そごうじょう

十河城

香川県高松市

別名 : 十川城、西尾城
旧国名 : 讃岐

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ぴーかる

十河城 (2020/10/17 訪問)

【十河城】
<駐車場他>称念寺総門前に十数台分の駐車場あり。
<交通手段>車

<感想>1泊2日讃州・阿波攻城の旅2城目。十河城跡は広い讃岐平野の緩やかな丘陵地の頂上にある。現在は称念寺のある所が主郭だったようです。称念寺の北側の腰曲輪は現在は墓地になっており、その北側は貯水池になっていました。総門の南側は駐車場、周辺は階段状の田畑になっており、一度は長宗我部元親軍3万6千を追い返した堅固さは今は見られない。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/10 訪問)

称念寺駐車場(34.260847、134.106013)に駐車して攻城。
十河氏ゆかりの寺である称念寺一体が本丸のようです。土塁、堀、土橋等がありそうですが未確認です。(説明板より)
攻城時間は15分位でした。

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カズサン

本丸は称念寺 (2018/06/25 訪問)

 昨年6月下旬朝駆けで丸亀城を訪ね高松道高松東IC経由で十河城、前田城、喜岡城を狙い攻城、県道30号線を南下し丘陵上の段々畑の頂上部に称念寺で本丸跡に成ってる。ナビガイドは城郭放浪記さん余湖図コレクションによる。
 駐車場は門前の駐車場が整備中でお寺正面を右北に行き標識に従いお寺北側の数台の駐車場利用。
 お寺の東面が段々畑で曲輪が段々に連なってる様に見受けられます、裏側に西方面はお墓ですが段丘で堀を思わせるため池が南北に広がってます。

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まっつん

中世の高松! (2019/01/14 訪問)

高松城→屋島城と巡って、まだ日暮れまでに時間があったので十河城跡へ行こうと思い立ち、下調べも何もせずに突撃しました!
十河城は現在は称念寺というお寺になっていました。
説明板によれば、寺があるのは本丸跡で、西に池、東は断崖、南に大手があったとのこと。
確かに西側には池があります。堀の跡なんでしょうね。
南側の大手はよくわかりませんでしたが、本丸が小高い丘の上に築かれていたのはよくわかりました。
東側には駐車させてもらったスペースがあり、断崖といわれてみれば確かに段差がある地形です。そこから高松の街並みも見渡せました。
北側だけ確認せずに帰りましたが、後で知ったのですが、本丸の北側に堀や土橋の跡があったり十河氏のお墓があったりするそうで、あぁ失敗したな・・・と思いました。
まぁ、また徳島城に訪れる時なんかに改めて立ち寄ってみようと思います。
城主は「鬼十河」と恐れられ戦場で活躍した猛将・十河一存や、その跡を継いで土佐の長宗我部元親と激闘を繰り広げた十河存保が有名。今は小高い丘陵の上にお寺と田畑がある場所なのですが、1582(天正10)年の十河城の戦いでは、長宗我部元親軍3万6000に取り囲まれながらも持ち堪えて一度は退かせたというのだから、ここを一体どうやって守り切ったんだろうかと思いました。すごいなぁ。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 なし
築城主 十河吉保?
築城年 南北朝時代
主な改修者 十河存保
主な城主 十河氏、長宗我部氏
廃城年 天正14年(1586)頃
遺構 曲輪、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(十河城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 香川県高松市十川東町
問い合わせ先 高松市教育部文化財課
問い合わせ先電話番号 087-839-2660