たかどうじょう

高堂城

岐阜県高山市


旧国名 : 飛騨

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いんげん丸虫

県指定史跡 (2023/10/29 訪問)

標高778mの山城です。
三角形の主郭が山頂にあり、三方向
の尾根に平場の遺構があるのですが
目立った堀切、土塁などは無いので
やや面白味には欠けるでしょうか。
瓜巣公民館に案内板、駐車場があり
ます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)7日目:高堂城 (2023/04/24 訪問)

松倉城からの転戦です。城碑説明板前(36.195048、137.212278)から林道へ、ゲートを開けて進んで、林道終点に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)に広瀬左近将監利治によって築かれたとも云われますが、それ以前の寛正3年(1462年)頃とも考えられていまする。
広瀬氏累代の居城であったが、1583年(天正11年)広瀬山城守宗城のとき、三木自綱によって攻められ落城、宗城は討死しました。
広瀬宗城の子で広瀬兵庫頭宗直は、飛騨を脱して越前国大野城主の金森長近の元に身を寄せました。
その後、三木自綱は家督を二男秀綱に譲り、隠居して高堂城と広瀬城を居城としました。 この三木自綱の時代に城は大きく改修されたそうです。
1585年(天正13年)羽柴秀吉の命により金森長近が飛騨へ侵攻するとその先導役として活躍し、高堂城・広瀬城に籠もった三木自綱を降伏させ、その後、高堂城も廃城となったようです。

麓の公民館左の城碑・説明板前から主郭まで約2Kmくらいだと思います。
距離はありますが「馬止場」から主郭までの最後200mを除いて比較的歩き易いです。
主郭は山頂にあり、主郭部付近には土塁や堀切などはありませんが、高い切岸はあります。
麓の外気温9℃でしたが、山頂の主郭は風があり、体感で5~6℃。とにかく寒かった。
攻城時間は80分くらいでした。次の攻城先=広瀬氏居館(城びと未登録 岐阜県高山市)に向かいます。

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ぴーかる

高堂城 (2023/03/19 訪問)

【高堂城】
<駐車場他>瓜巣公民館または瓜巣公民館横の砂利道を北上しゲート先300m程の城跡分岐地点に駐車できます。
<交通手段>車

<見所>尾根曲輪
<感想>日帰り強行飛騨山城攻めの旅ラスト5城目。現地説明板によるとこの城は古くはタカウドの城と呼ばれ、天文年間(1532~1555年)に広瀬左近将監利治によって築かれたとされます。天正年中(1573~1592)に三木自綱が本城を攻め落として以降は三木自綱の居城となりますが1585年に金森長近の攻撃を受けて落城します。この高堂城が詰城、山の塁線を北東側に寺洞砦、さらに北東側に出城として広瀬城がありました。
 瓜巣公民館に駐車し登城しました。公民館からは1.8㎞の登山となります。上記分岐から更に奥の轍が無くなるまで(城跡まで1.2㎞)は車で進めますが少し悪路です。登城路は踏み跡、道になっているので城跡まで道のりは長いですが迷うことなく山頂に行けます。途中に真っすぐな尾根上を少し削った細長い曲輪や土橋上を歩いて行きます。城跡は主郭を中心に2方向に2段づつの連郭の曲輪があり登城路の方の曲輪に現在は薄くなってしまった堀切が見られます。比高が高いのが理由かどうかは分かりませんがそれ以外の凝らした防御設備遺構が見受けられませんでした。出城の役割をしたと思われる広瀬城とは正反対のかんじの山城でした。
 
 下山して車に戻ったのが18:00過ぎ、日が長くなってきたおかげで日帰り強行軍とはいえ早朝の松倉城から高堂城の5つの城たっぷり楽しみました。月曜日の勤務は疲れが残りゾンビみたいでしたげど‥‥(笑) 走行距離684㎞無事走破。

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小城小次郎

高堂城

隣の広瀬城は繊細だがこちらはむしろ大雑把。でも広瀬城より高くて広くて大きくて、どちらがメインかと問われると非常に悩む。。主郭周辺の石垣にはほんの少しだけ「見せる」意思を感じたりもする。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 広瀬利治
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 広瀬氏、三木氏
遺構 曲輪、堀切
指定文化財 県史跡(高堂城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県高山市国府町瓜巣
問い合わせ先 高山市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0577-35-3156