永原御殿は、室町期に永原氏が築いた永原城を前身として、この地を与えられた徳川家康が上洛時の宿所として築いた館城で、秀忠、家光の三代にわたって使用されましたが、家光以降は幕末まで将軍の上洛はなかったことから、江戸前期に役目を終えて廃城となりました。
出張!お城EXPOでのテーマ展示やパネル展&紙芝居により永原御殿の予備知識と発掘調査現地説明会資料を仕入れた上で、本丸東辺の堀跡に設けられた駐車場から登城開始。駐車場奥の説明板の立つ位置が東之御門跡で、その脇から本丸内へ。本丸内の御殿は遺っていませんが、建築図面が伝えられている上に、発掘調査により古御殿の建物礎石や御亭の基壇が確認されています。まずは時計回りに本丸内を一周。大手門にあたる南之御門跡は東側にブルーシートが掛けられていますが、発掘調査により櫓門の存在が裏付けられています。南辺の土塁をたどり南西隅には坤御矢倉跡、さらに西辺の土塁沿いに北に向かうと乾角御矢倉跡があります。乾角御矢倉は平櫓だったようですが、発掘調査では櫓の礎石列や櫓に登るための雁木が確認されています。本丸の北部は未整備ながら、竹藪の中に北辺の土塁が続いていました。
駐車場に戻ると今度は反時計回りに外周をひとめぐり。北東隅部には永原御殿址の石碑があり、北西隅から西辺を南に進むと土塁沿いに堀が続き、その手前の田んぼも堀跡と思われます。南西隅から二の丸南辺を東に進むと、本丸外周南東辺に土塁基底部の石垣が遺り、その手前の田んぼが堀跡のようです。
また、永原御殿から北東約750mの浄専寺には永原御殿の御門が移築されています。近くの説明板によれば、御門とあわせて石垣も移設されているとのことで、門の東側の石垣を見てみると、なるほど矢穴のある石垣がいくつも見つかりました。
…ということで、未整備の部分もありますが周囲(東辺以外)を囲む土塁は状態良く遺り、発掘調査も進められていて、出張!お城EXPOで聞いた話では、史跡公園として整備される計画もあるそうで、これからがますます楽しみな永原御殿でした。
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