竹ヶ鼻城水攻めの本陣跡太閤山砦を終えて南東に5.1km程、竹ヶ鼻城からは南東に3.7km程の木曽川西岸に在る、加賀野井城を初登城。(km数値は城郭放浪記さんの情報です)
駐車場:無し、加賀野井城案内板、標柱の在る狭い畦道に一時路駐、交通量今回は1台も無し。
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
田圃の中の北東角に案内板と標柱の在る植栽された小公園の様な土盛りがある、その他の遺構は無いようです、北側に民家が一軒有るが周りはすべて田圃、時期的に稲穂が黄金色に実り稲刈り前の状態でした、東は田圃一条隔てて木曽川西堤防と道路、その東は木曽川です。
ナビに目的地を示し向かうが道が狭すぎて躊躇してる間に木曽川堤防道へ、堤防道から西に下り道を探し畦道舗装はされてる、離合不可能な畦道を対向車が来ない事を祈り、目的地へ、写真で見ていた案内板、標柱のある場所、草、樹木は茂っており案内板が樹木で少しかぶさる。周りは黄金色の田圃で田圃の中にポツンと存在する。
歴史は、天正年間には加賀野井弥八郎秀望が織田信雄の臣下と成り、415貫文(1万石)を領して城主となっていた。秀吉の小牧長久手戦では竹ヶ鼻城水攻めの前に攻防が有り、秀吉方10万の大軍には抗しきれず、城明け渡しと、助命を条件に講和を申入れたが、受け入れられず5月5日夜陰に乗じて大手門より打って出て、最後の決戦を試みるが衆寡敵せず城兵は枕を並べて討死し、城主は辛くも脱出して関東の逃れて落城する。
多くの方が亡くなった様です。(案内板による)
兎に角、田圃の畦道走行でひやひやの探訪でした、今回は対向車が無くてラッキーでした。
次は八神城を目指します。
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