白虎隊士のお墓参りとともにいつも行きます
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2023/12/18 11:19
鶴ヶ城 (2019/02/02 訪問)
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2023/12/18 10:55
18年振登城明石城ダイジェスト版 (2023/11/27 訪問)
平成17年兄と登城し18年振りに再々登城しました、先に7編に分けて投稿させて頂きましたが明石城の見所焦点がぼやけてしまいがちなので、10枚に絞って投稿させて頂きます。
何といっても本丸の南側に聳える二つの現存櫓、巽三重櫓と坤三重櫓を白土塀、高石垣を挟んで白鳥が飛ぶ様な景観が最大の見所です、それを支える主要郭群の素晴らしい城塁高石垣も素晴らしく何時間いても飽きません。
結局長居して後の予定の阪神間未踏の城廻り1城を陽も暗くなり断念した次第です。
長々と明石城の投稿、8編に渡りお付き合い頂きましてありがとうございました。
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2023/12/18 07:11
5個目のピンバッジ、ゲット (2023/12/17 訪問)
一昨年、新型コロナウイルス感染症対策のための入場制限でピンバッジを購入することができず、もう二度と来ないと思っていたお城EXPOですが、サタデーナイトプログラムに誘われてきてしまいました。都響メンバーによる演奏は圧巻の一言。私は大河ドラママニアで「風と雲と虹と」もリアルタイムで視聴していましたから、非常に楽しめました。英雄たちの選択でなじみのある平山先生の声、天正壬午の乱の講演も勉強になりました。日曜日、開城25分前に到着したのですが、すでに長蛇の列が出来上がっていました。無事、ピンバッジ、ゲットできました。尼子十旗のようなマニアックなブースが増えてきてうれしいです。津久井城ではしっかりと説明を拝聴させていただきました。
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2023/12/17 23:43
2023/12/17 21:47
要所に石垣を残す勝尾城 (2023/10/11 訪問)
10月の福岡旅行で訪れた1つ目の城が佐賀県鳥栖市の勝尾城。
筑後平野の西の山沿い、河内川が流れる谷の周囲に城館群を構えた筑紫氏。
その最奥部に位置する標高約500mの本城が勝尾城。
一説では1400年代前半に渋川氏が築いたとのこと。
1500年頃の筑紫満門入城以降は、島津氏に落とされるまで筑紫氏5代が約90年間に渡り支配しました。
現在は国史跡の勝尾城筑紫氏遺跡に指定され、要所に石垣を残す山城跡。
訪問時は神社が建つ筑紫氏館跡から、石がゴロゴロとした山道を登り勝尾城へ。
平場の狭い大手曲輪を通り主郭へ向かったものの、分岐点を見逃し引き返すことに。
主郭は石垣不在ながら広さのある削平地で、発掘調査により石材を使用した複数の遺構が発見されている模様。
3時間強の滞在で1番の見どころに思えたのはL字状の伝二ノ丸虎口。ここでは他より強いオーラを感じた、私の城郭巡りの160城目でした。
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2023/12/17 21:18
国史跡、玉石積の美しい城として整備が進む平山城
高天神城攻略の拠点として天正6年(1578)家康が大須賀康高に命じ築城した。天竜川から運ばれた丸い石を積み上げた玉石垣でできている。東西に大手門を持つ両頭の城とも言われた。高天神城攻略後高天神城は廃城となり、代わりに遠江南部の中心となる。浜街道を押さえ、また湊が近く海上交通の押さえもした。288年間20代の城主が在城した。
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2023/12/17 21:15
深田に浮かぶ平山城まむしづかじょう
遠州小笠原氏ゆかりの平山城。湿地に突き出た標高5m舌状台地先端にあり、主郭東の大土塁に諏訪神社が祀られ虎口に石碑がある。南北600mの規模があり、案内板を参考に歩くと集落の区切りとなる部分で遺構は失われたが堀切があったのがわかる。天正2年(1574)武田勝頼が高天神城を押さえると、徳川家康反攻の最前線となり兵の駐屯地として利用されたそうだ。
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2023/12/17 21:14
最上勢1万に攻められるも奮闘す。 (2021/05/04 訪問)
大森城は標高121m、比高70mほどの丘陵上に築かれ大森公園として整備されています。横手城主小野寺泰道の四男、長門守道高の築城によるものとされ、最後部が主郭、南西に向かって多数の扁平地が段々に配され、南東にある休憩所が二の丸とされています。
段々の扁平地は公園化による後の時代の築造かは不明です。しかし慶長5年(1600)10月に最上軍1万に囲まれるも城主小野寺康道は奮戦し和睦にまでこぎつけたというので決して防御力の弱い城では無かったと思います。
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2023/12/17 21:11
かつて三方向を水堀に囲まれた平山城
久野氏が勢力を張る。今川氏に従い遠江へ侵攻するための拠点として明応年間(1492-1501)頃に築城された。天正18年(1590)から慶長8年(1603)にかけて城主であった松下之綱・重綱時代の復元イラストが看板にあったが、土の城で三方が水であった。その様子が髣髴される。城は地元の方々の保存会によりよく整備され、曲輪が連携し守りを固めているのがよくわかる。散策するのが楽しい。
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2023/12/17 19:43
川を背にした縄張りの城 (2022/10/08 訪問)
豊橋公園の駐車場に車を駐車し登城開始。
旧三の丸、金柑丸を通って裏御門跡から本丸へ。本丸南側は石垣修復工事中のため見られなかったが、北西に模擬再建された三重の鉄櫓が目に留まる。櫓内で続日本100名城スタンプポン。展示を見たのち腰曲輪へ下りると、豊川が守りの役割を果たしていたのがよくわかる。
城から近い老舗に立ち寄り、豊橋市グルメの田楽と豆ちくわで腹ごしらえをし、再び場内を散策してから二川宿本陣資料館へ。香川元太郎城郭原画展を観覧。好奇心をくすぐられるイラストが並び堪能できました。
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2023/12/17 18:52
沼館城 源義家ですら落とせなかった水柵 (2021/05/04 訪問)
沼館城は後三年の役の際、清原家衡氏が寄った沼の柵と同一と見られています。水柵とも言われた沼の柵の防御は固く攻め手の源義家も落とすことはできず飢えと寒さで多くの兵を失い陸奥へ引き上げていったそうです。その後家衡は金沢の柵に移り、義家に攻められ滅んでしまいました。沼館城は戦国期には小野寺氏の城になっており12代・小野寺稙道が入ったとされています。
蔵光院が本丸跡とされ今でも周囲に立派な土塁が残っています。本丸より北の雄物川小学校が二の丸跡と見られているようです。
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2023/12/17 18:09
イオさんありましたよ&皆様ありがとうございます (2023/12/17 訪問)
17日行って参りました
やはり気になるのはかるたの見本です
自分の投稿で採用されていたものがあり、ホッと致しました
そして、イオさんのも複数発見!!
流石ですっ!
(ネタバレにならないようお名前だけの写真にしましたが、この投稿自体がネタバレでお嫌でしたら申し訳ありません)
m(_ _)m
チェブさんからの伝言もありがとうございました
私はあまり投稿しないので、御伝言を受ける資格もなく恐縮ですが、とても嬉しかったです
小城先生、先生に文字札を頼んでしまって申し訳ありません
今、考えると恐れ多い💦💦💦
気さくな皆様とお話し出来てとても楽しかったです
皆様、本当にありがとうございました
(^∇^)ノ♪
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2023/12/17 18:07
歴史は古いが構造は戦国期の遺構を残す。 (2021/05/04 訪問)
金沢柵は横手市金沢公園として整備されています。とはいえ、公園とは名ばかりで実態は普通の山城遺構です。後三年の役で源義家に滅ぼされた清原氏の城館とされています。最高所に金沢八幡宮(皮肉ですか)が置かれ、本丸の雰囲気を出していますが二の丸です。二の丸から二段さがった所に駐車場があり、南に西の丸が置かれます。本丸から見て西ということですね。二の丸を中心に東西南北すべてに郭が配され本丸は東に存在します。本丸はかなりの広さがあり、発掘調査では掘立柱建物の痕跡があったそうです。
歴史は古いですが、堀切や土塁など高度な山城の遺構を備えており、戦国期には南部氏や小野寺氏の持ち城となり小野寺氏家臣・金沢権十郎が入っていたようです。
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2023/12/17 17:42
2023/12/17 16:26
2023/12/17 15:49
鶴ヶ岡城址公園。周辺には致道博物館や致道館がある。 (2021/05/03 訪問)
鶴ヶ岡城は鶴ヶ岡城址公園として整備されていて往時のように二重の堀切が残っています。本丸中心に荘内神社が鎮座し、南東の中門跡に大宝館が建っています。本丸の周囲を二の丸が囲み南を除く三方に広場が広がっています。二の丸南西部より堀を隔てた先には三日月堀を備えた枡形と三の丸が有りましたが、現在は致道博物館になっており藩主の隠居所であった御隠殿と国の名勝・酒井氏庭園があります。
鶴ヶ岡城の前身は大宝寺城で出羽国大泉荘の地頭・大泉氏によって築かれたそうです。最上氏の時代に東禅寺城が亀ヶ崎城と改名された際に大宝寺城も鶴ヶ岡城と改名されたそうです。最上氏が改易になると酒井氏が入り幕末の戊辰戦争では庄内藩は新政府軍と戦っています。
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2023/12/17 14:26
2023/12/17 13:01
2023/12/17 12:26
キャッスル・イン・ハイスクール (2021/05/03 訪問)
亀ヶ崎城は文明10年(1478)に武藤氏が築いた東禅寺城が始まりとされています。上杉氏、最上氏と領主が入れ替わり最上氏が改易の後に酒井氏が庄内を領し城代が置かれたそうです。かつては隣接する本丸と二の丸を堀が囲み新井田川から水を引きこみ外堀としていたようです。現在は酒田東高校の敷地となり二の丸に校舎が置かれ、かつての本丸はグラウンドになっているようで内堀は消滅したようです。
二の丸周辺には土塁が残っていて往時をしのばせます。こうして学び舎となった後でも土塁などの遺構をのこしていただけるのは非常にありがたいことで、青少年の情緒教育の一端になれば良いな(将来は城びと?)と思ったりします。
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2023/12/17 11:54
桜の名所・大山公園として整備。 (2021/05/03 訪問)
尾浦城は標高50m(比高30m)の大平山・金剛山・鳥打山などが連なる丘陵上に築かれています。天文元年(1532)武藤氏によって築かれたとされ、大山公園として整備されています。主郭には三吉神社、二の丸には古峯神社、西の郭には東屋や石碑が立っています。お手軽なハイキングコースにもなっていて私は西郭から二の丸→本丸と散策しています。各郭に山の名前が付いていますが城下大系には大平山の先端部の丘陵と記されており、それほど苦労することはありません。
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