広島城は九か国112万石の大名となった毛利輝元によって天正17年に普請がなされました。中州に城を築く工事は大変な苦労を伴うものだったらしく川を堰き止め、島を普請するところから始めなければならなかったようです。
関ヶ原の合戦の後、福島正則が入り城下の整備に尽力しますが幕府から石垣の無断修理を咎められ(いいがかりに近い)信濃国高井郡および越後国魚沼郡4万5000石に減封されたうえ正則の死後、遺体を勝手に火葬にしたとして改易されてしまいます。(酷すぎる)
大晦日の夕暮れ滑り込みに近いかたちで訪問してきました。天守が閉まっているのは知っていますが山口に行く前に寄っておきたかったのです。大晦日で護国神社の前は屋台の準備で忙しそう。屋台のオッサンの顔が恐いです。さすがは本場ですね(何の?)
二の丸周辺を散策し表御門を拝見。この日はこれで退散しました。この後、大晦日の夜と元日はすごい人だかりになるのでしょうね。
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