きたがたじょう

北方城

岐阜県本巣郡

別名 : (北方陣屋)
旧国名 : 美濃

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安藤伊賀守守就戦死の地跡が近くに (2026/07/25 訪問)

 近くへ来たので寄ってきました。2回目の投稿となります。
西美濃三人衆のひとり安藤守就の居城跡です。石碑と説明板がある場所は本丸の一部と考えられています。大井神社東側を西北の隅として東西160m、南北340mの場所が北方城址と推定されています。水堀で囲まれていました。

 安藤守就は土岐氏、斎藤氏に仕えていましたが、織田信長の美濃進行時に織田方に従っています。それなりの武勲はあげていたようですが、天正8年(1580)甲斐武田氏に内通したとの嫌疑で追放されました。天正10年(1582)本能寺の変で明智光秀に信長が討たれると北方城に戻ろうとして、これを阻む稲葉一鉄と戦いになります。北方合戦として伝わる戦いで守就とその一族は壮絶な戦死を遂げました。その戦死の地と伝わる場所が北方城から西北へ約600m離れた場所にあります。

 帰りは樽見線北方真桑駅を利用しました。駅に「織田信長が愛したまくわうり発祥の地」の看板がありました。美濃国本巣郡真桑村(現岐阜県本巣市)が本種発祥の地もしくは特産地として知られ、村の名前から真桑瓜の名が生まれました。天正3年(1575年)6月29日、織田信長が正親町天皇に真桑瓜を2籠献上したことが記録に残っています。信長自身も好んで食べていたと伝わっています。
ただ私が住んでいる地域のスーパーではまくわうりは見たことがないような気がします。

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チェブ

武田家と内通疑惑の被害者の会。 (2024/01/03 訪問)

1492年~1501年頃、伊賀 光就さんが築城した「北方城」。
信長さんの時代には西美濃三人衆のお一人、安藤 守就さんの居城となります。
1580年、守就さんの嫡子が武田家と内通した疑惑で蟄居しました。この辺りの所領は、稲葉 一鉄さんが治めました。
本能寺の変の後、「北方城」を取り返そうとしましたが、稲葉 一鉄さんに攻められ討死しました。

住宅街の一画に「北方城」の石碑と説明板がありました。駐車場はありません。路駐して写真を写して退陣しました。説明板のイメージ図の一考には、資料が少ないらしく、真ん中にポツンと現在地が記してあります。

同じ頃、武田家と内通疑惑で家康さんも被害にあってます。
織田家の丹羽氏、林氏、佐久間氏も別件で追放されてます。
守就さん、西美濃三人衆のお一人、稲葉 一鉄さんに討たれるって、昔の戦友だったのに、、、。
戦国適応障害になりそうです。

ポツンとしたイメージ図。
私の脳内では最強にしておこうと思った「北方城」攻めでした。

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しんちゃん

中世では西美濃三人衆安藤氏の城、近世以降は戸田氏の陣屋。 (2021/12/26 訪問)

北方城跡には江戸時代に陣屋がおかれました。
陣屋の主は加納藩主戸田光重の三男光直です。
大井神社の門前を北限とし、小川と天王川に挟まれた神社から南にのびる
締め切りの道路の東西両側に分かれる、とあります。
その内容は添付の縄張りを参照にいただきたく。
今では宅地化が進んでいますが、基本的な配置は変わっていません。
縄張りで城址と示されている箇所に城址碑と案内板があります。

中世では美濃国二代守護、土岐頼遠の四男、頼興が本巣郡北方に住み
北方五郎と称し、城を築いたのが始まりとされています。
その後伊賀伊賀守定重の長男、安藤伊賀守守就が大野郡より移り住みます。
守就は西美濃三人衆の一人で斉藤竜興を見限り、織田信長に仕えますが
謀反を疑われ所領を没収されます。その後武儀郡谷口村に隠棲しますが
本能寺の変で信長が斃れると、北方に帰ってきます。
しかし稲葉一鉄に攻められ敗死、外山の龍峯寺に葬られます。
これらの戦いを北方合戦と言います。

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ぴーかる

北方城・北方陣屋 (2023/07/15 訪問)

【北方城】【北方陣屋】
<駐車場他>駐車場はなし。大井神社前に駐車がなければ2台分はいける。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅第1弾、3城目。北方城は明応年間(1492~1501年)に伊賀太郎衛門光就が築城したとされます。曽孫の伊賀守就の時に安藤氏を名乗り安藤守就を名乗ります。安藤守就は主君を土岐頼芸⇒斎藤道三⇒斎藤義龍・龍興⇒織田信長と変えていきますが武田勝頼に内通したとして追放されます。北方城はその後稲葉一鉄の預かりとなりますが、本能寺の変後に挙兵して北方城を奪取し再起を試みますが稲葉一鉄に攻め込まれ自害します。城もその後廃城となったようです。
 
 北方陣屋は1668年に北方城の一部跡地に美濃国加納藩主松平光重の三男戸田光直に5000石で分知された旗本の陣屋です。現地には現存建物がほぼ残っていないようなのですが各所に移築門があるそうです。
 城跡も陣屋跡もほぼ遺構は残っていませんが、大井神社から南北に流れる天王川が北方城の西の堀跡、北方陣屋中心を流れる川であったかのようです。名残を感じさせます。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 伊賀光就、戸田光賢(陣屋)
築城年 応仁年間(1467〜1468)、寛文9年(1669)(陣屋)
主な城主 伊賀(安藤)氏、稲葉氏、戸田氏(陣屋)
遺構 消滅
指定文化財 県史跡(北方城跡)、町史跡(北方陣屋跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県本巣郡北方町北方249
問い合わせ先 北方町生涯学習推進室
問い合わせ先電話番号 058-320-2200