※ 西高木家陣屋の前身とも云われる多羅城の候補地(のひとつ)ですので、西高木家陣屋で投稿します。
城ケ平城(城びと未登録)は、築城者など詳細は不明ながら、平成31年の調査で戦国期後半のものと確認された単郭方形の山城で、明智光秀生誕地と伝わる進士家の居城・多羅城の候補地のひとつとされます。
登城口は羽ヶ原側と馬瀬側の2箇所ありますが、羽ヶ原側のほうが主郭に近いようなので、晴明神社付近の駐車スペースに車を駐めて羽ヶ原側からの登城です。入口にはマムシ、ヤマビル、スズメバチ注意の掲示があり、この日は時おり小雨のパラつく蒸し暑い日でもあったので、顔以外は肌を露出しない完全防備(だと思っていたんですが…)で登城開始。
登城口から整備された登城道を3分ほど進むとのぼり旗と説明板が建てられています。右手の丘陵地が城ケ平城のようです。上石津郷土資料館でもらったリーフレット(縄張図)を片手に麓に向かうと、いきなり南北にのびる横堀に行き当たります。横堀を越えて登城道を上って行くと中腹の南側に竪堀があり、その奥は横堀が南東隅から南辺まで続いていました。まだ主郭にも着かないうちから横堀、竪堀、横堀の連続で嬉しくなってしまいますね。
さらに上って行くと、主郭の東側には浅くなった虎口(枡形虎口?)があり、その南脇には櫓台と思しき土壇がありました。方形をした主郭には井戸跡が3か所ほど見られ、虎口の北部から北辺、西辺にかけて土塁がめぐっています。主郭の北西下は堀切により西側尾根を遮断しています。また北辺の中腹には腰曲輪や帯曲輪が設けられ、切岸の案内表示が建てられていました。
リーフレットの城ケ平城の紹介文では「多羅城との関係性は不明」と慎重な書きぶりですが、現地では桔梗紋に「明智光秀生誕の地 多羅城」と記されたのぼり旗が堂々と翻っていました(笑) ともあれ、光秀生誕地云々をさて置いたとしても、30分ほどで手軽に充実した遺構を見て回れますし、登城道も城内もよく整備されていて、地元の熱意が感じられる良いお城でした。
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