いのうえじょう

井上城

愛知県岩倉市


旧国名 : 尾張

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五条川の桜
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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪13/17井上城 (2025/03/30 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内13城目井上城へ下奈良城から南東に約3.5km程に在り、グーグルマップ史跡マーク井上城址の近くに在るローソン一宮千秋町加納馬場店駐車場を目指して走行。

 駐車場:ローソン一宮千秋町加納馬場店駐車場。昼を摂りトイレ利用させて頂く。
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 ローソンPより東に約80m程で五条川、川沿いの桜並木は咲きそろい、大勢の桜ウオーキングの人たちで賑わっていました、神明神社の駐車場も1、2台可能で有りましたが車が入り当日使用できない状態でした。
 神明神社を参拝して五条川沿いを北東に80m程で井上城址案内板、井上城址石板解説碑、その奥土塁状高台に祠と覆い小屋、石板碑、井上城址角柱碑が立っている。
 当日は桜が咲き美しい五条川景観を楽しめました。
  

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しんちゃん

バイバイ桜 (2024/04/13 訪問)

井上城は不明な点が多い城です。案内板には、井上城に関わる最も古い文書「貴籍」には城主は有馬主殿正で応永から嘉吉年間にかけて城があったとされています。尾張古城志には城主未定とされ、張州府志には嘉吉年中の城主は重松主水正とされているようです。石碑には嘉吉3年(1443)のころの城主は有馬主殿正で尾張守護代・下津城主の織田郷広から帰順を命じられ、織田の宿老・伊藤源内からも重ね重ね帰順を進言されたが退けたため、攻められ落城したとのことです。
城跡は五条川に面した地に築かれていたとされ、散った桜の花びらが川面を漂っています。この時期はどこの桜もだいぶ葉桜になって来ています。また来年綺麗な花を咲かして下さいな。

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ぴーかる

井上城 (2023/07/22 訪問)

【井上城】
<駐車場他>神明神社駐車場<35.299178, 136.874953>に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾6城目。現地説明板によると井上城は1394~1441年には城主が有馬主殿正として城があったとされています。嘉吉年中(1441年~)は城主が重松主水正になったとしています。また戦国の城というより館程度の建造物があったのではないかと記述しています。
 現地には遺構は残されていないようで土塁跡のような盛り土の上に城跡碑と祠があります。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

2022夏の青春18キップ16日目:井上城 (2022/08/04 訪問)

小折城からの転戦です。小折城の生駒家墓碑前から徒歩15分ちょっとで、井上城址説明板前(35.299788、136.875674)に着きました。

応永年間(1394年-1428年)に有馬主殿正が築城&居城としたそうです。
下津城主で尾張守護代の織田郷広が尾張国の統一をするために従うよう命じたが、それを拒否しました。
1441年(嘉吉元年)には重松主水正が城主でしたが、尾張守護代であった下津城主・織田郷広によって攻められ落城し、そのまま廃城になったとされています。

五条川沿いに案内板が、そして築山を登ったところには城址碑があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=九之坪城を目指す為、電車で石仏駅から西春駅に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 有馬主殿正
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な城主 有馬氏、重松氏
遺構 消滅
指定文化財 市史跡
再建造物 石碑
住所 愛知県岩倉市井上町井出北