ふたつやまじょう

二ツ山城

島根県邑智郡

別名 : 出羽城
旧国名 : 石見

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本丸
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晩秋の二ツ山城跡で落ち葉歩き (2023/12/01 訪問)

12月になり紅葉も終わりを迎えている二ツ山城跡。
本丸から西の丸へ、落ち葉歩きをながら撮影を楽しみました。
登山道は歩きやすく、落ち葉を踏む音が心地良く、癒されました。

*駐車場に二ツ山城跡の案内パンフレットがありますので、二ツ山城跡歩きの参考にしてください。
*トイレはないので、車で5分以内の場所にある道の駅で済ませましょう。

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雲海を眺めに早朝登山 (2023/10/26 訪問)

雲海シーズンには必ず登り、雲海を眺めながらサーモボトルのお湯でドリップしたコーヒーを楽しみます。
本丸からは、紅葉越しの雲海を眺め、西の丸からは眼下に広がる雲海を楽しみます。

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ぴーかる

二ツ山城 (2023/04/09 訪問)

【二ツ山城】
<駐車場他>駐車場あり。二ツ山城登城口<34.862001, 132.522859>から道なりに車で10分程進んで終点に6台程の駐車場があります。
<交通手段>車

<見所>堀切・曲輪・切岸・石積み・櫓台
<感想>第2弾安芸高田・北広島の山城攻めの旅2日目ラスト9城目。現地説明板によると、二ツ山城は1223年に富永氏によって築城されました。富永氏はこの地の出羽郷の地名を取って出羽氏と称します。1361年には阿須那高橋氏の攻撃を受け城主は討死し落城します。戦国時代1530年高橋氏は毛利元就によって滅亡し出羽氏が二ツ山城主に復帰します。永禄年間には毛利元就の6男毛利元倶が出羽氏の養子になりますが17歳で夭折します。1600年毛利氏の萩移封により出羽氏も移住します。城はこの頃廃城となったようです。
 城跡は東西に伸びる尾根上に曲輪が広がっています。東と西にそれぞれの山のピークに主要部があり、神明空堀と呼ばれる大箱堀の堀切で大まかに東西に仕切っています。上記駐車場は城跡の西の端から登城します。まず3重堀切があり圧倒されます。西の主要部は西の丸と呼ばれ東西に段曲輪があります。西の丸の東下段のお蔵段には蔵跡の石積み基壇が方形に残っており見応えがあります。その東下段に神明空堀があり、空堀から東に2段曲輪があり東西に長い馬場があります。整備され綺麗な削平地になっています。馬場から主郭北側に回り込み雪隠の段(トイレ曲輪)に入ります。雪隠の段北側の尾根にも2重堀切があります。主郭は東西にかなり広く圧巻です。主郭曲輪壁はちょっと藪化して表面観察できなかったので石垣探索しませんでした。主郭東に駄屋の段、主郭南に太鼓の段と南曲輪があります。城跡南面の東西に通った通路には所々に土留めの石積みが残っていて当時の雰囲気を伝えます。なかなかのスケールで見応え充分、百・続百名城に負けていない城跡でした。
 これにてこの旅終了。昨年の12月に館跡、2月と今回の合計3回に分けて安芸高田市と北広島町吉川氏の城を多く攻め取りました。初めは何となく城びとフラッグが集中しているゾーンで軽い気持ちで行ってみたかっただけだが、実際行ってみると、見応えあるダイナミックな城や特徴的・特異な縄張りの城が多く好きな城が沢山ある地域となりました。また機会があれば行ってみたい。走行距離812㎞無事走破。

<満足度>◆◆◆

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城主出羽元とも(毛利元就6男) 没後450年 記念限定御城印 (2022/10/15 訪問)

城主 出羽元ともは、毛利元就死後僅か2ヶ月後に他界しているので毛利元就と没年イベントが重なる。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 出羽(富永)朝祐
築城年 貞応2年(1223)
主な城主 出羽氏、高橋氏、出羽氏
廃城年 天正19年(1591)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財 町史跡(二ツ山城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 島根県邑智郡邑南町鱒渕字永明寺
問い合わせ先 島根観光連盟
問い合わせ先電話番号 0852-21-3969