【加賀野井城】
<駐車場他>駐車場はなし。<35.292498, 136.717188>ポイントが少し道が広い。
<交通手段>車
<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅1城目。現地説明板によると加賀野井城は築城年代は定かではないが天正年間(1573~1591年)には加賀野井弥八郎秀望(加賀井重望)が城主となっていました。加賀井氏ははじめ織田信長に仕え、その後は織田信雄の麾下となりそのまま加賀野井郷の知行をあてがわれていました。小牧長久手の戦いにおいて信雄側だったので秀吉軍の攻撃を受けて落城します。この後城は廃城となったようです。加賀井重望の方は城を脱出して関東へ逃れたようですが秀吉に使番として召し出され8千石の知行をあてがわれています。関ヶ原の戦いでは加賀井重望は東軍として西上途中の三河での宴席で水野忠重を殺害し西軍方の大垣城へ逃げ込む。逃げ込んだ大垣城落城の際に子の水野勝成に処刑されます。
城跡の遺構は消滅し説明板が残されているのみです。木曽川がすぐそばにあり、城は木曽川の中程にあったのではないかとされています。
<満足度>◆◇◇
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