(続き)
有岡城の惣構は河岸段丘の高低差を利用して築かれ、南北1.7km・東西0.8kmと南北に細長い形状です。有岡城が廃城となった後、城下町の大半は江戸前期に五摂家筆頭・近衛家の領地となり、主に酒造業により繁栄しました(伊丹郷町)。
JR・伊丹駅から西にのびる伊丹酒蔵通り沿いには、発掘調査で検出した伊丹郷町の大溝と呼ばれる石組みの水路が再現されています。在見られる大溝は城郭遺構ではありませんが、有岡城の内郭と外郭を区画する堀跡に築かれているようです。伊丹酒蔵通りをもう少し西に進んだ有馬道東側でも有岡城の堀跡が確認されていて、説明板が立てられていました。
伊丹酒蔵通りの一筋北には江戸前期築の旧岡田家住宅(国重文)があり、店舗や酒蔵、釜屋・洗い場などが公開されています(無料)。隣の旧石橋家住宅(県文化財)はクラフトショップとして営業していますが、こちらも立派な町屋でした。両町屋に北接する市立伊丹ミュージアムには有岡城についての常設展示(無料)もあるようなので見学する予定でいましたが、当日はすっかり忘れて素通りしてしまいました。またの機会があれば今度こそは…。
町屋を離れると惣構の外縁部に向かいます。有馬道は北部の北之口から池田や有馬へと続き、北之口には砦が設けられていたとも云われます。北之口砦跡は児童遊園地になっていて砦跡を示すものはありませんが、脇の小道(有馬道?)を下りて行くとなかなかの高低差があり、ここが惣構の縁であることを実感しました。
惣構の縁を西にたどって渡辺勘大夫が守ったとされる岸の砦へ。猪名野神社が砦跡と推定され、参道に岸の砦跡の説明板があり、境内の北西辺には土塁が遺っています。説明板によれば堀跡もあるようですが、見付けられませんでした。岸の砦からは惣構の西縁をたどって南に向かいます(続く)。
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