野崎駅から徒歩15分ちょっとで、三箇菅原神社入口付近(34.720747、135.627777)に着きました。
三箇城は飯盛山城の西の守りを固める支城で、三箇伯耆守頼照の居城でした。
頼照はキリスト教の洗礼を受け、サンチョと称したキリシタン武将で、畿内一の規模と伝わる教会が建てられていました。
1565年(永禄8年)には京の政変から逃れて、ビレラやルイス・フロイスが数ケ月滞在したこともあり、フロイスはローマに「教会は水に囲まれた小さい島にある」と報告しています。
1582年(天正10年)の「本能寺の変」で三箇氏は明智光秀に与したため滅亡しました。
その後は白井氏の城となりましたが、1587年(天正15年)の羽柴秀吉による禁教令(バテレン追放令)で教会とともに廃城となりました。
当時は深野池に浮かぶ島に築かれていたようです。
三箇菅原神社の鳥居脇に説明板がありました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=野崎城へは、ここから徒歩で向かいました。
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