はにゅうじょう

羽生城

埼玉県羽生市


旧国名 : 武蔵

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昌官忠

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り②:羽生城 (2026/04/08 訪問)

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り2城目は羽生城です。館林城からの転戦です。
羽生駅から徒歩20分ちょっとで、古城天満宮入口(36.175422、139.549907)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)はじめ頃に広田式部大輔直繋によって築かれたと云われています。
古河公方に従っていた広田直繁、木戸忠朝らが守っていましたが、永禄年間(1558年〜1570年)に上杉謙信が関東に入るとそれに従いました。
謙信が越後に戻ると小田原北条氏と戦いましたが、1574年(天正2年)に落城し、木戸忠朝らは上野国膳城に引き上げたそうです。
その後、北条氏の家臣となっていた忍城の成田氏長が羽生城を管理し、成田長親が城代となります。
1590年(天正18年)豊臣秀吉による小田原征伐で、羽生城は破棄され忍城に籠城してこれを迎え撃ったそうです。
1590年(天正18年)徳川家康が関東に入部すると重臣大久保忠隣が20,000石で羽生城主となり、父忠世が没すると家督を継いで小田原城主となりますが、羽生の領地も維持されたそうです。
しかし、1614年(慶長19年)大久保忠隣は改易となり、羽生城は破棄されました。

古城天満宮のあるところが天神郭のようです。
遺構は残っていないようですが、古城天満宮の入口に石碑と説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=羽生陣屋(城びと未登録 埼玉県羽生市)に徒歩で向かいます。

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dougen

2025.3.9登城 (2025/03/09 訪問)

羽生市役所の北側にある古城天満宮が羽生城址となります。
往時は周辺は沼地だった様ですが、すっかり埋め立てられており、往時を偲ぶことはできません。
遺構としては、天満宮の敷地が天神郭跡となるぐらいで、それ以外特にありません。
市の史跡に指定されており、解説板や石碑が設置されています。

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カズサン

やっと初登城しました! (2025/06/04 訪問)

 羽生城は忍城の様な湿田、沼、池に囲まれた縄張の城郭で、皆さん投稿の縄張図が脳裏に残って居り、初めての様な気がしませんでした。

 駐車場:特に無し、但し城跡の古城天満宮南前が広い道で路駐可能。
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさん城びと投稿者グーグルマップに依る。

 東北道は数拾回とも往復しておりますが、優先度が低いのか他を優先しての通過状態でしたが、今回孫の運動会観戦で宇都宮を訪ねる途中に、羽生ICを降りて立寄りました、インターからは3~4km程で近く住宅街、工場地帯特に曙ブレーキ工業の東隣と言うエリアです。

 先ずは古城天満宮門前に在る石碑、縄張図付き案内板、天満宮・羽生城解説板が揃って立っており目に付きます。羽生城縄張図付き案内板は皆さんの投稿写真で目にしており、やっと見る事が出来たと言うう安堵感と達成感で初めてですがお久しぶりと言う感じ。
 羽生城には家康関東移封時に大久保忠隣が入っていたのですね、その後家康の怒りにふれ改易廃城慶長19年(1614年)、古城天満宮は天神郭跡に当たり他の郭は消滅し遺構は残って居ない。(案内板に依る)

 石碑、案内板の写真を撮り、グーグルマップに芭蕉句碑史跡マークが有り探すが良く分からない、自然石に芭蕉の文字が有りコレかなと撮影するが文字が読めない。また天満宮には存在する牛の置物が石像で飾って有り、毎日お参りしてると言う老婦人がこの石像は舅が彫った牛の石像との事、しばし会話を楽しみました。
 古城天満宮に参拝して終了としました。
  

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古城天満宮 (2023/08/10 訪問)

 古城天満宮付近が跡地とのことです。遺構はないと思われます。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 廣田直繁
築城年 天文9年(1540)頃
主な城主 廣田氏、大久保氏
廃城年 慶長19年(1614)
遺構 曲輪
指定文化財 市史跡(羽生城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 埼玉県羽生市東5
問い合わせ先 羽生市役所
問い合わせ先電話番号 048-561-1121