説明板に、鎌倉中期の文永2年(1265)新田義重の子孫、中野景継により築城され、以後同氏の居城となった。景継の子・藤内左衛門が新田義貞とともに戦死したため、築城73年で廃城になった・・・。東西110m・南北140mにおよび、わずかに南面に塁濠跡が確認でき・・・とある。
単郭の館跡で城跡は神光寺が建っている。土曜日のためか駐車場から扉・柵があり本堂側に行けず、道路にでて山門側へまわる。山門前に説明板があり城跡と分かる。山門前脇に群馬県指定天然記念物・大カヤがある。植木などよく手入れをされており境内は煩雑さがまったくない。遺構だが、南面に塁濠跡が確認でき、と載っているが本堂左・裏手は墓地で、接して民家があるので確認しなかった。先人さんの見解に、東北隅にわずかな高まりがあり、これが唯一らしい、確かに土塁跡に思える。寺域は四角だろうが、ここだけ角が欠けて塀がない。
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