簡単に行けますよ。まず<35.487831, 133.716164>の地点から轍のある土の道が北へ伸びているので、そこに入って左手を見ながら少し進むと左手(西側)に平坦な竹林道がありますので西に進みます。館跡の北側に位置するのですが、今は一帯が筍を取る竹林になっていますが、広がる削平地の雰囲気からはかつての家臣屋敷の曲輪跡のようにも見受けられます。左手(南側)を見ながら進むと土塁が見え、近づくと大空堀があります。東の曲輪は空堀のゆかるみと倒竹がひどく行けませんでした。西の主郭と思われる曲輪は北側に切通しの虎口がありますので内部に入れます。内部は北の虎口が1か所、周囲を高土塁で囲みしっかりとした造りになっています。南と西側に深い空堀が残り西側は民家と接しているため改変されているかも。
 深い堀を造って出た土を高土塁にした、館跡というより完全なお城でした。

<満足度>◆◆◇

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大山の裾野 (2023/08/28 訪問)

城びと先人(国重さん、カズサンさん)が、深い竹藪であることをレポートされています。周囲を一周し、敷地南側の説明板を撮影して撤収しました。
大山から伸びる畝状の緩やかな起伏の高みにあり、少し向こうに日本海が望めました。水の便が悪いせいか、周りは牧草地で、今の季節は刈り込まれてました。東側に、海から山手に続く、風力発電の風車が並びます。風の通り道なのですね。よい景色です。
八橋城から槻下豪族館の間に、白バラ牛乳の工場があり、場内に直売所がありました。

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カズサン

伯耆未踏の城廻りⅤ (2022/06/21 訪問)

 伯耆未踏の城廻り石井垣城を終えて山陰道を東進、東琴浦ICを降りて、駐車場が在る事を信じて槻下神社を目指す、水路の東に駐車場5台位可能。住所:鳥取県琴浦町槻下926(35°29’13"N 133°42'54"E)

 槻下豪族館は神社駐車場から北に100m弱で竹藪が見える所、国重さんが投稿されてる様に竹藪、孟宗竹が茂り倒れ内部には立ち入れない状態、案内板と案内板の横から少し内部が見えるがちょこっと覗くだけ、周囲の竹藪と、周囲の芝畑で芝じゅうたん状の畑が取り囲んでいる、槻下神社を参拝して、西の通りに立ってる標柱を写して終了。

 案内板に由ると
 鎌倉時代の豪族(武士)の館跡で、二つの方形の屋敷が残ってる。東側は、南北約40m、東西約30m、西側は四方約40mで周囲に高さ、約3mの土塁が築いてある。
 「琴浦町指定史跡、昭和49年5月1日指定」

 竹藪が伐採され景観整備されたら是非再度探訪観察したいものです。

 槻下神社社叢は琴浦町指定の天然記念物に成って居ます。

 この後は800m南西の斎尾廃寺跡を見学探訪、番外編で投稿します。

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国重

竹やぶになっています。 (2019/08/07 訪問)

鎌倉時代の豪族の館跡です。案内板を確認し、こそから少し入ってみましたが、すごい竹やぶです。土塁らしきものを確認しましたが、それ以上入っていくのはやめました。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 なし
築城主 岩野氏?
築城年 鎌倉時代?
主な改修者 不明
主な城主 岩野氏?
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、横堀、虎口、土橋
指定文化財 町史跡(槻下豪族館跡)
再建造物 碑、説明板
住所 鳥取県東伯郡琴浦町槻下
問い合わせ先 琴浦町社会教育課
問い合わせ先電話番号 0858-52-1161