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イオ

【かるた】白河小峰城の読み札と絵札

端整な櫓 白河小峰城

戊辰戦争で焼失するも史料に基づいて木造復元された御三階櫓は、華美さはないものの、端整で大好きな天守(代用櫓)です。

石垣が睨む 白河小峰城

あの目のように見える積み方の石垣は、清水門をくぐり抜けて来る人を睨み据えているみたいだなぁ、と。

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赤い城

瑞竜中学校 (2023/04/23 訪問)

高台にある瑞竜中学校が城跡です。
日曜日で門が閉まっており、皆さんのレポートにある石碑は拝むことはできませんでした。
遺構も特になさそうですが、登ってきた道路はおそらく竪堀の跡なのではないかと。
佐竹氏の家臣、小野崎氏の居城です。

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todo94

2022年度最後の一日③ (2023/03/31 訪問)

駐車場、城址碑、説明板完備でさくっと攻略できるお手頃の城です。堀切などの遺構もあるし、東海道新幹線を俯瞰できる眺望もあります。ちょっと待てば、N700系の写真を撮ることもできたかと思いますが、駿府城で時間をとりすぎたので先を急ぐこととしました。

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美夢

【かるた】松阪城の読み札

牛目当て 城も目当ての 松阪城

牛に惹かれて 松阪城詣り

読み札のみの投稿です
旅の楽しみは食べる事でもあります
城を攻めてお腹が空いたら
奮発して美味しい物が食べたいですね

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トク

熊本城の復旧状況(2023春) ⑨ 夜間ライトアップ (2023/03/30 訪問)

最後に、夜間ライトアップされた熊本城をお届けします。
熊本城の復興への道のりはまだまだ長く続きます。
これが希望の光になる事を祈ります。
皆さんもぜひ訪れ、エールをお願いします。
全9回 読んでいただき有難うございました。
 

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スミヤキ

聖地巡礼「いちいちご苦労さん」 (2023/03/31 訪問)

久能山城は、駿河湾を見下ろす標高 216mの有度丘陵に位置し、長い年月かけた浸食作用によって堅い岩層だけが残り、現在ある孤立した山の姿になったようです。南面は急崖で駿河湾に接し、東西両面は浸食谷、北面は屏風岩により日本平の高地と隔てられた天然の要害です。
1568年武田信玄が今川氏真を破り、駿河を占領、山頂から駿河湾沿岸を一望でき、遠く伊豆西海岸をも望むことができるこの地に着目、寺院を他所に移して城郭に改造します。東の清水城に水軍を編成し、西の持舟城とともに駿河湾の海上権を握るため、重要な役割を担ったようです。甲斐武田氏の戦略・戦術を記した軍学書「甲陽軍艦」によると甲斐の岩殿城、上野の岩櫃城ともに武田三名城と言われています。この3城いずれも岩肌むき出しの急峻な岩山で視覚効果抜群の威圧感をもっていますね。
武田家滅亡後は徳川家康の所領となり、家康は江戸幕府を開くも終の棲家に駿河を選びます。さらに遺言でこの地に埋葬されます。そして東照大権現として祀られ、久能山東照宮の現在に至ります。人質だった少年期も含めて、駿河がとてもお気に入りなんですね。

アクセスは、風光明媚な日本平から快適極楽なロープウェイによる方法と南麓から試練のように自分の体力を信じてひたすら1,159個の石段を上る二択になります。
私も勿論、1,159段(いちいちご苦労さん)してきました。ご褒美は、信玄、家康も眺めていたであろう山頂から、駿河湾の眺望を満喫すること。達成感は、あります。

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朝田 辰兵衛

日本100名城ではありません。 (2023/04/01 訪問)

登城口は天降神社になります。登城道がイマイチわからなく,竹ヤブの中をテキトーにほぼ直登しました。一段高い平坦地が主郭です。草木が生い茂ると確認しづらいかと思います。水の手を発見しましたが,これが当時の水の手だったかは不明です。

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ぴーかる

高堂城 (2023/03/19 訪問)

【高堂城】
<駐車場他>瓜巣公民館または瓜巣公民館横の砂利道を北上しゲート先300m程の城跡分岐地点に駐車できます。
<交通手段>車

<見所>尾根曲輪
<感想>日帰り強行飛騨山城攻めの旅ラスト5城目。現地説明板によるとこの城は古くはタカウドの城と呼ばれ、天文年間(1532~1555年)に広瀬左近将監利治によって築かれたとされます。天正年中(1573~1592)に三木自綱が本城を攻め落として以降は三木自綱の居城となりますが1585年に金森長近の攻撃を受けて落城します。この高堂城が詰城、山の塁線を北東側に寺洞砦、さらに北東側に出城として広瀬城がありました。
 瓜巣公民館に駐車し登城しました。公民館からは1.8㎞の登山となります。上記分岐から更に奥の轍が無くなるまで(城跡まで1.2㎞)は車で進めますが少し悪路です。登城路は踏み跡、道になっているので城跡まで道のりは長いですが迷うことなく山頂に行けます。途中に真っすぐな尾根上を少し削った細長い曲輪や土橋上を歩いて行きます。城跡は主郭を中心に2方向に2段づつの連郭の曲輪があり登城路の方の曲輪に現在は薄くなってしまった堀切が見られます。比高が高いのが理由かどうかは分かりませんがそれ以外の凝らした防御設備遺構が見受けられませんでした。出城の役割をしたと思われる広瀬城とは正反対のかんじの山城でした。
 
 下山して車に戻ったのが18:00過ぎ、日が長くなってきたおかげで日帰り強行軍とはいえ早朝の松倉城から高堂城の5つの城たっぷり楽しみました。月曜日の勤務は疲れが残りゾンビみたいでしたげど‥‥(笑) 走行距離684㎞無事走破。

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半布里コミッティ

マンガ「斎藤新五利治」好評発売中! (2023/04/27 訪問)

令和5年3月に 「マンガふるさとの偉人 斎藤新五利治」 のマンガが発売されました。

★斎藤新五利治 加治田城2代目城主

このマンガは関高校の生徒さんと富加町の合同で制作されたものです。
巻末には資料編もあり、とても読み応えのある1冊です。
半布里コミッティも制作に携わらせていただきました。

令和5年3月26日には、タウンホールとみかにて刊行イベントも行われました。

富加町郷土資料館にて販売されています。(郵送で購入も可能です。)
 販売価格:400円(税込)

半布里コミッティのYoutubeチャンネルに制作の様子を配信しておりますので
そちらもご覧いただけると嬉しいです。

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堀尾吉晴 (2023/04/27 訪問)

 以前は浜松近郊に住んでいたので何度も来ていましたが、天守閣が2021年内部展示リニューアルオープンしてからは初めてとなります。大河ドラマ「どうする家康」の影響でしょうか。平日でも多くの人が来館されていました。昔から野面積みの武骨な石垣が好きです。
 この日は晴れていて富士山が見えていました。

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曳馬城 (2023/04/27 訪問)

 元城町東照宮には浜松城の前身である曳馬城の石碑や案内板等があります。以前に来た時より観光客が多い気がします。大河ドラマ「どうする家康」の影響ですね。この地に拠点を移した徳川家康は曳馬城を取り込む形の城割で浜松城を築城したといわれていますので、ここで投稿させていただきました。

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赤い城

佐竹氏の本拠地 (2023/04/23 訪問)

常陸を支配した佐竹氏が長く本拠としていた城です。
二の丸の若宮八幡宮に車を駐めて少しだけ歩いて見ました。
本丸は太田小学校、二の丸との間の道路は堀跡と思われます。
小学校校門の内側に別名である舞鶴城の石碑が立っています。
外側からでも写真は撮れます。
北側のJT所有の広い空き地周辺が三の丸。
この空き地では以前の発掘調査で堀などの遺構が見つかっています。
今では想像力を膨らますしかありません。
車に戻る途中、小学校の敷地端の櫓台を見学、街へと下る坂道もかつての導線だったのでしょう。

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カズサン

北側に残る内濠 (2023/03/21 訪問)

 埋められても広い北側の内濠、内濠は本丸・西の丸・東の丸を広く囲むように在ったそうです、現在は一部縮小されて残って居ます。
 櫓台編で投稿しましたが濠写真が残って居ましたので投稿させて頂きます。
 長々と見て頂きありがとうございました。
 
 

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カズサン

西の丸 (2023/03/21 訪問)

 津城の西の丸は本丸西側の馬出で本丸西黒鉄門と土橋で繋がり二の丸とは木橋で繋がっていました、現在埋められて消滅しましたが本丸東黒鉄門と繋がっていた東の丸も在り広い内濠に浮かぶように本丸・西の丸・東の丸が往時は在ったそうです、三つ揃った城郭構成が残って居ればさぞ凄かったことでしょう。
 さて現在西の丸は土橋の南側は少し埋められ西の丸南側と面を合わせて本丸に続き、内濠も埋められて高山神社、公共施設に成っています、木橋は土橋に変わり本丸と合わせて公園に成っていますが、二階門枡形、玉櫓台、西面石垣、北面石垣は現存です。
 また藩校有造館の講堂の正門である入徳門が移築されて西の丸公園に在ります。
 まだ残ってる内濠は西の丸・本丸を西側北側と囲み濠の広さを思い出させる見所の一つです。
 

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トク

熊本城の復旧状況(2023春) ⑧ 宇土櫓 (2023/03/30 訪問)

次は、現在最も問題となっている「宇土櫓」の現状です。

昨年夏に訪れた時、何やら大規模に石垣から堀の中、櫓下の土の中まで調査している姿を見て。もしかしたら大変な事になっているのでは? この石垣さらに現存櫓まで解体するという大事にならなければいいがと懸念している事をお伝えしましたが、その私のいやな予感は見事的中してしまいました。400年の歴史を持つ最大の現存櫓「宇土櫓」はついに解体されます(解体した資材は保存)。そのため宇土櫓周辺は現在立ち入り禁止になり、近づく事はできなくなりました。(写真①②③)

宇土櫓が建っている平左衛門丸の下の地中に亀裂が見つかったそうです。その影響で、石垣ははらんでおり、現在の状況では石垣から解体せざるを得ません。そのため上に建っている宇土櫓も解体されるようです。確かに金属ネットで崩落を抑えているこの石垣の現状では無理だと思いました(写真⑥)。

解体を待つ宇土櫓の前にはコンクリートの謎の物体が出現していました(昨年夏にはありませんでした)(写真①)。ここの地中に亀裂があります。このコンクリートの下で現在その亀裂に何らかの処置がなされているものと思いますが、詳細はわかりません。

宇土櫓下の空堀にも新たに何やら大規模なコンクリートの妙な物体が出現中(写真⑥)。これ何だと思いますか? 実は私もよくわかりません。あくまで予想ですが、堀の底の軟弱な地盤からコンクリートで固め、根石とその底からずれないように補強しているのではないでしょうか? しかし規則的な四角い枠と鉄筋が何なのかよくわかりません。かなり深く入っているように見えます。鉄筋で杭を造って大規模に堀底深くから固めているのかもしれません。また定期的に訪れ、この工事の様子を追って行きたいと思います。

宇土櫓を再建する際には、解体した資材(瓦・柱・壁板などの資材)を全てそっくりそのまま使い、解体前の元通りにする事が現存櫓としての要件を満たす最低条件になると思います。その中で再度同じ規模の地震が起きても壊れないよう耐震補強しなければなりません。しかし手を加えすぎると現存櫓ではなくなってしまいます。この難題をどうやってクリアするのか? ここにもぜひ注目したいと思います。

この大天守・小天守・宇土櫓と3つ並ぶ雄姿はしばらく見られなくなります。最後の雄姿を見たい方はお急ぎ下さい。おそらくもう間もなく宇土櫓の解体工事は始まります。そして10年後、再び現存櫓と呼べる形で甦り、その雄姿を再び見せてくれる事を信じて、私はその日を楽しみに待つ事にします。

最後に、ライトアップされた熊本城をお届けします。
 

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カズサン

月見櫓台・南多門櫓台・東多門櫓台・太鼓櫓台 (2023/03/21 訪問)

 津城の月見櫓台は本丸南東角を護る二重櫓が建ち、西に続く南多門櫓が埋門まで伸びていました、また北に続く東多門櫓が東黒鉄門枡形を構成する太鼓櫓(二重櫓)まで伸びていました。
 現在の東多門櫓台の高石垣は本丸地表に合わせられて半分ほど消滅していますが下の6~7段位の石垣は残っています、太鼓櫓台も下部石垣は残っています。
 南多門櫓の高石垣は現存で櫓台上を歩く事が出来ます。
 

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イオ

【かるた】二条城の読み札

徳川の 栄枯見守る 二条城

二条城は、家康の将軍就任祝賀の儀から慶喜の大政奉還まで、徳川家の栄枯盛衰を見守り続けてきた城なんだなぁ、という感慨を詠んでみました。二の丸御殿も唐門も、人がいっぱい写り込んだ写真しかないので、読み札のみで。

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todo94

2022年度最後の一日② (2023/03/31 訪問)

静岡市民文化会館の地下駐車場に車を停め、静岡まつりの準備が進められている駿府城を散策。桜はかろうじて見ごろをキープしていました。9時の開館時刻に合わせて「どうする家康静岡大河ドラマ館」に赴き、その後は10時に予約を入れてある献血ルームあおばへ。献血を無事済ませた後は、静岡市歴史博物館を見学いたしました。外堀の内側にあるこの博物館、敷石遺構展示はあるし、巽櫓を俯瞰する展望スポットもあるしで、かなり満足度の高い博物館でした。勿論、特別展も見てきましたとも。締めは、天守台発掘調査現場で発掘情報館きゃっしるも。静岡まつりの出店で弁当を購入し、昼食まで済ませてしまいました。長時間の駐車となりましたが、思いのほか、駐車料金は安かったです。充実の駿府滞在となりました。

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赤い城

馬坂城 茨城県常陸太田市 (2023/04/23 訪問)

佐竹氏の発祥の地として有名な城ですが未登録。
稲村神社に車を置いて登城しました。
登城口からすぐに復元された大手門があり、その先に畑となった主郭があります。
主郭には石碑と説明板があり、パンフレットも置いてありました。
散策路が設けてあり、それに沿って進みます。
逆に言うとそれ以外は私有地なのでご注意を。
順路に沿ってまずは民家の庭となっている内堀。
順路に戻り進むと堀切もあります。
西城と主郭の間にも堀があり、西城からは物見台の石洞山への尾根。
尾根上には二重堀切もありました。
西城袖曲輪には堀底道も付いています。
順路に沿い、水の手の井戸跡を見学、これで一周、主郭に戻りました。
整備されて歩きやすい城です。
遺構も良好でおすすめの城でした。
近くに佐竹寺がありますが境内撮影禁止なので参拝のみで次に向かいました。

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小城小次郎

失敗矢穴 (2022/11/27 訪問)

なんとなく気付いただけなので気のせいなのかもしれないが、名護屋城の石垣石には失敗した矢穴が多いような気がする。突貫工事で完成させる宿命を負わされた大城郭ならではの光景なのかもとちょっと思った。

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