今年が只野真葛(江戸中期の女性文学者・国学者)の没後200年にあたり地元加美町で開催された記念講演に参加しました。
旧中新田町(現加美町)は戦国期には奥州探題大崎氏の拠点中新田城の城下町、奥州街道が整備される以前も出羽方面への街道が通る宿駅であり、江戸時代には仙台藩の地方知行制の中新田「所」(「城」、「要害」に準ずる要地)が置かれた場所。宝暦7年以降は、真葛が嫁いだ只野家1,200石(家格は着座)の知行地でした。大崎氏の中新田城址は町の北側なのですが、町の南西部に「城内」(現在の地名は旧館)と呼ばれる地域があり、子供心に不思議に感じたものでした。古くからの宿駅で、商業の街として栄えて来た中新田町民には藩政期はともかく、維新の後には只野家の知行地「中新田所」との意識は低かったのでしょうか。
「町史」掲載の只野家在郷屋敷は旧宿場町集落の南西側、鳴瀬川の左岸に位置し、集落とは、田んぼと畑、志田江川、股川で区切られ、東西80間、南北70間(約150m×130m)の居屋敷を中心に南北に家中の侍屋敷40件、足軽屋敷35件が並び建っていました。
北側に表門、南側に裏門を備えた広大な只野家居屋敷跡はすっかり民家となってしまいました。今回は中新田高校正門から南側に延びる家中屋敷街、かつて堀の役目を果たした志田江川や股川、宿場町から居屋敷に繋がる大手道の食い違い虎口に当時を思い描くだけ。気候のよい季節に再確認したいと感じました。
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