あかいわじょう

赤岩城

群馬県邑楽郡


旧国名 : 上野

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イタさん

木々が多く、四季折々で楽しめるとある (2026/07/04 訪問)

先人さんの情報では、鎌倉時代に佐貫次郎太郎嗣綱が築いたとされる。城跡は光恩寺の寺域になり、山門の右には初の女性医師・荻野吟子の生家の長屋門が移築されている。生家は現在の埼玉県熊谷市妻沼の名主の家の生まれとあるので、いきさつは不明だが明治23年以前に光恩寺さんに移築されている。

山門前には堀跡が残る。本堂の左(西側)辺りにも堀跡・土塁跡らしきものが確認でき、背後に回り込むと明らかに土塁・堀跡が見られる。整備された道が先に続くため向かうと、こんもりした岡があり階段で上がれる。上の左端には鐘楼があり、反対右端には佐貫氏の子孫と言われる赤井照光(尾曳城または館林城城主)の墓碑(五輪塔)が建立されている。訪問時は城の一部と思う程度だったが、帰宅後先人さんの情報を見ると、古墳(堂山古墳)らしく櫓台・物見台として利用されたように載っている。堂山の南一帯は重機が入り工事中の為行かないが、朱色の阿弥陀堂が見える。遺構は山門前と本堂左から背後にかけての土塁・堀が分かる程度だった。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「舞木城」。 (2026/02/21 訪問)

「赤岩城」と同じ群馬県 邑楽郡 千代田町にある「舞木城」は児童公園に説明板と『藤原秀郷誕生之地』の石碑がありました。
説明板によると、藤原 秀郷さんが築城しました。
宅地化させる前は、小学校だったそうです。なので、遺構はありません。
説明板には赤井氏が「大袋城」から「舞木城」に年始の挨拶に行く途中に子狐を助け、後に狐の導きにより「館林城」を築城したそうです。
お話の3城の線、日本昔ばなしみたいです。

私の住む東京の端っこには、都の指定天然記念物の椎の木があります。「舞木城」の築城者、藤原 秀郷さんが植えたそうです。
藤原 秀郷さんを調べると『大百足退治の伝説』が滋賀県にあるようです。

赤井氏と藤原 秀郷さんの歩いた道を、たどってみたいです。
いつも、討死や自刃を文中に書き込みますが、子狐や百足。
何か平和な「舞木城」攻めでした。

*赤い城さん、おめでとうございます。
お城攻めはもちろん、転職、お引越しと 同世代として敬服しました。
これからも、赤い城さんの活躍を楽しみにしてますよ。

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todo94

お盆の攻城③ (2024/08/15 訪問)

旧新田郡の太田市を抜けて群馬県最東端の邑楽(おうら)郡へと進みます。上毛カルタで「鶴舞う形の群馬県」と詠まれている群馬県の鶴の首にあたる部分が邑楽郡です。高崎からは隣県栃木県の足利市の方が近いので県内といえどもなかなか足を伸ばしにくい地域ではあります。とある煩悩の登城目録さんに倣って合格の門と日本初の女医さんの石像なども見て回りました。その奥の池では睡蓮も咲いていました。光恩寺本堂の裏手にある堂山古墳の土塁も城の遺構のように見えてしまいます。

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光恩寺 (2023/08/10 訪問)

光恩寺が跡地です。山門前と寺の背後に浅くなっていると思いますが空堀が残っています。

 城とは関係ありませんが、寺の隣には日本公許登録女性医師第1号となった荻野吟子女史生家の長屋門が移築されています。当時女性には国家試験の受験資格がなく、その道を切り開いた方ということで寺では「合格の門」として正月に開放しているようです。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 佐貫嗣綱
築城年 鎌倉時代
主な城主 佐貫氏
遺構 曲輪、横堀(空堀)
住所 群馬県邑楽郡千代田町赤岩桜山1036他