ふくはらじょう

福原城

兵庫県佐用郡

別名 : 佐用城
旧国名 : 播磨

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佐用兵庫介範家 (2024/01/06 訪問)

 赤松氏の重要拠点のひとつとなっていた城ですが、戦国時代黒田官兵衛、竹中半兵衛らによって攻め落とされたと伝わっています。土塁上に福原霊社が建てられています。

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赤い城

ガイドツアーの帰りに (2023/09/24 訪問)

利神城ガイドツアーへの道中で国道沿いに案内板を発見。
帰りに立ち寄りました。
案内板から車で登ると後悔します!
少し離れた国道沿いの駐車スペースに車を置き、徒歩で向かいました。
道を進むと空堀に続いていました。
主郭部は畑になっていて土塁が残っています。
土塁上には福原霊社が鎮座しています。
赤松家の福原氏の居城でしたが黒田如水と竹中重治の攻撃により落城しました。
ほぼ登らなくて良いのでこの辺りの山城を攻める際の合間に是非。

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小城小次郎

こうべさん (2023/01/08 訪問)

赤松一族の福原氏(毛利家家臣の福原氏とは別の家)が拠った城で秀吉に攻められ激戦の末に落城したとか。主郭には「霊社」(神社ではなく)が建てられ城主の首を「こうべさん」と称して祀っているのだそうだ。なまなましい・・

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カズサン

佐用川段丘にひっそりと❣ (2021/05/15 訪問)

 昨年11月上月城探訪の後国道373号線を北上中に左側に佐用城(福原城)への案内標識を確認し寄って行こうか?一瞬思いながら次の鳥取城中の御門表門工事中を日の有る内に見たいと先を急ぎ、寄らなかった事がずっと脳裏に残り今回の母の法要の帰りに、無料の鳥取道を南下し佐用平福ICを降り利神城を道の駅平福で眺め案内解説板、想像図を目視、撮影し石垣修復中の利神城を仰ぎ見て目的の福原城を初登城。
 国道373号線沿いの福原城標識は南から上って来る時は良く分かるのですが北から南下中は分かりにくくちょっと行き過ぎましたが引き返し標識を見つけ山手側に進入、駐車場は在りません。

 今回の駐車場:山手進入約100m程し道が狭く成った所に砂利等資材置場を仮路駐(N34°59'44"E134°21'07")佐用町佐用1580-1周辺とスマホコンパスの情報です。また手前の若干広い道に路駐も可能かも?交通量は少ない。
 
 其処から山手方向を見ると高い杉と樹木がこんもりした鳥居と階段が見える、そこが目的の福原城本丸、少し集落道を登りますが、畑跡地か曲輪跡か草が刈りこまれ芝状態になった平坦地、北側に土塁上の高まり、下一段曲輪か元畑跡地か綺麗に整備されてる、その下は水田、本丸、櫓台か?神社が鎮座、城石碑も有る、西は堀切道、北は崖で住宅等、千種川の支流佐用川の西側段丘を活用したコンパクトな城跡です。

 歴史:室町期赤松36家衆のうち福原氏が受け継ぎ居城、戦国末期織田方羽柴秀吉との攻防により落城、後世土地の人々によって福原氏を祀るため一社を造営され「福原霊社」として広く崇敬されている。(佐用城(福原城)案内解説板より抜粋)

 

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 佐用範家
築城年 建武年間(1334〜1338)
主な城主 佐用氏、福原氏
廃城年 天正5年(1577)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 兵庫県佐用郡佐用町佐用
問い合わせ先 佐用町商工観光課
問い合わせ先電話番号 0790-82-0670