石瓦 古式の天守 丸岡城
丸岡城 一筆啓上 火の用心
江戸前期の建造と意外に新しかったものの、古式な造りの天守は大のお気に入りです。笏谷石の石瓦も独特ですよね。おまけとして、丸岡藩主・本多成重の父、鬼作左こと本多重次の手紙にちなんだ一筆啓上ネタを。併設の「一筆啓上 日本一短い手紙の館」もなかなか楽しめましたが、それより何より北陸唯一の現存天守なのでくれぐれも「火の用心」願います。
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2023/04/21 08:12
【かるた】丸岡城の読み札と絵札
石瓦 古式の天守 丸岡城
丸岡城 一筆啓上 火の用心
江戸前期の建造と意外に新しかったものの、古式な造りの天守は大のお気に入りです。笏谷石の石瓦も独特ですよね。おまけとして、丸岡藩主・本多成重の父、鬼作左こと本多重次の手紙にちなんだ一筆啓上ネタを。併設の「一筆啓上 日本一短い手紙の館」もなかなか楽しめましたが、それより何より北陸唯一の現存天守なのでくれぐれも「火の用心」願います。
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2023/04/20 23:28
小谷城④ 大嶽城 (2023/04/08 訪問)
月所丸の後、念願の大嶽城に登りました。
浅井亮政が小谷城を築いた初期の主郭とされます。
1572年には援軍に来た朝倉氏の本陣とし改修したとされます。
大嶽城への上り坂はキツいですが、山頂手前の岩尾に着くと眺望が良く本城を望めます。
広い主郭は土塁で囲まれています。
主郭の北側・西側下の帯曲輪も土塁が取り巻いてます。
帯曲輪の北西側には二重の堀切、南西側は2本の大きな竪堀が見応えありました。
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2023/04/20 22:49
小谷城③ 六坊、月所丸 (2023/04/08 訪問)
本城に続いて出城を投稿させて頂きます。
【六坊】
本城の山王丸から一旦北側へ下りると六坊へ出ます。
南側の土壇には一部石垣が見られ、東側は長い土塁があります。
北側は段曲輪で、背後には竪堀がありました。
【月所丸】
小谷城の搦め手を守っています。
写真では分かり辛いですが、北西側に畝状空堀があります。朝倉氏による改修ともされます。
東側は分厚い土塁で囲まれていて、小谷城の中で最も見応えある土塁でした。
その外側は二重の堀切があり、特に一つ目の堀切は高い切岸です。
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2023/04/20 22:21
癒しと「映え」と (2022/11/26 訪問)
お城の周辺には沢山のネコさんがいるので軽ーく癒される。訪ねた時には紅葉真っ盛りで青空と紅葉、それに白亜の天守がまさに「映え」。天守はなかったかもしれないお城なのだが、悔しいくらいに天守が映える。
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2023/04/20 22:07
井上氏居館跡その他 (2023/04/20 訪問)
井上城の北には井上氏の居館跡があります。この館を囲むように井上城と竹ノ城があります。
井上城の登城口にもなっている浄運寺の案内板を見ると「本堂裏手には井上氏本城の大城直下から竪堀が降っており、中世この寺地にはなんらかの曲輪があったものと考える」との記載がありました。ただ時間の都合で本堂裏手には行っていません。
少し前に竹ノ城へ行ったときに、同じ日に井上城も登城したかったのですが時間の都合で別の日に登城することになりました。山城ですが両方とも40分くらいで主郭まで行けるので2城登城しても、よかったかなと思っています。
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2023/04/20 21:55
井上氏の詰城 (2023/04/20 訪問)
清和源氏源頼信の子、頼季の子孫である井上氏の城です。尾根を利用した城で大城と小城からなっています。その間には三重の堀切があります。大城、小城周囲には腰曲輪もあり、一部石積みがあったかと思わせるような所もありました。大城の東西には堀切があり、竪堀も見ることができます。大城から南東には、先に述べたものも含め3ヶ所堀切がありました。
北西部にある「井上の枕状溶岩」近くにある登城口より登城しました。尾根を登って行くので、それほど厳しい傾斜でもなく道も整備されていて比較的歩きやすいと思います。小城を経由して大城へ行くことができます。帰りは浄蓮寺へ下りましたが、こちらは急傾斜の所がありトラロープを頼りにして下りました。かなりな急坂で、こちらから登城しなくてよかったと思いました。
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2023/04/20 15:30
【遠江・岡崎城】静岡県袋井市 徳川氏高天神城攻防戦中継基地 (2023/04/10 訪問)
住所:静岡県袋井市岡崎5600
駐車場:神社下通路東の幅広路駐(34°42'17"N 137°56'49"E)
遠江岡崎城は徳川氏の高天神城攻防戦で磐田見附→馬伏塚城→岡崎城→横須賀城へ物資輸送補給路、兵士駐屯などの役目を担っていた、西に張り出した小笠原丘陵の先端部に連郭2郭で構築されて尾根筋に大堀切で遮断してる、西は潟湖に面して船着き場?。
高天神城落城後は廃城と成った様です。
現在、一部茶畑、樹木、竹林で覆われており、二の曲輪の西側に北八雲神社が鎮座してこのエリアでの出入りは草木が刈られて見学しやすい、神社前の案内板では本曲輪には土塁が囲み横堀も囲んでるが樹木竹林が鬱蒼として見学は困難、二の曲輪東に大堀切が有り探訪可能通行できる、南から北に抜けて西へぐっるっと半周。
本曲輪へは土橋で内部へ竹林が茂り虎口辺りで内部と土塁を眺めて終了、土橋の左右には横堀が有り、社殿横の横堀を上から眺めるが荒れている、台風などで倒れた大木はそのまま状態。
案内板には「岡崎の城山」として案内されています。また馬伏塚城見学案内パンフレットに合わせて訪ねたい城跡として紹介されています。岡崎城は馬伏塚城から南東に1~2km程です。
この後は補給路の終点、横須賀城を目指しました。
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2023/04/20 14:37
立派な見学案内パンフレット片手に再探訪 (2023/03/10 訪問)
袋井市には市史跡の城郭が久野城と馬伏塚城と二城在ります、3月29日桜と久野城で探訪し、久野城駐車場トイレ横のパンフレットボックスに立派な久野城見学案内パンフレットが有り、これを片手に久野城探訪しました、気に成り袋井市のHPを覘くと馬伏塚城も同様の立派な見学案内パンフレットが有りHPの馬伏塚城見学案内パンフレットPDFをプリントアウトして見学探訪へ出かけました。
久野城の未確認北東眺望と景観整備伐採進行を確認し、本丸東側の圧巻崖切岸を発見見学、ニホンカモシカ遭遇と感激興奮さめぬ中、南に6~7kmの馬伏塚城を目指す。
以前初探訪では駐車場に困りましたがパンフレットにはPのマークが有り安心して車で行く事が出来ます。
駐車場:岡山公会堂(袋井市浅名1272)(34°42'48"N 137°55'58")5~6台可能
探訪ルート:パンフレットのルート矢印に従い、見所を訪ねる。
了教寺は伝居屋敷の南西角に有り数メートルの高台で見晴らしが効く、また小笠原氏清の墓供養塔が有る、北曲輪と伝居屋敷間の堀切を通り集落の東を通ってる道へ、堀切は埋まられて堀切間は有りませんが南側の北曲輪の北土塁が高く堀切だっただろうと推測できる、東側道路を北に小笠丘陵が張り出した尾根筋を東西に堀切、尾根を遮断してるが埋まられて堀切らしさはないが高見で眺めると西の田圃から東の田圃にかけて切られて様に見受けられる。
北の堀切から南に集落通路を通り南の堀切、北曲輪は集落住宅に成っており入れないが北曲輪は1郭2郭3郭に分かれて掲載されている、1郭の北土塁を住宅地の坂道を若干上がり遠望するが高土塁が現存してる、2郭3郭は通路より見学、南に進み県道403号線が馬伏塚城を南北に分断、南側に舟入、神曲輪、本曲輪、馬出、本曲輪南東を囲む微高地の羽城。
田圃に水が入り、さも馬伏塚城が水堀、潟湖に囲まれていた往時に甦る様を見る事が出来るでしょう。
歴史的には馬伏塚城は徳川氏と武田氏の高天神城攻防戦で徳川氏の物資後方支援基地の役目を持った城として、西の磐田見付、馬伏塚城、岡崎城、横須賀城の拠点を船等で今之浦川、太田川、間の潟湖、沼、遠州灘などと使って物資輸送、兵士駐屯支援を行っていたようです。戦国の時代は横須賀城下まで遠州灘が入り込んでいた様です。
近くに袋井市浅羽支所が有り(約500m南)、駐車場、浅羽支所2階に袋井市歴史文化館が有りパンフレット、袋井市の城跡の案内も可能です、近くの南に浅羽記念公園と隣接して袋井市郷土資料館(月曜日休み)も有り、ここに車を駐めて歩きながら北を目指し城跡全体を見ながら探訪するのも良いかもしれません。
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2023/04/20 13:36
【かるた】二条城の読み札
京都には 雅(みやび)ただよう 二条城
雅な…
世界文化遺産 『二条城』 二の丸御殿 を 詠んでみました
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2023/04/20 13:23
2023/04/20 12:47
【かるた】大阪城の読み札
「たこ」がいる 大きな石の 大阪城
読み札のみの投稿です
蛸石だけでなく巨大な鏡石の宝庫の大阪城
大きなと大阪城で韻を踏んでみました
たこと言えば、タコ焼きも名物ですね
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2023/04/20 12:41
2023/04/20 11:03
大須賀康高作 高天神城から (2023/04/01 訪問)
横須賀城は小笠山の枝尾根が遠州灘に迫ろうとする地に築かれた連郭式平山城です。北に小笠山の山並みを背負い、南は遠州灘に臨み、東から西になだらかに傾斜する舌状台地の地形です。
1578年徳川家康が武田の高天神城を攻略するための陣城として大須賀康高に命じて築かれ、高天神城落城、廃城後は、遠州南部の拠点としてこの地域の政治的中心になり、幕藩体制が終わる明治まで続きました。
現在は体に優しい超優良物件な城跡公園になっています。駐車場から車を降りるとそこは本丸、河川の丸石、自然石を積み上げた「玉石積み」とも呼ばれる石垣が目に留まります。気軽に散策出来ます。
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2023/04/20 08:51
馬場美濃守作 高天神城とともに (2023/03/31 訪問)
諏訪原城は牧之原台地の北端部に近い、東海道に接する要衝地に武田勝頼の命で馬場美濃守信春が築いた山城と言われています。
高天神城攻略のための陣城として、攻略後は兵力・兵糧を入れる中継地的な役目を担っていたようです。
1575年長篠の戦いで大敗北後、徳川軍に攻め落とされて、駿河進出の新拠点「牧野原城」として改修が施され、高天神城を包囲孤立化します。そして、高天神城の落城、廃城、武田家の滅亡に伴って、この城も役目を終えます。
この城の魅力は何と言っても武田流縄張りの特徴、丸馬出である三日月堀が虎口前方にババンと見事に張り出し、遺構として状態良く残っている事、そしてさらに徳川氏の築城術の手が加わり改修されている事も見逃せません。現在、城内の伐採作業が施され、大変見学しやすく、案内ルートも親切に分かりやすくガイドされていて、おすすめですよ。
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2023/04/20 08:19
【かるた】犬山城の読み札
木曽川に 凛と佇(たたず)む 犬山城
成瀬家が 守りし国宝 犬山城
小ぶりながら端整な天守が人気の犬山城ですが、木曽川越しの凛とした佇まいは素晴らしいですよね。また、明治以降も城主・成瀬家が代々個人所有として、この素晴らしい国宝天守を守り伝えて下さったことにはひたすら感謝しかありません。とある煩悩の登城目録さん投稿のような木曽川越しの良さげな写真が手元にないので、読み札のみで。
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2023/04/20 07:05
2023/04/20 04:06
熊本城の復旧状況(2023春) ② 大天守・小天守 (2023/03/30 訪問)
すでに復旧している大天守・小天守の姿です。真っ先に復旧し堂々とそびえる天守の姿は、熊本市民には本当に勇気を与える姿だと思います。この日の昼は多くの人が訪れていました。現在は南口から入り、特別見学通路(空中回廊)を通って天守まで行く事ができます(逆に、ここ以外は見学できません)。駐車場のある北口からは土日祝のみ入れます。
この特別見学通路も復旧作業の妨げになるのでいずれ撤去されるそうです。それがいつになるのかはまだわかりません、その後の見学方法もまだ公表されていません。この今後のあり方も石垣と合わせ復旧日程の遅れに影響しているそうです。
夜は特別にライトアップがある桜まつりの期間だったので、夜までねばってみました。しかし意外と夜になると人はまばらで落ち着いてゆっくり鑑賞できました。今回の写真はその日没前の人がまばらになってからの写真です。ライトアップの写真はまた最後にお伝えします。福岡城は、夜になると昼より人が多かったので、とても対称的だったなと思いました。
天守内の展示も以前とは一新されています。1Fは加藤時代、2Fは細川時代、3Fは明治期(西南戦争)、4Fは復旧に関する説明、6F最上階は展望台になっています。最新の耐震設備(ダンパー)なども内部側から見る事ができます。駆け足でなく、ゆっくりと時間をかけて見学される事をオススメします。係りの方に質問すると非常に丁寧に答えてくれたのがとても好印象でした。
次は、昨年復旧した「長塀」です。
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2023/04/20 00:20
城輪柵のバーターで。 (2023/04/01 訪問)
パネルや碑はないですが,八幡神社から登り,最高所が朝日山城。何かしら雰囲気を遺しているものを発見しに行こうと前向きに考え,チャレンジしました。ピンクリボンを頼りにして,とりあえず登ったというカンジです。
南側に物見用と思われる小さな郭があり,その北側に主郭があります。間には空堀が形成されていました。主郭の西側には崩れた石垣があり,東側は切岸が鋭かったです。
ところどころ,八幡神社の杭が見受けられましたので,神社の管理区域なのかなと思いました。ピンクリボンも神社の計らいかと…。
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2023/04/19 23:14
畠山重忠公史跡公園 (2023/04/17 訪問)
重忠の父、畠山庄司重能が秩父郡吉田町から畠山に居を移し、畠山姓を名乗ると記されている。重忠はこの地で生まれ、産湯に使ったと伝わる井戸跡がある。館としての遺構はほぼ見当たらない。唯一、東の道路寄りに土塁跡の石製標示があり、標示がなければ分からない。その他公園内には、愛馬の三日月を背負う姿勢の重忠公銅像、家臣と並ぶ五輪塔が建屋の中に、百回忌供養の板石塔婆、伝父・重能の墓などが園内にある。
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2023/04/19 22:56
新生・高槻城公園 (2023/03/04 訪問)
芥川山城から高槻駅に戻り、徒歩で高槻市立しろあと歴史館へ。
芥川山城の出土品展示などもある館内を見学後、周辺散策に出かけました。
以前からあった城跡公園を含めて一帯が「高槻城公園」となったようで、前回訪問時に発掘中で、障子堀が見つかったというニュースもあった二の丸跡は高槻城公園芸術文化劇場に生まれ変わっていました。
今回訪問日はその芸術文化劇場オープンのちょうど2週間前。
ということで敷地内には入れませんでしたが、水路(堀)にホースで水を注ぎ入れているところや、まだプチプチのカバーがかけられたままの説明板など珍しいものを見られて楽しかったです。模擬石垣に模擬矢穴、模擬刻印も柵越しに見えました。また改めて見学に行きたいです。
このあと芥川城(芥川氏居館跡)へ徒歩で向かう途中に高槻城出丸跡の案内を見つけ、城域の広さを実感しました。
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