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にのまる

【城と看板】

「こちらが現場です。」みたいな。。。

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にのまる

途中下車して。 (2022/03/21 訪問)

鹿島城から千葉方面へ戻る途中、鹿島線から成田線への乗換駅の佐原で1本(1時間)電車を遅らせて朝田辰兵衛さんがご紹介くださった伊能忠敬記念館へ行きました。伊能図や測量器具、辿った生涯、どれも驚きでした。測量の方法など難しくて理解できなかったものも多かったですが、知らない土地を歩くことに無上の歓びを感じる身、地図上の地名はいつまでも見ていられそうでした。ご紹介ありがとうございました。小江戸の街並みも癒されました。(写真①~④)

寺台城は成田駅から徒歩圏。私有地を開放してくださっているようでした。「あと30メートル」のところまで案内板を出してくださっていてありがたかったです。「寺台城主海保甲斐守遺趾」の石碑が城址を示してくれていました。(写真⑤~⑩)

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朝田 辰兵衛

【城と看板】城ふぉとコンテスト📷 (2022/04/23 訪問)

2年前にはなかった誘導標識がこちらです。要所要所に同じタイプのものが整備されました。ビギナーでなくても助かります。

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入山神

筒戸城 (2022/04/24 訪問)

茨城県つくばみらい市筒戸3193−10
(カーナビで指定するときは、禅福寺がわかりやすいです。茨城県つくばみらい市筒戸1094)

守谷城の支城とも言われているそうです。相馬一門の筒戸氏が築城したとのこと。
遺構はあまりないようで、禅福寺門の正面に土塁が少し見られます(写真2枚目)。案内板は禅福寺入り口そばにあり、禅福寺は二の丸だったとか。正面が本丸跡のようです。

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ryu

蔦ヶ岳城登山(2015年) (2015/07/19 訪問)

城山登山を兼ねて訪城。

宗像市と岡垣町の境にある城山(369.3m)山頂にある山城。
11世紀代の第6代・宗像大宮司宗像妙忠の築城と伝わり、戦国末期に宗像氏貞が大改修、岳山の城と名付けられ戦国大名宗像氏の居城となったが、1588年(天正16年)に九州征伐の帰途に立ち寄った豊臣秀吉の命により廃城となった。

JR教育大前駅で下車。駅前の大通りを少し福岡側に歩くと城山登山口の看板があり、ここを右折して福岡教育大学の裏手にある登山口に向かう。
登山口は既に車がいっぱいで、早朝登山をした人たちが次々と下山してくる。
ここから距離1000mをひと登りする。山頂からの展望を楽しみ、山頂周辺で、堀切跡や竪堀などを探訪。

下りは、三郎丸登山口へ下る。尾降神社にお詣りして、赤間駅まで歩く。

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入山神

見所の多い土の城 (2022/04/24 訪問)

周辺一帯は整備保存がされていて、散策もしやすく案内板も多いので気軽に楽しめます。土塁、空堀、横矢掛り、枡形虎口など土の城の基本を味わえます。
空堀は比高が大きく取られていて、周辺を内海に囲まれていたことと合わせると防御に強い城だったのではないかと想像できます。
ちなみに内海は、縄文海進で生まれた香取海の一部で、守谷城周辺は「古鬼怒湾」と呼ばれていたそうです(写真3枚目)。近くを走る関東鉄道常総線の小絹駅の地名・駅名はここから来ているのかな?と思いましたが、小貝川と鬼怒川(絹川)の1文字ずつをとった名前だそうです。

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ryu

岩石山登山と岩石城(2015年) (2015/06/13 訪問)

岩石山登山を兼ねて訪城。

JR福北ゆたか線、後藤寺線、日田彦山線を乗り継いで添田駅へ。
ここからスタートする。
登りは奥の院を経由して山頂へ向かう。湿度も高く、汗びっしょりになりながら歩く。
山頂から国見岩、八畳岩方面に足を延ばす。山頂周辺で馬場跡から南側急斜面を下って石垣跡、さらに下って古井戸、本丸の虎口跡など山城の遺構を探し、山頂展望台で昼食をとって下山。
下山後、岩石城(天守風建物の添田町美術館)に立ち寄り駅まで戻る。

岩石城は添田町の岩石山(454m)山頂を主郭とした山城。
1158年(保元3年)に平清盛が大庭景親に命じて築かせたと伝わる。
築城以降、菊池氏、大友氏、大内氏、秋月氏などに攻められ幾度となく城主を変えながらも豊前一の堅城として重要な戦略拠点として存続。 秀吉の九州征伐により天正15(1587)年4月1日、蒲生氏郷、前田利長、羽柴秀勝合わせて1万人の秀吉軍から攻められ、1日で落城。その後、小倉城の付城として存続し、1615年(元和元年)の元和の一国一城令により廃城となる。

山麓に模擬天守が建築されているが、もちろん本来の岩石城とは無関係である。

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ryu

水戸城と偕楽園(2)(2015年) (2015/05/12 訪問)

続き。
水戸城見学後、水戸駅に戻り,駅前7番乗り場から茨城交通のバスで偕楽園へ。歴史館・偕楽園入り口で下車。陰から陽へという表門ルートとなる好文亭表門から入園。帰りは,偕楽園東門から出て,常盤神社にお詣りして偕楽園前というバス停から水戸駅へ戻る。

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ryu

水戸城と偕楽園(2015年) (2015/05/12 訪問)

東京での用件にあわせて訪城。
品川から特急ひたちで約1時間20分で水戸駅着。

水戸駅をスタートし、義公生誕の地~棚町坂下門~本丸堀~薬医門~杉山門~御三階櫓の説明文~彰考館跡(二の丸展示館)~大手門跡~大手橋~弘道館~水戸駅と見て回る。

台風の影響で時折雨が降り、風が強かった。

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ryu

「黒田家の歴史探訪ツアー」~田丸城(2015年) (2015/05/09 訪問)

西日本新聞旅行主催の「黒田家の歴史探訪ツアー」に参加した際の訪城。

現在の長久寺境内が福島田丸城跡で、文明9年(1477年)福島但馬守祐斉によって築かれたと云われる。
豊前の国人一揆に際し、宇都宮鎮房に呼応した賀来氏(大畑城)、福島氏は黒田孝高指揮の吉川広家、黒田長政の軍に攻められ降伏、城を寺となしたといわれている。
南を除く三方に土塁が残り、外側に水路や池となった堀が残っている。

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カズサン

【山城・西本願寺】京都府京都市 飛雲閣鑑賞素晴らしい (2009/07/07 訪問)

 13年前の平成21年7月上旬、故郷因幡の浄土真宗本願寺派檀家寺の門徒衆と西本願寺の念仏奉仕団に参加、この年の1月末に母が亡くなり兄弟で母の納骨と念仏奉仕に参加、京都の集合、2日間で母の納骨、各寺門徒宗分かれて御影堂、阿弥陀堂、庭園の清掃、念仏講話、念仏功労者表彰、門主との集合写真と行事を終えて、書院での茶菓子の接待後、本願寺南東面に在る、飛雲閣の見学、登閣は出来ませんが庭園周囲からの見学です。

 飛雲閣は京都三大楼閣の一つで金閣寺、銀閣寺と並び立って居ます、また西本願寺に移築された飛雲閣は元、秀吉の築城した聚楽第からの移築と伝えられ居ます。
 丁度修復整備が済んだ直後で36歌仙の板戸絵画が煌びやかで良く見る事も出来ましたが時間が日が沈む処で南の建物が逆光で採光が良くありませんでした。
 何回か念仏奉仕に参加して居ますので飛雲閣鑑賞は数度に参加し、美しさに感嘆し何時か登閣出来たらと思って居りますが何時になるやら?

 年に何回か一般公開が有る様ですから西本願寺のホームページを見て頂くと時期が分かります。

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ryu

「黒田家の歴史探訪ツアー」~中津城(2015年) (2015/05/09 訪問)

西日本新聞旅行が主催する「黒田家の歴史探訪ツアー」に参加した際の訪城。
中津の名物鱧料理をいただいた後、訪城。ボランティアガイドの方の説明で城内を見て回る。

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ryu

「黒田家の歴史探訪ツアー」~一ツ戸城(2015年) (2015/05/09 訪問)

一ツ戸の領主中間氏の居城跡で城主中間統胤は官兵衛の傘下に加わる。豊後・筑後との国境に近かった一ツ戸城は重要視され、中間氏はそのまま城番として置かれた。

西日本新聞旅行が主催する「黒田家の歴史探訪ツアー」に参加した際の訪城。
この時は城址入り口のみの見学で登城はできなかった。

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ほりーないと

【城と生き物】 (2021/10/01 訪問)

松本城の赤い橋を渡るの? 猫さん
「これより先 立入禁止」と書いてあるよ~

この後、猫さんは埋橋から松本城を眺めていました。羨ましいなぁ

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ぴーかる

【城と生き物】

白鳥A:スイー
白鳥B:スイスイー
私、後出しですみませんm(__)m

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ぴーかる

【城と生き物】

ここどこだよ・・・

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ぴーかる

大桑城 (2022/04/03 訪問)

【大桑城】
<駐車場他>大桑城新登山口駐車場を利用
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・竪堀
<感想>1泊2日郡上の旅6城目。大桑城は鎌倉時代の13世紀中頃に大桑又三郎が築いたとされます。室町時代には美濃国守護土岐氏のものとなり改修がされたようである。戦国時代には土岐頼純・頼芸の兄弟が居城とした。斎藤氏の台頭により土岐氏は拠点を転々と変えますが、越前朝倉氏の後ろ盾もあって土岐頼純は大桑城を拠点とします。しかし斎藤氏に1542年に落城させられ、1547年の2度目に落城させられた際に土岐頼純は討死、土岐頼芸は逃亡したため城は落城し廃城となった。
 結果を先に言うと、主要部にたどり着く前に大雨が降ってきてしまい、番所跡・馬場の北西側の曲輪群・主郭部北側の場所は行けずに下山しました。見所の1つである石垣は随所に残っていますが、猿馬場から主郭へ行った主郭南東側の切岸、切井戸周辺とそこまで降りるルート沿い、曲輪群の曲輪壁に多く残っており見応えがあります。岩盤を削った大竪堀や岩尾根の庭園跡等すべて巡れなかったが見所多い城跡です。いつか再訪して完全攻略します。

<満足度>◆◆◆

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コダーマ

【究極の1枚】

覗きませんか?
狭間からの1枚です。
寄せ手を狙う視線を体感し、ゾクゾクしました。

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コダーマ

【究極の1枚】

姫路城天守からの1枚です。
屋根伝いにどこまでも駆けていけそうな。そして、城と町の境目が分からない。
さすが姫路城!スケールの大きさなお城だなぁと感嘆しました。
漆喰をこんなに近くで見られて感激。

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コダーマ

【究極の1枚】

「ひこにゃん」=「究極のかわいさ!」
大好きなひこにゃんのご登場にカメラ構えてハッスルするのですが、興奮のあまり手が震えます。
帰宅してから、ブレてない1枚を印字して彦根城の思い出を振り返るのです。
おお、まさに究極のかわいさ!

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