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中央市場前駅より (2022/04/23 訪問)

神戸市営地下鉄海岸線「中央市場前駅」より登城しました。遺構はありません。発掘調査で出た石を使った模擬石垣や案内板を見ることができます。

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荒木村重 (2022/04/23 訪問)

 神戸市営地下鉄海岸線「みなと元町」駅から徒歩にて登城しました。模擬石垣が城址の雰囲気を醸し出しています。近くの福徳寺に「花隈城天主閣之跡」の石碑があります。

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御影駅前 (2022/04/23 訪問)

阪急神戸線「御影駅」北口を出たところに御影城の石碑があります。遺構はありません。

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大社小学校 (2022/04/23 訪問)

阪急神戸線「夙川駅」より徒歩にて登城しました。西宮市立大社小学校の近くに石碑と案内板があります。遺構はないと思われます。

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武庫之荘駅より (2022/04/23 訪問)

 阪急神戸線「武庫之荘駅」より徒歩にて登城しました。土塁などが一部残っています。

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光専寺 (2022/04/23 訪問)

 阪急神戸線「神崎川駅」より徒歩にて登城しました。光専寺周辺が推定地ですが遺構はありません。寺の入り口に案内板があります。

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朝田 辰兵衛

約2年ぶりにリベンジしました。 (2022/04/23 訪問)

約2年前,しりとり手札にするために,強行登城を試みて途中で引き返しましたが,今回は無事に登城できました。ところどころ倒木はありましたが,そんなに影響はないと思います。驚いたのは,2年前にはなかった誘導標識が設置されていたこと。さらに,私が指摘した危険ヶ所を西側に回避するようにルート整備されていたことです。これには,かなりのマンパワーを要したと推察します。大変にありがとうございました!
標高:770m,比高:130m。登城口から約20分で西郭到着。
登城途中に見られる南西側の竪堀は,前回よりも鮮明ではなくなったような気がしました。写真ではワケわかんないので載せません…<泣>。
見どころは,主郭~東郭間の三重堀かと思います。写真は,前回とかぶらないようにチョイスとします。

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にのまる

【城と看板】

看板ではありませんが…。
防獣柵を開けて入ったので怖々でしたが、山頂付近に「歩け歩け大会」の幟を見つけて、地元では活用されている身近なお城なんだと知ってホッとしたのを覚えています。

赤い城さん、津田城の存在知りませんでした。悲しいけど、津田さん同郷だし行ってみたいです。

で、山中捕手、行きます!

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カズサン

総石垣で山頂と麓を一体とした城郭 (2010/03/20 訪問)

 12年前の平成22年3月下旬洲本城を探訪したくて明石海峡大橋横風が吹く中、手に汗をかきながら走行した思い出の有る洲本城登城です。
 洲本城は天正13年(1585年)に賤ヶ岳七本槍の脇坂安治が城主と成り現在みられる城郭に完成、文禄・慶長の役参戦経験が山頂の城郭、麓の城郭、その間を結ぶ西と東の登り石垣の一体構造の城郭を造り上げたのでしょう。信長、秀吉の時代を経験した武将の実力なのでしょうか、それにしても素晴らしい織豊系の城郭を残してくれました。 脇坂氏の前、後の時代の変遷は省略します。

 車は三熊山に在る、洲本城馬屋の南下に無料専用駐車場が有りそこを利用。

 登城ルート:駐車場、馬屋・見晴らしが素晴らしい、大手門跡、東の丸日月井戸側の南側石垣城塁を西へ、南の丸下・境目が分かる拡張石垣、南の丸下虎口、本丸大石段、本丸内部へ、天守台、小天守台、渡櫓台、昭和3年に出来た模擬天守に登る・風に吹かれると不安を感じる登閣でした、本丸搦手虎口、西側の搦手口、南の丸内部、籾蔵跡、西の丸、矢穴の入った残念石、戻って、東の丸上部、東二の門跡、武者溜、東一の門跡、東西の登り石垣は樹木に覆われいて確認出来ず、降って麓の居館部を探訪、浜に面した側に櫓台付き石垣城塁が北面を守って居り前面は水堀に成っている。居館部の西側に洲本八幡神社が在り蜂須賀氏時代金天閣御殿式台が移築され残っている。

 山頂の郭麓の居館供車で廻れて便利なうえ、素晴らしい石垣、曲輪が残って居り今回は登り石垣を確認してませんが、伊予松山城、彦根城と登り石垣の実態が確認できる上下城郭部一体の見本のような城郭です。
 是非大事にして後世に残して行きたい城郭ですが、風化の痛みが感じられますので今後の整備保全を見守って行きたい城です。

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ほりーないと

【究極の1枚】 (2022/01/22 訪問)

堀切が光る!
山城・丘城、二つの構造の船山城。
城畑(Ⅱ郭)奥のフェンスの向こう側には山城エリアがあります。

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fujikokyu

【城と生き物】

松本城、またの名を烏城という

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肉球

網干陣屋 兵庫県姫路市 (2022/04/04 訪問)

もともと龍野藩京極氏の領地であったが丸亀藩へ領地替え。
網干地区が飛び領となりこの地に陣屋を築き幕末まで納めた。
移築改修されてますが長屋門があります。
近くには金刀比羅神社や豪商の屋敷など雰囲気のある地域です。

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昌官忠

川口市&蕨市城巡り③:蕨城 (2022/04/23 訪問)

6月の九州遠征前の、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城(PART2)です。
川口市&蕨市城巡り3城目は蕨城(ラスト)です。
蕨駅から徒歩10分くらいで蕨城跡説明板前(35.826509、139.682311)に着き、城址公園を散策した後、
蕨市歴史民俗資料館(35.824929、139.678839)を見学しました。
帰りは攻城歩行距離を稼ぐ為、蕨駅ではなく南浦和駅(2.8Km位)に向かいました。

蕨城は足利氏一門の渋川義行によって築城された城です。義行の曾孫にあたる渋川義鏡が古河公方に対抗するための拠点として改修しました。
1457年(長禄元年)-享徳の乱によって起こった関東地方の騒乱を収拾させるために、第8代将軍足利義政は関東探題として渋川義鏡を関東へ下向させる。義鏡は蕨城を拠点に兵を募ったが、蕨のある足立郡は大半が古河公方の勢力範囲となっていたために募兵は難航しました。
1462年(寛正3年)-扇谷上杉氏と対立した義鏡が失脚したため、蕨城は管領と同格である御一家渋川氏の居城でありながら事実上は扇谷上杉氏傘下の城となります。
1476年(文明8年)- 長尾景春の乱の際には蕨城の近隣にある石神井城主の豊島泰経をはじめとした武蔵国の国人衆が長尾景春に呼応したが、渋川義鏡は扇谷上杉方に残り太田道灌とともに用土原の戦い等に参加していたと見られます。
1524年(大永4年)-蕨城は義鏡の子渋川義堯が継いでいたが、武蔵に侵攻した北条氏綱によって陥落させられます。
1526年(大永6年)-真里谷恕鑑と里見義豊の助力を得た上杉朝興が北条勢を破り、蕨城を奪回します。
1546年(天文15年)-北条氏康が上杉朝定を河越城の戦いで破り、渋川義堯は後北条氏麾下に入ります。
1567年(永禄10年)-三船山合戦で義堯の子渋川義基が討死すると蕨渋川氏は断絶し、一族郎党は散り散りとなり、残った者もその多くが帰農しました。またこの時、義基の夫人はその死を嘆き榛名湖に入水したとされます。
城主不在のまま廃城となった蕨城は江戸時代になると徳川家の鷹狩用の御殿として再利用されます。
交通の要衝であった蕨は戦国時代には城下で六斎市が開かれており、中山道が整備されると宿場町として再び栄えたそうです。
1816年(文化13年)-家臣団の子孫らによって渋川義基と夫人の250年忌を期し、蕨城近郊の宝樹院に渋川公墓所が造立されました。

現在は「蕨城址公園」として整備されており、本丸跡には和楽備神社(わらびじんじゃ)や市民会館が建てられています。
和楽備神社社殿の右側の御殿堀は、蕨城の堀跡の一部のようです。
城跡より徒歩五分程の中山道の蕨市立歴史民俗資料館(無料)蕨本陣跡も合わせての見学をお勧めします。
攻城時間は40分くらいでした。(蕨市立歴史民俗資料館の見学時間を含む)
川口市&蕨市城巡りは、攻城歩数=17453歩、攻城歩行距離=13.61Kmで攻城完了です。
今回は攻城歩行距離が短った為、6月の九州遠征までに距離眺長めのリハビリが必要のようです。

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肉球

桜満開 (2022/04/04 訪問)

桜の時期に訪れるのは初めてでした。
酒盛りをする人もいるほど多くの人出でしたが
四時ごろ天守閣に入場したところ
あまり渋滞することもなく見学することができました。
この時期はどこを撮っても絵になります。

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カルビン

【城と生き物】 (2015/11/28 訪問)

・・・お分かり頂けるだろうか・・・






石垣左下の交点のところに黒キジトラがいる事を・・・

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昌官忠

川口市&蕨市城巡り②:平柳蔵人館 (2022/04/23 訪問)

6月の九州遠征前の、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城(PART2)です。
川口市&蕨市城巡り2城目は平柳蔵人館です。
埼玉高速鉄道の川口元郷駅から徒歩8~9分位で南平公民館元郷分館(35.796793、139.734311)の石碑と説明板付近着きました。

平柳蔵人館は岩付城主・太田資正の家臣である平柳蔵人の居館です。
1564年(永禄7年)に資正と下総の里見義弘が連合して、小田原城主・北条氏康と戦った「鴻之台の合戦(第二次国府台合戦)」で蔵人は連合軍の先鋒として奮戦したものの討死しました。

公園の一画に立派な碑と説明版があるのみです。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

川口市&蕨市城巡り①:赤山城 (2022/04/23 訪問)

6月の九州遠征前の、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城(PART2)です。
川口市&蕨市城巡り1城目は赤山城です。
埼玉高速鉄道の戸塚安行駅から徒歩19~20分くらいで石碑と説明板前(35.850297、139.746946)に着きました。

赤山城(赤山陣屋)は関東郡代として徳川幕府を支えた伊奈氏の居城です。
築城年代は定かではないが1618年(元和4年)または1629年(寛永6年)頃に伊奈忠次の次男、伊奈忠治によって築かれたと云わります。
忠治の家系はその後代々関東郡代として活躍しましたが、1792年(寛政4年)伊奈忠尊のとき御家騒動によって所領は没収され赤山城も廃城となった

現在、城址の大半は雑木林や苗木畑となってますが、主郭を中心とした一部が城址公園として整備されており、空堀が復元されています。
大手門があった場所には石碑と案内板が設置されています。
現地説明板によると、東京外環自動車道北側に出丸があるようですが、今回は見学しませんでした。
二の丸の奥に四角い土壇がありましたが、説明板に説明がなかったので後世の改変でしょうか?
攻城時間は35分くらいでした。

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刑部

【城と標柱】 (2018/10/14 訪問)

縄張り図が記載されている珍しい石碑

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はるのすけ

お見事! (2020/06/07 訪問)

三島駅からバスで山中城へ。
激しい戦闘が繰り広げられたと伝えられている岱崎出丸に立ち思わず身震い、武者震い?

お目当ての障子堀はお見事!
しっかり整備してくださり感謝です。
ひとつでいいからこの堀の中に入れないかな?
ハマるとどんな感じか体験したい…

しかしまぁ来てよかったなー
帰りに美味しい鰻を食べてさらに満足じゃ。

バスなら三島駅でみしまるきっぷ買うとお得です。

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はるのすけ

あしでまとい (2020/06/07 訪問)

久々の投稿です。
石垣山城にお散歩に行くと言ったら、興味ないはずの妻が一緒に行くと言い出し連れて行くことに。
早川駅を降りて歩き出すと、すぐに目の前に急な坂道が出現。
見ただけでもう嫌だと泣き言を言う妻。
何しに来たんじゃ😜

40分ほど坂を登ると目の前に石垣が…
ようやく着きました。
ゆっくり城の中をめぐり、見晴らしの良い場所から小田原城を望む。
太閤殿下もここから小田原城を見下ろしたのだろうなぁと、感慨深く景色を眺めました。
足手まといの妻もここまで来るとご満悦な様子でなにより。

帰りはバスに乗って小田原港へ。
あっという間に着きました〜

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