三箇城の比定地として三箇菅原神社や大畑の廃慶岸寺跡が
あげられますが、今回は勉強不足で三箇菅原神社しか
訪問していません。城址碑が神社の境内にひっそりと建っています。
城跡ははっきりしませんが城主の三箇頼照はなかなか波乱万丈の人生を
送っている人物です。
wikiの情報によりますが、三好長慶に仕えている時にロレンソ了斎の説教を聞いて
キリスト教に改宗を決意したとあります。後に京で実権を握った松永久秀に
伴天連追放令が出された際にはヴィレラやフロイスを保護したと有ります。
主君の三好義継にも仏教への改修を命じられますがこれを拒否、
堺に逃れ、後に織田信長に従いキリスト教への信功も取り戻します。
本能寺の変の際には明智に味方しますが破れ、筒井順慶の元へ逃れます。
その後、秀吉に許されますが天正15年(1587)の伴天連追放令の際には高山右近や
オルガンティノ神父らと小豆島に潜伏します。
オルガンティノを永原の信者代表に引き合わせたのち、彼の記録は途絶えていますが
時代の荒波の中で己の信仰を貫いた信念のある人物のようです。
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