国史跡・和田山古墳群の真っ只中に残る戦国時代の山城は本気度が凄かった。一向一揆と対峙した柴田氏の将・安井氏が整備した姿を残すと思われ、横堀と虎口に技巧を集約した構造は玄蕃尾城ともよく似た陣城の様相を呈する。
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2023/12/31 09:25
2023/09/12 21:25
なかなか巧妙な縄張りを残す城。 (2021/11/21 訪問)
和田山城は史跡・和田山・末寺山古墳群として整備されています。忠魂碑より南が城域と
されますが、仮にこの忠魂碑周辺と東のエリアを三の丸とします、三の丸から南西に二の丸が
配され、二の丸は北端に櫓台を配し、東側を土塁で囲み、その中央に虎口を設け土橋で三の丸に
つながる細い通路に通じています。二の丸から南に土橋が通じていて、その先に主郭があり
中央に櫓台を配し、周囲に土塁が残ります。この本丸からの眺望はなかなかのものです。
本丸の東側には武者走りがあるようで、二の丸・主郭の東から北側にかけて横堀が巡ります。
周囲には帯廓を配し、大軍での侵入を拒む巧妙な造りになっているのですが、何分小規模で
やはり三の郭周辺に兵を駐屯させ人の壁としていたのでは無いでしょうか。
築城は加賀一向一揆勢の和田坊主とされ、現在の縄張りは天正8年、柴田勝家が家臣の安井家清を
配したころに改修されたものだと見られています。かつての一向一揆の城は一揆方の
虚空蔵城や鳥越城を攻撃する重要拠点として使われることになったようです。
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2022/09/04 06:40
2022夏の青春18キップ13日目:和田山城 (2022/08/01 訪問)
松任城からの転戦です。資料館駐車場入口(36.442240、136.505159)から進入し車を駐車後、登城口(36.442157、136.505658)より攻城しました。
1506年(永正3年)和田坊超勝寺によって築かれたと伝えられ、それが和田山の起りと云われています。
天正年間(1573~1592年)に越前一向一揆を破り加賀国に侵攻した織田軍により平定され、北庄城の柴田勝家の部将安井家清(左近)が城主となりました。
最初、攻城口からの場所を間違えて古墳の奥(和田山城の北東方向)に進んだ為、城跡を見つけられませんでした。
諦めて資料館駐車場に戻る時、忠霊塔の近くの配置図、説明板見つけました。古墳群の途中にある城山方向の標識に翻弄されました。
資料館駐車場の東に「和田山・末寺山(まつじやま)古墳群」の入口があります。
城跡は和田山古墳群のある和田山の南側部分にあります。本丸の中央に櫓台(和田山9号墳)があります。
全体的に空堀や土塁がよく残っています
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=波佐谷城に向かいます。
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分類・構造 | 丘城 |
---|---|
築城主 | 和田坊超勝寺 |
築城年 | 永正3年(1506) |
主な城主 | 和田坊超勝寺(一向一揆勢)、安井家清(柴田氏家臣) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 国史跡(和田山・末寺山古墳群) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 石川県能美市和田町 |
問い合わせ先 | 能美市生涯学習課 |
問い合わせ先電話番号 | 0761-58-2272 |