ふせやじょう

伏屋城

岐阜県羽島郡

別名 : 一夜城、太閤城
旧国名 : 美濃

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西の通りの案内板の在る所
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カズサン

美濃南部城廻り伏屋城は秀吉の築城 (2024/03/16 訪問)

 昨年10月の西美濃未踏の城廻り時間切れと成って取り残した美濃南部の城跡を今回の伊木山城メイン登城に合わせて長森城の次に登城しました。駐車場は心配で近くのJAぎふおんさい広場はぐりの駐車場を目指して進行。

 駐車場:JAぎふおんさい広場はぐり(岐阜県羽島郡岐南町三宅9丁目50)
 参考資料:古城盛衰記さんグーグルマップ

 長森城(切通陣屋)から南に1~2km程です、近くのJAさんの駐車場を利用させて頂き、南の中非通りと用水を渡り、用水の通りを西に約100m程の所に伏屋城跡が竹藪に覆われた一画に残って居ます、西の通りに解説板が設置、解説板の裏から少し入り土塁を確認、取り敢えず一画を一巡、住宅街によく残してくれたものです。

 案内板によると、信長の美濃攻めに秀吉に命じて築かせたと伝えれれると、ここも木曽川・川並衆の助けを借りて墨俣城の様に短期間で永禄年間(1558年~1559年)に築きここも「一夜城」とも呼ばれてると。
 天正12年(1584年)小牧長久手の戦いで秀吉は最北端の砦としてこの伏屋城を伏屋市兵衛に守らせたと有ります。

 探訪を終えて、JAぎふおんさい広場はぐりに戻り昼も過ぎ、山菜おこわ弁当とお茶を購入し車で昼食としました。
 
 

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しんしんちゃん

いくつあるのか一夜城 (2024/03/10 訪問)

伏屋城は織田信長の命で羽柴秀吉が築いたと伝わり、現在は土塁の一部が残ります。チェブさんの投稿にあるように一夜城や太閤城の別名があるようです。墨俣城と同じ方法で一週間ほどの工期で完成したそうです。こっそり築城して石垣山城みたいに周囲の木を切り倒した感じでしょうか? 敵の見張はいったい何をしていたんでしょう。

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チェブ

またの名を、一夜城。そして、太閤城 (2024/01/03 訪問)

美濃攻略の為に、織田 信長さんが木下 藤吉郎さん(豊臣 秀吉さん)に命じて築いた「伏屋城」。
別名「一夜城」「太閤城」です。
秀吉さんの「一夜城」と言ったら「墨俣城」が有名ですが、こちらの「伏屋城」も「墨俣城」と同時期、築城方法も同じなんだとか。

住宅街に、藪化して忘れてしまったような場所に「伏屋城」の説明板がありました。
奥に土塁があるそうですが入って行く勇気が出ません。
この日の翌日、「墨俣城」に行きました。模擬天守があり瓢箪が、秀吉さんの活躍を自慢しているようでした。
「墨俣城」の物語が出たら、もう1つの「一夜城」も忘れないでおこうと思った「伏屋城」攻めでした。

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ぴーかる

伏屋城 (2023/07/15 訪問)

【伏屋城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡説明板前に少しだけ停車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾8城目。伏屋城は一夜城とも呼ばれ美濃攻略のため信長に命じられた木下藤吉郎秀吉の築城とされます。築城年は永禄年間(1558~1569年)となっていますが、稲葉山城が落城したのが1567年なので墨俣城築城~1567年の間に築城されたと考えます。築城方法も墨俣城と同じく川の上流から資材・木材を流して陸揚げして短期間で築城したとされます。土塁のある平城で補給基地・砦の役割をしていたかと思われます。現地は説明板と説明板の裏手藪の奥に土塁が残されています。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 羽柴秀吉
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 羽柴氏、伏屋氏
遺構 土塁
指定文化財 町史跡(伏屋城趾)
再建造物 説明板
住所 岐阜県羽島郡岐南町伏屋4
問い合わせ先 岐南町役場
問い合わせ先電話番号 058-247-1331