小丸城からの転戦です。垂井駅から徒歩6~7分で専精寺入口(35.370259、136.525448)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、1600年(慶長5年)平塚為広が12,000石で入封し居城としたようです。
しかし「関ケ原の戦い」で為広は西軍についたため、戦後に廃城となりました。
平塚為広は秀吉の馬廻として仕え、小牧・長久手の戦いや小田原征伐で武功があったようです。
関ケ原の戦いの直前、挙兵しようとする三成に大谷吉継とともに佐和山城にて諫言したそうですが、三成は聞き入れなかったので西軍に与することとなったようです。
現在城址推定地の専精寺に、城跡碑と説明板があります。
近くにある「垂井の泉と大ケヤキ」も併せて確認しました。
関ケ原の戦いで死ぬ前に大谷吉継に送った辞世の歌の墓碑が城跡碑の前にあります。
垂井城には関係ありませんが、垂井駅前の竹中半兵衛像の写真も一緒に投稿します。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=長屋氏屋敷(城びと未登録 岐阜県垂井町)に向かいます。
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