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城好きのメガネ

「雉岡城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
雉岡城は関東管領・山内上杉氏が築城したとされる。後北条氏の関東進出に伴い、後北条氏の傘下に入る。小田原征伐の際に落城、廃城となる。現在、曲輪、土塁、空堀等が遺されている。

<アクセス>
JR児玉駅 徒歩15分

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chiroru

城址と思いながら (2023/10/07 訪問)

最近この界隈に出かけることが増えて、いつも気になる存在でした。
空き時間ができたので、皆さんの投稿を参考にしながら見学。
階段から社殿への間には小さな公園があり曲輪っぽい?
この辺りは土地の高低差がたくさんあるので歩いていても楽しいです。

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トク

黒田家の名宝展から福岡城へ(大天守の話題) (2023/10/07 訪問)

福岡市博物館で黒田家の名宝展を見た後、今度はその足で福岡城を訪れてきました。
実は最近また話題になっている事があり気になったので。

以前私は、小倉藩主の細川忠興が息子の忠利に宛てた手紙に、「長政公はせっかく建てた(福岡城の)天守を壊してしまった」と書いてあった文章が見つかり、福岡城には天守があったのでは?と論争を呼んだ事をお伝えしました。

正保の絵図には大中小の天守台は描かれていますが天守は描かれておらず、中小天守台には矢蔵跡の記述があり、大天守台には何も記述はありません。よって壊されたのは、おそらく中小天守(矢蔵)の事で、大天守は最初から建てられていないのではないかといった見方が大方の歴史家の意見でした。最近福岡では、そのありもしなかった大天守を再建させ観光の目玉にしようといった経済界のシンポジウムがあり、また新たな話題を呼んでいます。

過去にもそういったあいまいな中で建てられた模擬天守はいくつかあります。例えば九州では、取り壊した名護屋城の部材を使ったという記述だけで名護屋城の絵図に似た正保の絵図には無かったはずの天守が建てられた「唐津城」、同じく正保の絵図にもなかったのに奥平氏の子孫の呼びかけでなぜか萩城の写真に似せて建てられた「中津城」、幕末まで忠興の層塔型の天守が建っていたはずなのに地元商店街の要望で望楼型に変えて再建されてしまった「小倉城」、などなど。 しかしそれらはいずれも昭和の時代の話であり、平成以降では木造で忠実に再建されるのが主流で、そのためにはどのような天守だったかを示す明確な資料が必要です。しかし福岡城の場合はそれにも乏しく、これでは文化庁の基準にも合致していないので個人的には無理なような気がしますが・・・

数少ない資料から、想像をふくらませて議論し、夢を見るのはもちろんいい事だと思います。それは城マニアの楽しみでもあります。しかし経済利益のために、なかったものをあたかもあったように作り、歴史をゆがめようとするのはあまり賛成できません。歴史はやはり正しく後世に伝えていくべきではないかなと、私はこの名宝展で400年前の本物の正しい歴史の資料を見た後にこの話題を聞き、ついそう思ってしまいました。勝手な意見ですいませんでした。(長政公はどうお考えであろうか?・・・🤔)
 

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すけきよ堂

サイクリングロードのついでに城攻め (2023/10/09 訪問)

しまなみ海道のサイクリングロード沿いの城です。下の町や青陰城の眺望は良いです。

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蜻蛉切

大多喜お城まつり (2023/10/08 訪問)

昨日(10月8日)、大多喜お城まつりが開かれ、見に行きました👍️
本多忠勝役をコント赤信号の渡辺正行さんがつとめられていました。たくさんの甲冑隊などを引き連れていて壮観でした。

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にのまる

その4 (2023/09/20 訪問)

①本丸南横矢枡形跡
二之丸庭園を西仕切門から退出すると見えてきた巨大櫓台……かと思ったら横矢枡形でした。

②米蔵
外観復元され、休憩所となっています。当時は2~3棟あったそうです。

③④⑤⑥水手門
人を見ると突進してくる黒鳥さん。カーブした石垣も素敵。

⑦水門的な何か……とか?水入れるところ……とか?

⑧⑨二之丸南沖櫓台。うなだれる白鳥さん。

⑩突然現れた土塀の断片
これは一体何?と思ったのですが、二之丸庭園の西仕切門から続く土塀の端のようです。狭間がちゃんとあるところがかわいい。西中門といずれ繋がるのかな。

<つづく>

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シェル

太平洋と日立市街を一望!! (2023/09/12 訪問)

JR常磐線 日立駅から助川城跡公園までは、徒歩40分。
日立駅からバスで向かう場合は、「日立工業高校前」または「日製病院前」のバス停で下車し、徒歩10〜15分ほど。
城跡公園内には駐車場とトイレもあります。
城跡公園の麓にある助川小学校の国道6号沿いにある校門付近が大手門跡で、大手門址の碑や助川城址碑、案内板が設置されていました。
大手門址から助川城跡通りを登り、城跡公園へ。
まずは東の二の丸跡へ。こちらには、養正館という藩校が設置されていたようです。
二の丸から本丸へ。途中には、本丸に向かって雛壇のように腰曲輪が築かれており、なかなか見応えがあります。
本丸には、模擬らしいですが石垣もあり、本丸東側には表門礎石も残っています。
そして本丸東側の遠見番所跡から太平洋と日立市街を一望することができます!!

また最寄り駅の日立駅はガラス張りの駅舎になっており、改札内からでも太平洋の絶景を眺めることができます!!

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スティクラ

今年で創建350年の錦帯橋から岩国城へ (2023/10/07 訪問)

JRの秋の乗り放題パスを使い、岩国城へ。
錦帯橋は、初代の落成から今年で創建350年ということで10月1日に記念式典が行われたらしい。

岩国城は錦帯橋から見ることができ、登山で岩国城まで行くことができるか今回はロープウェイへ向かう。
錦帯橋からロープウェイまでは昔の屋敷跡があったり、昔の雰囲気を残しているので、楽しめる。
ロープウェイは15分おきに運航されているので、待ち時間はほとんどなし。
ロープウェイから天守へは、緩やかな登りで2つのルートがあり、1つは舗装された道。
行きは、舗装されてない道で向かい、石垣やお堀跡を見ることができる。

天守内は、刀が数多く展示されていて、刀好きにはおススメ。
天守の最上階からは、錦帯橋を含め、海まで見えていい眺めだった。

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ぴーかる

小丸城 (2023/08/19 訪問)

【小丸城】
<駐車場他>城跡横のスペースに駐車できます。
<交通手段>車

<見所>石垣・虎口・門跡・堀・石段
<感想>越前ちょこ城巡りの旅9城目。朝倉氏滅亡後に織田信長は1575年に佐々成政・不破光治・前田利家の3人に府中10万石を与えます。以降3人は府中三人衆と呼ばれ、不破光治は龍門寺城、前田利家は越前府中城、佐々成政は小丸城を築城します。佐々成政は1581年に越中国を与えられるまでの6年間ここを居城としました。
 ここはちょこ城ではありません。道路のすぐ脇の小丘が本丸になっており、南面に石垣が残ります。本丸の南に石組の門跡があり天面も巨石で塞いでいます。虎口内側の石段と石廊も併せてなかなか見応えがあります。本丸の西側にも石段が見られます。当時は本丸の周囲を堀で囲んでいたようですが現在は東と北側に深い堀が残ります。堀の北側の曲輪が二の丸かと思います。残る石垣から当時は本丸法面全面に段状の石垣があったかもしれない想像を膨らませ楽しめました。

<満足度>◆◆◇

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にのまる

その3 (2023/09/20 訪問)

①大石神社
「義」とは何か。難しいです。

②塩屋門
藩士の屋敷地にごく近い城の搦手門で、藩士に合図をおくる太鼓櫓もあったそうです。藩士たちの出入りの様子が目に浮かんできます。

③三之丸西隅櫓台
塩屋門の傍の西駐車場内です。“駐車場の石垣”として現役な感じでした。

④二之丸北隅櫓台
9:00の開園時間を過ぎたのでそろそろ二之丸庭園に向かいます。
この長い石垣の向こう側が二之丸庭園です。

⑤二之丸門跡
発掘調査を元に2016年に復元されたそうです。かつての石垣は明治時代の大水害の復旧資材として持ち出されたとのことです。

⑥山鹿素行先生銅像
改築にかかわった二の丸虎口を見守る場所に。以前は二之丸庭園内の謫居跡に建てられていたそうです。

⑦⑧⑨⑩二之丸庭園
復元大石頼母助屋敷門から入りました。舟倉そばの西中門跡へは通行止めで行けませんでした。三の丸の工事が落ち着いたらここから抜けられるかもしれません。西仕切門から退出しました。

<つづく>

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にのまる

その2 (2023/09/20 訪問)

①三の丸東隅櫓台
大手門からスタートしましたが城内には入らず時計回りにすすむと水堀越しに櫓台が見えてきました。歴史博物館に隣接する東駐車場のそばです。
歴史博物館は休館日だったため残念ながら入館できませんでした。

②清水門
歴史博物館側からの入城門となっています。
幕府に城を明け渡したあとに大石内蔵助が名残を惜しみつつ退去した門だそうです。

③二之丸東北隅櫓台
外側の清水門から見たところです。

④奥野将監定良屋敷跡
それぞれの屋敷跡に説明板が立てられていました。

⑤武家屋敷公園
猫さんがいました。

⑥大石邸長屋門
三度の大修理を経て大切にされています。

⑦近藤源八宅跡長屋門
大石内蔵助邸長屋門の斜向かいで、雰囲気のある通りとなっています。

⑧⑨⑩
大手門に戻ったので改めて入りなおしました。
復元高麗門横の雁木の幅が激狭でびっくり。枡形内側の櫓門は復元されていませんが、礎石の位置が地面に示されています。休憩所が建っているのは番所跡。

<つづく>

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ヒロケン

上杉謙信公 (2023/10/07 訪問)

春日山城は、新潟県上越市標高182mの春日山にある連郭式山城で、別名蜂ヶ峰城と呼ばれています。春日山城の名前の由来は、長尾景虎公(上杉謙信公)が上杉家を相続した際、上杉家の氏神である奈良の春日明神を勧請したことから春日山と言われるようになったとの事です。
春日山尾根の北先端に本丸を中心にした「実城」と呼ばれる主郭部を置き、主郭部周辺から春日山神社にかけて多くの曲輪を階段状に配置、南三の丸と呼ばれる本丸の南側に広がる曲輪、周辺の山々の尾根には支城・砦を巡らし、山の裾野に延長1.2kmにも及ぶ堀と土塁で総構えが造られています。

春日山城は、戦国時代の名将上杉謙信公の居城として知られていますが、国の指定史跡・日本100名城・日本五大山城としても有名です。

春日山城へは、10年振り2度目の訪問で、早朝1時30分に豊橋を出発し、片道400km約6時間かけ訪問してきました。今回の目的は、高田城跡跡・鮫ヶ尾城跡の続100名城のスタンプ目的でどちらの城も訪問したことはありましたが、スタンプを頂いていなかったので、今回そのついでに春日山城を訪問しました。
この城跡に軍神上杉謙信公・直江兼続公・歴史に名を遺す数々の名将が居られたかと思うと、想像で胸が弾む(*^▽^*)。家に帰り、10年前の画像を見て、各曲輪の杉の木が伐採されているものの、ほぼ変わっておらず安心しています。

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ヒカミ

信長と家康それぞれの桶狭間 (2023/10/07 訪問)

寝ないで勉強してきました

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総構 (2023/10/07 訪問)

 小田原城総構をゆっくり見ようと思いましたが、午前中に行った土肥城が思ったよりハードで体力と気力を消耗し時間もかかってしまったため全域を回ることは断念しました。小峯御鐘ノ台大堀切(西堀、中堀、東堀)、三の丸新堀土塁周辺を散策してきました。
 今回は天守閣には行っていませんが、遠くから見ると多く方が登城されていたようですね。

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源頼朝 (2023/10/07 訪問)

 湯河原駅前には土肥実平夫妻の像と土肥氏館跡の石碑があります。土肥城近くには源頼朝関連の史跡がいくつかあります。立石、兜石、源頼朝が石橋山の戦いで敗れて潜んでいたというしとどの窟は土肥城の主郭から25分くらいで行くことができます。土肥城主郭からしとどの窟の入口まではアップダウンも少なく歩きやすい道です。ちなみに真鶴にもしとどの窟といわれている所がありますが、行ったことはありません。その後、主郭に戻り下山。立石、兜石、成願寺を見学して湯河原駅に戻りました。

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土肥実平 (2023/10/07 訪問)

 鎌倉時代初期の土肥氏の城と伝えられていますが、遺構は戦国時代の後北条氏の時代のものではないかともいわれています。主郭から主に東側に曲輪が展開していています。二重堀切などがあるようですが、緑がまだまだ多いこともあるのかよくわかりませんでした。それらしい場所があり写真は撮りましたが、冬に来るとわかりやすいのでしょうか。
この日は草刈りを行っている人たちがいました。おかげさまで歩きやすかった。感謝、感謝です。

 湯河原駅からは城山ハイキングコースを徒歩で登城で行くことができます。ただかなり急坂で時間もかなりかかります。主郭周辺だけを観るなら近くの城山公園ピクニックグラウンドまで車で行くことができます。

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トク

黒田家の名宝展(福岡市博物館) (2023/10/07 訪問)

長政公没後400年を記念した黒田家の名宝の特別展示会が福岡市博物館で開催されていたので行ってきました。織田信長から拝領の名刀「圧切長谷部(へしきりはせべ)」(写真④)、黒田節の由来となり福島正則から勝ち取った名槍「日本号」(写真⑤⑥)、官兵衛や長政の肖像画(原画)(写真⑨⑩)、長政が実際に関ケ原で着用したとされる甲冑(写真⑦)など、ふだん見る事のできない蔵出し名宝が今回展示されていました。いずれも以前から見たい物ばかりでなかなか公開されなかったので、いざ目の前にすると感動して見入ってしまいました(いずれも撮影可)。

北条との和睦の使者を務めたのは黒田官兵衛であり、この時北条氏直から降伏の証として、歴史書「吾妻鏡」、名刀「日光一文字」、北条の「ほら貝」を授かった話は有名です。 大河ドラマどうする家康では、使者に榊原康政が描かれており、本当の使者だったはずの官兵衛が番組でスルーされた事に地元福岡では(あれ?なぜ?)との声も・・・

その「日光一文字」と「ほら貝」も今回展示されていました(うわ~本物だ!😯感動です!)(写真②③)。吾妻鏡はその後家康に献上され黒田家には残っていないとの事です。
 

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蜻蛉切

武門のレガシー (2023/10/07 訪問)

行田市桑名市白河市の三市交流展「三方領知替え 200年記念 武門のレガシー」を見に来ました😁
開催は残り一週間。10月28日からは、桑名市博物館に移動するそうです。

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にのまる

その1 (2023/09/20 訪問)

2017年12月、城びとに会員登録して最初に投稿したのが赤穂城でした。(ひとことぼそっとつぶやいただけですが。)
その時以来、5年9ヶ月ぶりの登城です。
移築山門のある花岳寺と息継ぎ井戸に寄ってお城通りをすすむと、三の丸隅櫓が見えてきました。真っ白な櫓が最初に目に入るとホッとするし気分も上がります。
初登城時は大石神社と本丸のみの見学でしたが、このたびのマイミッションは“できるだけたくさんまわる”です。
赤穂城の見どころはパンフレットにもたくさん載っていますが、現地案内板(写真⑤)には88カ所挙げられています。藩士宅跡を除いても33カ所。なかなか手強そうです。
縄張りが独特なのもあって、図面を頭に入れて歩くなど私にはとても無理。三の丸から見学スタートしましたが、方角がわからなくなって地図をぐるぐるまわしたり、自分がその場でぐるぐるまわったりしながら、チェックポイントを求めて彷徨いました。

<つづく>

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九兵衛

鷺山から見た岐阜城 (2023/10/07 訪問)

斎藤道三も、義龍が居る岐阜城を睨んでたのかなぁ、と妄想。

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