こいずみじょう

小泉城

群馬県邑楽郡

別名 : 富岡城
旧国名 : 上野

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イタさん

散歩者が目立つ城址公園 (2024/08/15 訪問)

説明板に、富岡氏六代、100年間の居城で、遺構は北条氏傘下の時代に改築されたと思われる。小田原攻めの際に廃城になる、と記されている。

城址公園として整備され、駐車場も東西にあり、入口には模擬石垣が造られている。本丸の東虎口の前は二の丸と表記されているが、駐車場・公園一部・宅地になっている。本丸を囲む堀・土塁は良く残る。外郭の西から南は民家・学校になる。北から西の一部まで堀・土塁が残る。本丸・外郭もだが、虎口以外に橋があり中へ入れるが、良くある整備では土塁を開口してしまうが、ここでは土塁に石段を設けて上り下りをする。崩れ防止だろうが、堀の法面は石垣風になっており、本丸土塁の下部(腰巻)も強化されている。説明に櫓台跡、折れを伴う横矢掛がみられるとある通りよく残っている。

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城之内公園 (2023/08/10 訪問)

東武鉄道小泉線西小泉駅から徒歩で約15分、城之内公園が跡地です。水堀や土塁が残っていています。

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城好きのメガネ

「小泉城」 (2020/03/22 訪問)

<オススメ>★★★★☆
小泉城は富岡氏の代々の居城である。富岡重朝は古河公方に属するが上杉謙信の関東侵攻の際に館林城攻めに加わる。その後、後北条氏の傘下に入り、所領を安堵される。富岡秀朝(重朝の子)の代になると後北条氏の傘下にあり、武田勝頼によって城下を焼き討ちされる。小田原征伐では館林城に手勢を率いて籠城し、石田三成軍と戦う。改易となり、廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
東武鉄道小泉線 小泉町駅 徒歩15分

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チェブ

大泉町の小泉城。 (2019/11/30 訪問)

ちょうど1ヶ月前位に行った「小泉城」です。
空っ風が吹いていて寒かったので、今では完全防備で行った方が良いかも、です!
群馬県 邑楽郡(おうらぐん) 大泉町の城之内公園が「小泉城」のお城跡です。

古河公方 足利 成氏さんから邑楽郡辺りの所領を与えられた、富岡 直光さんが「富岡城」を築城しました。その「富岡城」が「小泉城」と呼ばれます。
富岡氏は古河公方→上杉 謙信さん→北条氏と仕えました。「小泉城」は秀吉さんの北条征伐で廃城しました。
城之内公園は整備された公園です。駐車場もあり、写真①が駐車場入口の右側です。左側は奥に中学校。サッカー中だったので、写真は控えました。
中学校は三の丸になります。
護岸工事がしてあるので水堀、大手橋が現代的です。
公園内は土塁が長く残っています。
古墳があったり、忠霊塔があったり、庚申と彫られた石碑がたくさん土塁の内側にあったり薄暗い時間帯は怖そうな「小泉城」です。

今晩、「国民10万人がガチ投票 戦国武将総選挙」がTVで放映されます。
お城の武将好きな私は楽しみにしてるのですが、お馴染みの武将さんばかりがノミネートするのでしょうね。
今、私は大島 光義さん押しです。
93歳で関ヶ原の合戦に参加します。
「九十三歳の関ヶ原」という本で、とても面白かったです。お正月休み、お暇でしたらいかがでしょうか?

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 なし
築城主 富岡直光
築城年 延徳元年(1489)
主な城主 富岡氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 土塁、横堀(水堀)
指定文化財 町史跡(小泉城跡(富岡城跡)附、城之内古墳(復元))
再建造物 説明板
住所 群馬県邑楽郡大泉町(城之内公園)
問い合わせ先 大泉町教育委員会事務局スポーツ文化振興課
問い合わせ先電話番号 0276-63-3111