鎌倉時代、宇都宮氏第7代・宇都宮景綱の弟の系譜を引く宇都宮泰貞が戸祭氏を名乗り築城したと伝わります。石碑がありました。遺構はないと思われます。石碑の横に説明が彫られていると思われますが、よく読めません。
東武宇都宮駅から徒歩15分くらいで石碑に行くことができます。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2026/11/08 21:50
2025/01/23 21:51
2024/04/04 18:35
【Makuake】通知設定が完了しました… (2024/02/23 訪問)
“【Makuake】通知設定が完了しました”と,Makuake運営担当からメールが届きました。
しかし,プロジェクト開始日は「城の日」。すでに攻城予定を入れているので,夜になっちゃいますが…。
ということで,CFの通知設定完了です。
あれっ,宣伝画像の読み札差し変わってるゾ…。
これは,スタッフから私に対するメッセージ性を感じます。
こういう投稿を欲しがっていたでしょ…???
戸祭城はバーターのバーターです。この一手はたぶん読まれていたと思いますので,早出しします。
「戸祭城 標柱1本 ポチひとつ」
久々のお城川柳ですが,ある城の上五を変えただけ。
見つけるのに難儀するかな…と思っていたら,すんなりでした。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2023/10/14 17:45
宇都宮城から徒歩で行きました。 (2023/08/16 訪問)
宇都宮城から2kmくらいです。
途中、中央通りといちょう通りの交差するところに大きないちょうの木が見えました。
近づいてみると、この場所は宇都宮城の三の丸と百間堀の境の土塁で、いちょうの木は宇都宮城の清明館で催されていた「うつのみやの戦災展」でいただいた資料にあった「復興のシンボル 大いちょう」でした。宇都宮空襲で被害を受けて黒焦げになってしまったものの翌年には新芽を吹き、青々とした葉を茂らせたのだそうです。隣接するビルの9階よりも大きいです。
推定樹齢400年ということは、宇都宮家終焉の頃に芽吹き、秀忠から家慶までの日光社参や、本多正純の町づくりから改易までも見てきたのでしょう。戊辰戦争では、この木自身が危ない目に遭ったかもしれません。
その先には宇都宮城大手門跡。
戸祭城に向かっているのですが、まだまだ宇都宮城内です。
県庁の西側、昭和小学校の裏の路地に戸祭城の城碑がありました。お住まいの方以外の人や車は通らないような静かな通りです。
石碑が城址を示すだけではありましたが、戸祭城のおかげで宇都宮城の見ていなかった遺構や跡地を通ることができたので、行ってみてよかったです。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 戸祭高定 |
| 築城年 | 不明 |
| 主な城主 | 戸祭氏 |
| 遺構 | 消滅 |
| 再建造物 | 石碑 |
| 住所 | 栃木県宇都宮市戸祭元町 |