近くまで来たので、久しぶりに八幡原の川中島古戦場史跡公園へ行きました。戦国時代の戦いは多くありますが、この上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの話(諸説ありますが)は好きです。
ちなみにドラマや映画で多くの方が演じられていますが、自分は大河ドラマ「天と地と」の石坂浩二さん(上杉謙信)と高橋幸治さん(武田信玄)の一騎打ちシーンが好きです。
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2023/04/29 23:10
2023/04/29 23:05
【かるた】岐阜城の読み札
・信長の 夢仰ぎ見る 岐阜城址
・幾星霜 過ぎにし岐阜城 夢の跡
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2023/04/29 23:02
平石小口積み (2023/04/29 訪問)
長野県の山城の中では比較的多くの石積みが見られる城で、以前から行きたいと思っていました。永福寺口より登城しました。約5分で主郭周囲に行くことができます。予想していたよりも多くの石積みが残っていました。主郭周辺を、曲輪等を利用して回ってみると、こんな所にも石積みがあったと楽しくさせてくれます。北側へ下りて行くと大室古墳群253号墳の表示が落ちている付近の曲輪付近にも石積みがありました。石門登山口の方へ下りましたが、途中にある虎口付近の石積みはすばらしかった。その付近も散策するとわかりにくい所に石積みがあります。
登城路はトレッキングコースにもなっていて概ね整備されていますが、石門登山路の方は急坂もあり少し歩きにくい所もありました。
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2023/04/29 23:01
2023/04/29 18:28
「火伏せの虎舞」発祥の地 (2023/04/29 訪問)
ここ中新田は奥州探題大崎氏の居城があった場所。(城館の詳細は過去の投稿を御覧ください)例年4月29日に行われる初午まつりで披露される郷土芸能「火伏せの虎舞」で名高い。この地域は春先に風が強く大火に襲われることがあり、650年ほど前この地を領していた斯波大崎氏が中国の易経の故事「雲は龍に従い風は虎に従う」にならい虎の威を借りて防火の演舞を行ったことが起源という。現在は町の消防団が保存会をつくり伝承されている。
まつりはコロナ禍で中止が続き4年ぶりの開催となったが、天気にも恵まれて多くの見物客で賑わっていた。
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2023/04/29 16:41
七尾城 (2023/04/01 訪問)
【百名城66城目】
<駐車場他>七尾城登山口駐車場を利用
<交通手段>車
<見所>石垣・堀切
<感想>1泊2日北陸山城攻めの旅1城目。初登城なので勿論麓からじっくりと攻め登りました。大手門跡⇒蔵屋敷跡⇒番所跡⇒七曲りを経て安寧寺跡(畠山氏廟所)⇒三の丸にはカモシカと遭遇・広大な曲輪と建物跡の石列が良い遺構⇒二の丸跡から石垣遺構がよく残り⇒温井屋敷⇒桜馬場⇒調度丸・大手口虎口⇒遊佐屋敷⇒本丸⇒本丸外枡形虎口⇒本丸背後の大堀切⇒長屋敷跡は大堀切から中に入り込みます。虎口遺構に石積みが僅かに残っているのを発見⇒寺屋敷の順で巡り下山しました。写真を見て、魅せられていた桜馬場と本丸の段石垣は見事な見応え、美しい段石垣です。本丸の枡形虎口も中世の山城にしては良好に遺構が残り見応えがあります。三の丸~二の丸/本丸~長屋敷間の大堀切もスケール圧巻です。三の丸にてカモシカの間近体験もできて嬉し楽し感動の百名城でした。これにて石川県の百・続百名城制覇。
<満足度>★★★★★
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2023/04/29 15:45
「小田城」 (2023/04/06 訪問)
<オススメ>★★★★★
小田城は常陸守護・八田知家が築いたとされる。南北朝時代、小田氏は南朝方に属し、重臣である北畠親房を迎える。北畠親房が小田城で「神皇正統記」を執筆したとされる。戦国時代には、14代・小田政治が江戸・結城氏と戦い、勢力を拡大する。15代・小田氏治は、後北条氏・上杉・佐竹・結城氏と何度も戦いを挑み、落城を繰り返す。小田氏治は落城のたびに土浦城へ逃れ、小田城の奪還を目指す。最後は、佐竹氏と和睦し、傘下に入る。豊臣秀吉の小田原征伐の際に「小田原攻めの秀吉軍に参陣せず、豊臣方の佐竹氏に反旗を翻し、小田城奪還の兵を起こした」ことを理由に所領を全て没収され、大名としての小田氏は滅亡した。現在、曲輪、土塁、空堀等が遺されている。
<アクセス>
JR土浦駅 関東鉄道バス「筑波山口行、下妻駅行」で「小田」下車 徒歩約10分
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2023/04/29 15:08
「真岡陣屋」 (2023/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
真岡陣屋は小田原藩・大久保氏の領地替えによって真岡郷が天領となったため、真岡代官所(真岡陣屋)を築いたとされる。陣屋は1851年に焼失し、代官・山内総左衛門董正によって再建された。再建に尽力したのが、二宮尊徳である。1868年頃に再び焼失し、廃陣となる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
真岡鐵道 真岡駅 徒歩10分
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2023/04/29 14:59
「茂木城」 (2023/04/06 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
茂木城は「鎌倉殿の13人」であった八田知家が奥州藤原氏の征伐の功により下野国茂木を賜り三男・八田知基に築城させたとされる。知基は茂木氏を名乗る。以後400年・16代にわたり茂木氏の居城となる。戦国時代には佐竹氏の傘下に入り、佐竹氏が秋田に転封されると随行し茂木氏の時代は終わる。1610年に細川興元が茂木に入り、陣屋を築いたため茂木城は廃城となる。現在、曲輪、土塁、空堀等が遺されている。
<アクセス>
真岡鐵道 茂木駅 徒歩20分
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2023/04/29 12:03
西大手門跡から東大手門跡周辺散歩 (2023/04/10 訪問)
先に投稿しました、馬伏塚城、遠江岡崎城は横須賀城を含めて、家康の高天神城攻略の兵站補給拠点として磐田見附から今之浦川、太田川、弁財天川と沼湖、湿田、深田が連なり船での兵員、物資の運搬が出来たそうです、また遠州灘も入り込み横須賀城の大手まで舟入が有った様です。
家康に命じられて家臣の大須賀康高築いた高天神城攻略軍事拠点が横須賀城、高天神城までは小笠丘陵直線6km程の距離です。
さて馬伏塚城、遠江岡崎城と探訪したので近くの横須賀城へも寄りゆっくり探訪散策、車は西の丸西下の公園駐車場、トイレ完備を利用。
探訪ルートは
西大手門跡、南外堀跡、東大手門跡を確認したいとスタートしますが、西前に二の丸跡が在りますので先ずは、二の丸跡、西続きの西の曲輪、その北に在る北外堀跡、南に進み県道41号線(袋井大須賀線)に出る、県道と住宅街の間か東西に長く草原に成っていますがここが南外堀跡で水堀だった様です、県道は外堀と海岸との間の中土居道跡、宝永4年(1707年)の宝永地震の隆起で遠州灘入江は後退して湊、入船機能は失った。
横須賀街道案内標柱から西に約200m行くと外堀跡の標柱と共に土段丘に西櫓跡と標柱、その西横に西大手門跡の標柱、横須賀城縄張絵地図で地形、標柱を見て想像を膨らますのみ、横須賀城は東西に長いので西大手門と東大手門が有った、西大手門跡から北側の民家の空き隙間を通て北の旧袋井大須賀線へ、東に進み、大須賀城本丸南下門枡形虎口、案内板を確認して更に東へ。
三日月堀を確認、更に東へ、東大手門跡を探すが良く分からない、やっと黒くて小さな東大手門跡標柱を発見、案内板は無い、更に東へ三の丸跡の案内板、現在三の丸跡は工場建物が立退いて三の丸広場に成っている、道からの段差が在り城塁を感じる、三の丸跡南東角に太鼓櫓跡が絵地図に有ったが案内の標柱など無し、角跡を確認して想像のみ。
横須賀城のパンフレット、散策マップなどは本丸南虎口案内板に資料ボックスも無く設置されていない、後ほど大須賀支所に寄り確認するが個別の物は無いとの事。
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2023/04/29 10:52
2023/04/29 10:51
移転前の弘前城
弘前城近くの追手門通りにあってお蕎麦屋さん、すっごくおいしかった!
30年以上前ですけど。。。。
また、行ってみたい!!
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2023/04/29 10:38
2023/04/29 08:37
南大門城 茨城県常陸太田市 (2023/04/23 訪問)
下大門二町集会所に駐車場があり、杖も置いてあります。
すぐに登城口があり、少し登ると主郭に着きます。
主郭の周り3/4を横堀と土塁が囲んでいます。
単郭の城で北側の国見山へ続く部分には堀切もあります。
山入の乱で谷を挟んだ北大門城の助川氏と敵対した根本氏の居城とされます。
後に北大門城の出城となりました。
北大門城も徒歩で行けますので次にレポートします。
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2023/04/29 03:34
2023/04/29 03:16
2023/04/29 02:59
2023/04/29 02:45
2023/04/29 02:29
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