なかにいだじょう

中新田城

宮城県加美郡


旧国名 : 陸奥

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中新田城址
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ぎりょう

「火伏せの虎舞」発祥の地 (2023/04/29 訪問)

ここ中新田は奥州探題大崎氏の居城があった場所。(城館の詳細は過去の投稿を御覧ください)例年4月29日に行われる初午まつりで披露される郷土芸能「火伏せの虎舞」で名高い。この地域は春先に風が強く大火に襲われることがあり、650年ほど前この地を領していた斯波大崎氏が中国の易経の故事「雲は龍に従い風は虎に従う」にならい虎の威を借りて防火の演舞を行ったことが起源という。現在は町の消防団が保存会をつくり伝承されている。
まつりはコロナ禍で中止が続き4年ぶりの開催となったが、天気にも恵まれて多くの見物客で賑わっていた。

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斯波家兼 (2022/09/22 訪問)

 南北朝時代斯波家兼が築いたとされる城です。跡地である八幡神社に石碑と斯波家兼の像があります。近くに土塁があるとのことでしたが、今回は行っていません。

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カズサン

名生城の帰りチョイ寄り (2020/10/26 訪問)

 名生城を終わって南に約1km程の中新田城に寄りました、近々ぎりょうさんの投稿が有り近くに在る事を認識し今回の城廻りに予備として加えて置きました、陽が沈み頃でしたがぎりぎり写真を撮れる光量も有りナビを長興寺駐車場に合わせ走行しましたが国道347号線の走行車が多く城石碑を目視し駐車場入口を通り過ぎUタンして長興寺参拝者駐車場を利用させて頂きました。
 城跡は駐車場の直ぐ北、国道347号線沿いです、大崎氏の城で立派な城名石碑、大崎氏の祖斯波家兼公の像、神社が鎮座、陽も陰りその辺りを探訪し引き揚げ古川駅前のホテルへ直行。
 説明解説は地元先達のぎりょうさんの投稿をお読み下さい。

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ぎりょう

大崎氏が伊達軍を撃退した中新田合戦の舞台 (2020/10/18 訪問)

江戸時代の旧中新田町にかかわる人物の足跡を訪ねて加美町を訪問しました。その人物の墓石が残っているという瑞雲寺を訪問後、至近距離にある、中新田城跡碑と斯波家兼公の像のある場所へ。瑞雲寺と長興寺はかつての中新田城の北西側外曲輪跡に並び建っています。
中新田城は足利一門の奥州探題大崎氏の居城でした。初代となる斯波家兼は文和3年・正平9年(1354年)に奥州に下向したと伝わります。大崎氏は天正18年(1590年)に秀吉による奥州仕置きで改易となるまで、宮城県北の師山、小野、中新田、名生に本拠を置いたと伝わります。
中新田城は天正16年(1588年)に伊達軍を撃退した大崎合戦の舞台として名高い城です。方形の館を内・外に二重に造りそれぞれに土塁と堀を巡らせた「回字式」の縄張だったと伝わります。昭和の半ば頃までは外曲輪を囲む豪が田圃となって残っていましたが、現在はすっかり市街地化され、城地の真ん中を国道が通り、在りし日の姿を偲ぶことはできません。
城跡碑、斯波家兼公像見学には長興寺さんの駐車場に停めさせていただくと便利です。
※昨日の投稿時、斯波家兼の奥州下向の年を誤って、歴応2年・延元4年(1339年)と記載していました。お詫びして訂正させていただきます。





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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 斯波家兼
築城年 延元4年〔南朝〕/暦応2年〔北朝〕(1339)
主な城主 大崎氏(斯波氏)、伊達氏
遺構 曲輪、土塁、横堀跡
指定文化財 町史跡(中新田城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 宮城県加美郡加美町北町三番49
問い合わせ先 加美町社会教育課
問い合わせ先電話番号 0229-69-5113