宮沢遺跡と東北道沿い未踏の城探訪の3日目、前泊の福島市から東北道須賀川ICを降りて県道63号線走行し福島空港横を通て大寺城跡公園と成ってる大寺城を初登城。
住所:福島県石川郡玉川村大字南須釜舘坂(大寺城跡公園)
駐車場:大寺城主郭下と藤の丸の間に4台ほど駐車可能、トイレ有。(37°12'22"N 140°27'21"E)
参考資料:古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。
城びとには登録されていませんが、丹羽長重さんが2020年8月に登城投稿されて居り、城郭放浪記さん昨日のTOP10にも揚がっており、ピックアップし今回の城探訪に加えました。
県道63号線で集落に入り堀切のような道、出丸であった東福寺の反対の北側に大寺城跡の案内指示板が出て居り、細いですが舗装されて道が大寺城址公園・駐車場まで繋がっています。
駐車場からクランクした階段を段曲輪越しに主郭虎口へ、広く南は一段浅く落ちてる、北東角には自然石の大寺城主之碑が立ってる、中心には祠が祀られている、東屋は北側、近くに平成26年の大沢城の昔と今としてのパネルが写真入りで紹介されている。
主郭東下に富士の丸今は枝垂れ桜で葉が茂り鬱蒼としてる、その東下に堀切の様な峠道?南、東に曲輪が段々の様に見受けられるが畑か草茂り良くは判らない。主郭、腰曲輪2段、下の段曲輪には東屋が建てる、富士の丸はよく整備されていてこじんまりと探訪し易い城跡です。
歴史的には承保元年(1074年)石川有光により築城され石川氏代々の居城、2代3代の50年間に本丸、二の丸、三の丸、富士の丸が整えられた。文安三年(1446年)13代光義の時、石川町中野から薬師如来・日、月天・十二神将を東福寺境内に移したのにちなんで石亀ノ里大寺と改め、大寺氏を名乗るようになった。
天正十七年(1589年)伊達政宗の来攻の際には所領争いの確執などから須賀川の二階堂氏と共に敗れ石川昭光の軍門に降ったために大寺城も没収され破壊されたと伝えられてる。(案内解説板抜粋)
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