天守跡への登城路は、麓の城址に建つ鶴松館の裏から大手道と中の道の2つがありますが、大手道の方は途中で崩落しており通行禁止となっていました。中の道は通行できるとはいえ、なんとか復旧した程度で足元には十分な注意が必要です。通り抜けはできませんが、シラス台地の特徴を生かした大手道の堀切道は見ものです。
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2023/11/12 21:15
南九州で天守のあった城 (2023/11/09 訪問)
天守跡への登城路は、麓の城址に建つ鶴松館の裏から大手道と中の道の2つがありますが、大手道の方は途中で崩落しており通行禁止となっていました。中の道は通行できるとはいえ、なんとか復旧した程度で足元には十分な注意が必要です。通り抜けはできませんが、シラス台地の特徴を生かした大手道の堀切道は見ものです。
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2023/11/12 21:13
屏風折れ土塀の西尾城 (2023/07/22 訪問)
暑い7月に訪れた愛知県西尾市の西尾城。
岡崎平野を流れる矢作川。嘗て下流部は現在より東の低地を流れていたとのこと。
そのエリア吉良荘の北西、碧海台地の舌状部に築かれた城。
鎌倉初期に三河の守護となった足利義氏の築城と伝わる吉良氏の西条城が起源。
桶狭間後の1561年に家康家臣の酒井正親が城主となり、一説ではこの時に西尾城と改名。
以後、城主は度々変わり田中吉政が三之丸を造成、江戸初期に太田資宗が大改修を計画。江戸後期は大給松平氏5代が治め幕末を迎えました。
現在は、本丸・二之丸・姫丸が西尾市歴史公園、東之丸が小学校、北之丸・三之丸などは住宅地に。
実際に訪れると、想像以上に高さのある台地に築かれた城。
珍しい屏風折れ土塀の立つ二之丸から、土橋を渡り土塁が残る本丸へ。
資料館観覧後に尚古荘へ行くと、庭園に土塁と櫓台の痕跡。
更に石柱が立つ城下の門跡を巡り滞在時間は3時間。
最後に冷たい抹茶スイーツで涼しんだ、私の城郭巡りの157城目でした。
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2023/11/12 19:18
伊東氏の巨大な本城 (2023/11/09 訪問)
とにかく広い。周りにはいくつかの出城もあるので、それらを含めるとかなり広い城域となる。もともとの地形もあったとは思うが、これだけの城を構築するには相当の土木量が必要なはず。伊東氏がいかに勢力を誇っていたかが想像される。各曲輪の土塁もかなり残っていて土づくりの城を満喫できる良い城でした。ちょうど数日後にお城まつりがあるタイミングだったため、草刈りなどがされていてBestな状態で見ることができたのはラッキーでした。
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2023/11/12 18:54
城下町もすばらしい伊東・島津攻防の城 (2023/11/08 訪問)
建物は残っていないが、復元された大手門や御殿は当時の雰囲気を感じさせる。大手門を過ぎて犬馬場の石垣に圧倒される。また旧本丸に残る石垣も立派。旧本丸は数回の地震で被害を受けて、麓に本丸を移したということだが、石垣はきれいに残っていた。さらに城下町の武家屋敷通りの景色も非常に良かった。お城と城下町を合わせて楽しめる良い城です。
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2023/11/12 18:45
2023/11/12 18:03
藤沢周平時代小説の舞台「海坂藩」のモデル鶴岡(鶴ヶ岡)城下 (2023/11/05 訪問)
歴史好き仲間との秋の遠征で、鶴岡市・酒田市に。今回のテーマは①かつて北前船の寄港地として栄えた鶴岡市加茂の町並み散策、②芭蕉おくの細道出羽路の足跡を辿る、③藤沢周平直木賞受賞50周年にちなみ、彼の時代小説の舞台、「東北の小藩海坂藩」のモデルと言われる庄内藩の城下町鶴岡散策でした。
加茂地区は今は「クラゲの水族館」が人気となり多くの観光客を集めていますが、かつては酒田と共に回船問屋が集まり栄えた場所。今は漁港に付随する町ですが、かつての繁盛ぶりを感じさせてくれます。
おくの細道出羽路では、尾花沢を発った芭蕉は新庄を経て最上川を下り出羽三山へ。鶴岡(鶴ヶ岡)では長山五郎右衛門(俳号は重行、100石取りの庄内藩士)宅、酒田では伊東玄順(俳号は不玉、医師)亭に逗留して歌仙を巻き、象潟を目指します。
ご存知のとおり藤沢周平の故郷は鶴岡です。彼の時代小説の武家もの(主に短編)に描かれている「東北の小藩海坂藩」の居城や城下町の風情は鶴岡がモデルと言われています。城の外堀の役目をしている「五間川」は位置的には内川がモデルのようであるし、「美しい五層の天守閣が町の四方から眺められる」という文章には平城の鶴ヶ岡城にも五層天守が欲しかったという思いが感じられます。実際、鶴ヶ岡城址の本丸には南西隅に多門櫓、北西隅に二層の隅櫓があったようですが五層天守を置くとしたら、どの場所が適していたのだろうかと考えながら紅葉が美しい城址を散策することができました。
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2023/11/12 17:54
2023/11/12 17:50
2023/11/12 17:45
2023/11/12 17:41
2023/11/12 17:28
2023/11/12 17:24
家康初陣の地と云われ、渡辺半蔵守綱が構えた陣屋 (2023/11/04 訪問)
寺部城は、1469〜1487年に鈴木重時によって築城され、戦国時代は鈴木氏の居城でした。
1558年、鈴木重辰(日向守)は今川方から離反し織田方に付いたため、今川方が寺部城を攻めた戦いでは、家康(松平元康)が初陣を飾ったと云われます。
江戸時代には、徳川十六将の1人でもあり尾張徳川家家老の渡辺半蔵守綱の領地となり、寺部城の地に陣屋を構えました。
主郭は寺部城址の森公園として整備されています。
南東側の櫓台のような土壇上に城趾碑があります。
江戸時代以降の陣屋時の建物の礎石・石材が良く残され、他ではあまり見たことがなく珍しいです。
母屋・土蔵(2ヶ所)・書院・茶席の表示があり分かり易く、井戸跡は3ヶ所あります。
西側の薮の中には、鈴木氏時代の遺構とされる土塁があります。
主郭の東側の三ノ郭にかつては渡辺家家臣の屋敷が並んでいて、今は豊田市有形文化財の遊佐家長屋門、旧松本家長屋門(土日は内部見学可)が残されています。
そのすぐ東側の渡辺家菩提寺である守綱寺には、初代守綱と渡辺家代々の墓所があり、四角い墓石で珍しいです。
寺部城から東へ約1.3kmの場所には、寺部城攻めの時に家康が岩に掛けて采配を振るったと言われる烏帽子岩があります。
豊田市の挙母城(七州城)に寺部陣屋の書院・茶室を移築復元した又日亭があり(先行し挙母城で投稿)、安城市の城郭寺院 誓願寺の山門は寺部陣屋の城門を移築したものと云われます(2023年1月訪問)。
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2023/11/12 12:38
七州城と呼ばれた内藤氏の居城 (2023/11/04 訪問)
挙母城からは七か国を望むことができたため、七州城とも呼ばれた内藤氏の居城です。
それまでの居城の桜城(挙母城)は矢作川の水害があったため、挙母藩二代藩主の内藤学文は、1779年に童子山丘上へ挙母城の移転を決め築城されました。
現在、本丸は豊田市美術館の敷地となっています。
南西側に隅櫓が復興されています。
隅櫓の石垣は当時の遺構とされ、切込接・布積、角は算木積の綺麗な石垣です。
西側には、同じ豊田市の寺部城の書院・茶室を移築復元した又日亭があります。
蓮池跡の南側の道路脇に堀状が見え気になり、遺構ではないかもしれませんが写真を撮りました。
挙母城は3年ぶりでしたが、今回はかつての城下町も巡り、挙母城から移築と云われる米蔵門なども見ることができ良かったです。
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2023/11/12 10:25
2023/11/12 10:25
第2回 空堀清掃
普段立ち入ることができない空堀エリアに溜まった落ち葉の除去や
草木の剪定などを行います!
清掃直後の貴重な空堀写真や記念品を贈呈!
清掃いただいた方々のお名前をHPに掲載いたします。
【日時】令和6年1月27日(土)13:00~16:00(雨天中止)
【内容】岩崎城土塁両側の空堀内の枯葉掃除、小さな枝の剪定を行い、
空堀がきれいに見えるようにし、空堀内を実際に歩くことでその規模を実感してもらいます。
【場所】岩崎城址公園
【対象】どなたでも
【人数】先着30名
【募集期間】令和5年12月16日(土)~ 9時~17時
【参加費】1500円(保険、記念品、枯葉処分費などに充当)
【応募方法】岩崎城歴史記念館へ、電話またはメールでご連絡ください。
お問い合わせ
岩崎城歴史記念館
〒470-0131 日進市岩崎町市場67番地
電話0561-73-8825 FAX0561-74-0046
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2023/11/12 09:14
金木犀とバス停探し。 (2023/10/14 訪問)
東武アーバンパークラインの馬込沢駅から、30分~40分歩いたのではないかと思います。
Googleをビヨーンと伸ばしても、休憩できる所がなく駅近くのマックで体力回復させ出陣しました。
千葉県道8号線を、ひたすら歩きます。
交通量が多い道ですが、歩いているのは私だけでした。自転車と2台すれ違いましたが、、、。
歩道は草木で通りづらい所があります。右折し、住宅と畑がある方へ向かいます。
金木犀の香りがしました。
金木犀と言ったら私的に、トイレの芳香剤の香りです。
最近は、ハンドクリームやボディソープ等、人気の香りなんだそうです。
小学校のトイレ掃除を思い出しながら歩くとバス停を見つけました。
とある煩悩の登城目録さんの投稿文にあった京成バス『金杉町』でした。
と、言うことは、この神社が「金杉城」の城跡の1部です。
写真を写そうと思っても、ここも車の信号待ちで列ができ、離れて全体を写す事ができません。
写真③は神社横です。遺構が分からず土塁に見えて欲しかったので写しました。
これからは、バスも利用できるようになろうと思った「金杉城」攻めでした。
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2023/11/12 07:54
とことん駿府城(寺社めぐり) (2023/08/05 訪問)
(続き)
駿府城の城下町めぐり、まずは静岡浅間神社内に設けられた大河ドラマ館へ。「どうする家康」は観ているものの、大河ドラマ館なるものにはさほど興味はないんですが、ニッポン城めぐりのイベントスポットでもあるので、さらっとひとめぐりすると静岡浅間神社へ。
静岡浅間神社は今川氏の氏神であり、徳川家康が今川義元を烏帽子親として元服した地でもあります。江戸期を通じて徳川将軍家の庇護を受け、江戸後期建造の社殿群には漆塗極彩色が施され、写真で見てはいたものの、大拝殿や楼門のあまりの巨大さと壮麗さには圧倒されるばかりでした。また、元服時に義元から贈られた紅糸威腹巻(静岡市歴史博物館で複製を展示)など、家康ゆかりの品が数多く奉納されているようです。
静岡浅間神社から北に1㎞の臨済寺は、今川義元が急逝した兄・氏輝の菩提を弔うために建立した寺院で、住持となった太原雪斎は軍師として義元を支え、人質時代の竹千代(後の家康)の文武の師ともなりました。大書院には竹千代御手習いの間がありますが、5月19日(義元命日)と10月15日(摩利支天祈祷会)の年2日以外は建物内は非公開なので境内から外観を眺めるだけでした(手習いの間の復元は駿府城の巽櫓で見られます)。今川氏の菩提寺ということで、左手奥の墓地には氏輝や雪斎の墓所があり、境内には氏輝と義元の石塔と位牌を祀った今川神廟が建てられています。氏輝の墓所と並んで家康の関東移封により駿府城に入った中村一氏の墓所もありました。臨済寺には家康が寄進した品々が伝わり、うちいくつかを静岡市歴史博物館の企画展で目にすることができたのはラッキーでした。
静岡駅前に戻って、小梳神社へ。人質として駿府にやってきた竹千代が小梳神社で装束を改めて今川義元と対面したと伝わり、駿府城の守護神として尊崇され長きにわたり徳川家の庇護を受けた…とのことですが、一見して街なかの小さな神社にしか見えず、ニッポン城めぐりのイベントスポットになっていなければ来ることはなかったろうな、という感じでした。
小梳神社から南西に500mの宝台院は徳川秀忠生母の西郷局(於愛の方)の菩提寺として知られ、境内には西郷局の墓がありました。明治初めには徳川慶喜の駿府での謹慎地ともなり、謹慎が解けるまでの1年あまりを宝台院で過ごしています(石碑が建てられていました)。また、この日に歴史博物館でその名を知ったばかりの家康の侍女・ジュリアおたあが信拝したと伝わるキリシタン灯篭も駿府城内から移設されています。駿府の様々な歴史にゆかりのある寺院なんですね。
…と、このあたりで薄暗くなってきたので、この日はここまで。明朝は早起きして堀めぐりに向かいます(続く)。
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2023/11/12 06:56
切り立つ岩はまさに楯の如し (2023/11/03 訪問)
楯岩城の名前の如く南面には石垣や巨大な自然石が多く存在します。
ですが土塁や縦堀も見どころです。
城内には古墳の石室もあります。
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2023/11/12 06:30
信越国境の城 (2023/10/07 訪問)
鮫が尾城は、遺構が確認された部分で約10万㎡、天険の要害を形成する自然地形まで含めると約22万㎡にも及ぶこの地方最大級の山城で、尾根筋に大規模な堀切や曲輪を配し、本丸中心部を取り囲むように切岸も確認できます。
発掘調査で、16世紀後半の遺物が殆どであったことから、武田信玄公の北信濃への侵攻への備えとして鮫が尾城の防備が強化されたものと考えられています。
上杉謙信公の没後の跡目争いの「御館の乱」では、勝敗が決する舞台となり、上杉景虎公自刃の地としても有名です。
鮫が尾城は「斐太歴史の里」に面しており、車で行かれる方は「斐太歴史の里」の駐車場に駐車されるとよいでしょう。また、山小屋風の案内所にトイレ・鮫が尾城から出土した炭化したおにぎりや古墳から出土した鉄剣なども展示されていますので、忘れずに見学されると良いと思います。また、続100名城のスタンプもこの案内所に設置されています。
城跡に行かれる際は、この案内所に立ち寄りルート等を確認されることをお勧めします、親切丁寧におば様が教えて頂けます。
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2023/11/12 03:53
浅井長政 朝倉義景 (2023/11/11 訪問)
古墳を利用した城で、浅井朝倉軍が織田信長と対峙したときに築いた陣城です。壺笠山だけではすべての軍勢を布陣させることは不可能ではちが峰、あほ山にも陣取ったようです。木々により景観が望めませんが、城域は散策しやすかった。腰曲輪があり石垣が所々残っていますが、土塁、堀切等はありません。
京阪穴太駅より徒歩で登城しました。主なルートは湖美が丘団地経由と平子谷林道経由の2つがあります。自分は湖美が丘団地経由での登城路を選択しました。倒木等が一部ありましたが、道は整備されていて概ね歩きやすい。帰りは平子谷林道を経由して帰って来ました。こちらも歩きやすかったです。
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