説明板に、富岡氏六代、100年間の居城で、遺構は北条氏傘下の時代に改築されたと思われる。小田原攻めの際に廃城になる、と記されている。
城址公園として整備され、駐車場も東西にあり、入口には模擬石垣が造られている。本丸の東虎口の前は二の丸と表記されているが、駐車場・公園一部・宅地になっている。本丸を囲む堀・土塁は良く残る。外郭の西から南は民家・学校になる。北から西の一部まで堀・土塁が残る。本丸・外郭もだが、虎口以外に橋があり中へ入れるが、良くある整備では土塁を開口してしまうが、ここでは土塁に石段を設けて上り下りをする。崩れ防止だろうが、堀の法面は石垣風になっており、本丸土塁の下部(腰巻)も強化されている。説明に櫓台跡、折れを伴う横矢掛がみられるとある通りよく残っている。
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