貞治6年(1367)亀山城主関盛盛政の長男盛澄が神戸氏を名乗り、天文年間(1532~55)
に神戸氏によって神戸城は築かれたとされています。永禄10年(1567)織田信長三男信孝
が神戸氏の養子に入り元亀2年(1571)神戸城主になります。天正8年、神戸城の拡張工事
がなされ五層の天守が築かれたとされ本丸北西部には大きな天守台が残っています。
南西には土塁が残り本丸西側から南側にかけて水堀が残っています。かつての二の丸・
三の丸は神戸高校の敷地内になっているようです。鈴鹿市の蓮華寺に本多氏の時代に
二の丸に築かれていた平櫓が移築されています。四日市市の顕正寺には城門が移築されて
います。
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