あわすみやまじょう

粟住山城

岡山県真庭市

別名 : 粟住城
旧国名 : 美作

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①竪堀
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征9日目:粟住山城 (2026/05/19 訪問)

宿泊先のホテルから車で40分ちょっとで、山裾墓地前空スペース案内板前(35.259567、133.681473)に着きました。

粟住城に関しては、築城年代や城主などは不明です。
現地説明板では江戸自体初期の津山城築城の際に、建築資材を運んだ粟住氏のお城という伝承が残っているそうです。
津山城には粟積櫓という小天守に相当する大きな櫓があって、この櫓の用材は粟積から運ばれてきたと伝えられています。粟積(あわづみ)は粟住(あわずみ)のことかな?
どちらが正しいかわかりませんが、離れた粟住城と津山城に同じ伝承が残されているのは面白いですね。

本丸は草が深く、草木が邪魔で眺望はありません。
前日、高尾城(尼子十砦⑥ 3城目)で痛めた右ふくらはぎのふんばりが効かず、下りは滑りそうになりました。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=岩倉城に向かいました。

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ぴーかる

粟住山城 (2025/03/30 訪問)

【粟住山城】
<駐車場他>登城口前に平地があり停めれます。
<交通手段>車

<見所>眺望
<感想>日帰り尼子十砦旅ラスト5城目。この城は尼子の城ではないようです。現地説明板によると粟住山城は築城年代、城主とも不明で江戸時代初期に津山城築城に際して粟住矢倉という人物がこの山から建材を持ち出したことから粟住という地名がついたといわれています。中世のお城ということは間違いなさそうなので、結局は当時の城名も城主も不明ということでしょう。
 車で城跡まで向かう途中で山頂に1本松が残る山が見えるので、あの山が粟住山城跡だとすぐ分かります。登城口から主郭までは目立った遺構は見受けられません。1箇所だけ土塁堡塁のような場所があります。主郭の南側に薄い堀切があり主郭に入ります。主郭は山頂部分を水平に切り取ったような広い曲輪で土居はありません。副郭との間や側面に竪堀があるようですが灌木が茂って現在は表面観察では分かりません。主郭の北側に堀切があり副郭があります。私の腰上あたりまで灌木が茂っているので散策は不可です。副郭の北端から切岸を降りる踏み跡がありますが、急斜面で尻もちつきそうで降りるの止め、ここまでとしました。北側には曲輪が連段となっているようです。ロープか何か持参するといいでしょう。

 これにて日帰り旅終了。この日は往路が雨で、城跡に登り始めると雪が降って、下山して次に向かう移動は晴れて、次の城跡に着いたらまた降雪のタイミングで運が悪かった。船上山城も予定していましたが積雪で通行止めで、あとからでしたが尼子十砦制覇ならずで散々でしたが、気持ちを切り替え、今回は怪我無く城攻めができて、のちの楽しみが増えたと思います。走行距離662㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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蒜山地域最大規模 (2023/05/27 訪問)

「城びと初投稿いただきます」(ぴーかるさん投稿からのぱくり)。
蒜山高原の東端にある比高130mの城です。近づいて行くと、主郭の一本松がいかにもな雰囲気を醸し出しています。山の西麓裾の道を集落の外れまで南下すると、粟住城の説明板があり、そこが登城口です。
主郭とその近くの郭の木はよく伐採され、今、膝ぐらいまで木が挽回した状態。主郭から北側の郭は、間が切岸と堀切で隔てられています。登城道は、主郭の南下に至るのですが、主郭とは反対側に鞍部を挟んで小さなピークがあり、そこから、三方の尾根に小さい郭群が並んでいます。城域は、南北500mほどもあります。
山頂からは、蒜山高原越しに、蒜山三座とその向こうの大山が望めます。
中国山地内ながら、広い平地(東西20km,南北10km)の蒜山高原の生い立ちを調べてみました。この場所は、中国山地脊椎の北側に位置し、流れる川は日本海に北流していたが、蒜山三座の噴火により、北側が高くなり、川は蒜山三座を迂回(西流→北流→日本海)。そして、大山も噴火して川は塞き止められ、湖に。湖底は堆積物で平らになり、その後、岡山に流れる出る旭川が水を抜き、平原に、との展開。雄大ですなあ。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 不明
遺構 曲輪、帯曲輪、土塁、堀切、堅堀
指定文化財 市史跡(粟住城)
再建造物 説明板
住所 岡山県真庭市蒜山東茅部
問い合わせ先 真庭市教育委員会生涯学習課文化財班
問い合わせ先電話番号 0867-42-1094