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姫街道

江戸時代の縄張り (2023/10/27 訪問)

石垣積み直しも比較的新しいのか、はっきり・スッキリした縄張りだと感じた。特に天守台周り。
一面ツクシオオガヤツリに覆われている堀。個人的には好きだ。

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じゅんじん

曲輪 (2020/03/20 訪問)

広くて堀も大きかったです。

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じゅんじん

信玄公最後の戦い (2023/10/07 訪問)

深い堀、土塁が残っています。

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じゅんじん

小学校 (2023/10/07 訪問)

学校の廊下がかっこいい。城郭風です。

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じゅんじん

鳳来牛 (2023/10/07 訪問)

長篠城のすぐ近くにのJAが運営しているこんたく長篠があります。農産物直売所とレストランがあり旧鳳来町内で数件しか飼育していない鳳来牛が食べれます。かなりお勧めできるおいしいお肉です。

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じゅんじん

長篠城 (2023/10/07 訪問)

2年ぶり。大河ドラマの影響でいつも以上に賑わっていました。

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じゅんじん

大通寺陣地 (2023/10/07 訪問)

長篠城を攻める際に武田方の陣地になります。
大通寺杯井で有名。馬場信春、内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次の4将が別れの水杯をかわした場所になります。

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チェブ

ここは小薬。 (2023/10/04 訪問)

「御城」別の名を「小薬城」。
なんだか、神々しいような、それでもって常備薬のような安心感がある お城のお名前です。

「御城」は梶原 景則さんが、「祇園城」の支城として築城したようです。
梶原 景則さんは、鎌倉幕府の御家人の1人でもある梶原 景時さんの子です。
景時さんは、鎌倉から追放され殺害されます。息子の景則さんは、小山氏を頼り たどり着いたようです。
愛知県犬山市で、梶原 景時さんのお孫さんの「羽黒城」と出会い驚きました。
こちらにも、梶原のお名前に出会いビックリしました。小山氏との関係が気になります。
梶原 景時さんか~。
懐かしいですね、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。

「御城」の石碑がある広場に到着。鳥居があり長い参道を歩こうと思いましたが、たくさんの銀杏が落ちていて、行く手を阻みます。
因みに、稲荷神社を背にして左手の御宅が立派でした。鯱が屋根の上で守ってます。写真は個人宅なので写してません。
、、、どこかの模擬天守より立派かもしれません。

ちょっと余談。
北海道テレビの『水曜どうでしょう』の、2023年最新作のエンディング、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』風になっています。
さすが頼朝さん(大泉洋さん)、笑えました。

と、かなり脱線しました。鎌倉時代から現在まで、良く残っていてくれました。先人好きなので、梶原の名前に嬉しくなった「御城」攻めでした。

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カズサン

静岡市歴史博物館の企画展と特別講演会に行って来ました (2023/10/28 訪問)

 城びとイベント情報で静岡市歴史博物館の企画展とそれに合わせて初日企画展特別講演会が有り基調講演が城郭で有名な中井均先生と有り、早速電話で参加申し込みしました。
 企画展はR05年10月28日~12月10日で静岡市歴史博物館で「駿府城と徳川家康」と題して開催されています。
 企画展特別講演会「"皇帝" 家康の駿府城」と題して初日28日13時から16時、静岡市民文化会館中ホール、会費無料

 企画展特別講演会は参加募集500名とありましたがまずまずの入り、特別講演会の添付資料はカラー印刷の22頁分の分厚さ挿絵写真付きで内容は大変見やすい。
 中井先生の基調講演は「慶長期駿府城の改修経過と実像」と題し関西弁交じりの講演が時々笑いを誘い、内容豊かに且つ分かり易く1時間、駿府城の歴史から現状の発掘調査の分析今後の考察等を交えて大変ために成りました。
 
 静岡市歴史文化課の松下さんの成果報告「慶長期駿府城天守台発掘調査成果の報告」も有り、終わりに中井先生、成果報告の松下さん、学芸員の鈴木さん、城郭ライターの萩原さちこさんのトークセッションも有りました。

 特別講演会の前に静岡市歴史博物館で28日より開催されてる企画展もの閲覧してきました、入場料1000円市民は700円、浜松から電車賃を使って来たのにこの差はなんだ!
 1Fの常設地表展示発掘調査の成果「往時の道跡」、2F3Fが常設展示と今回の特別展示の企画展、3Fの展望回廊からは駿府城の巽櫓が真近に俯瞰できすごい迫力。
 静岡市歴史博物館にはプレオープンには来ましたが、グランドオープンしてからは今回が初めてでした。

 特別講演の前に時間も有り暫し駿府城を探訪散策しましたので後ほど投稿します。
 
 

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関ケ原周辺散歩(陣跡等めぐり) (2023/10/28 訪問)

 南宮山へ行った帰りに各武将の陣跡などを散歩しました。笹尾山方面は行ったことがあるので南側の陣跡などを適当に散歩しました。

吉川広家陣跡 
 南宮山の登城口である南宮大社から徒歩約5分の所にありました。南宮山の麓で毛利勢を戦に参加しないように陣を張ったことがわかります。

池田輝政陣跡
 吉川広家の陣地跡から北へ向かって歩いていると南宮山の毛利勢を抑えるように布陣した池田輝政の陣地跡があります。
同じ場所に室町時代に足利義教の命により殺された足利持氏の遺児春王、安王の墓があります。

藤堂高虎京極高知陣跡
  関ケ原中学校の敷地内にありますが、行きやすいようになっています。

福島正則陣跡
 藤堂高虎京極高知陣跡から西に徒歩約5分、不破関近くにあります。

西首塚
 関ケ原の戦いで戦死した人たちを竹中重門が徳川家康の命で葬ったとされる場所です。
JR関ケ原駅より西へ徒歩10分くらいで行くことができます。ちなみに東首塚は駅のすぐ近くにあります。

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じゅんじん

龍潭寺 (2023/10/07 訪問)

井伊家の菩提寺です。お庭が有名。大河の主人公だった直虎のお墓もあります。

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南宮山(関ケ原周辺散歩) (2023/10/28 訪問)

 関ケ原古戦場は笹尾山周辺や松尾山は行ったことがありましたが、南宮山は行ったことがなくいつか行ってみたいと思っていました。何となく思い立って行ってきました。城びとには未登録の陣城です。
南宮大社の裏からハイキングコースとなっていて南宮山に行くことができます。安国寺恵瓊陣跡から東コースと西コースに分かれますが、東コースを選択しました。比較的歩きやすい山道で多くの方がハイキングを楽しんでみえました。ハイキングコースは毛利秀元陣跡が最終地点となっています。陣城となっていて手前には堀切、土橋、竪堀、土塁を見ることができます。それなりに陣城として楽しめました。実際の南宮山の頂上はもう少し先ですが、「注意 これより先はハイキングコースではありません。立入をご遠慮下さい。垂井町」と書かれた看板が立っていました。看板近くから先を除いてみると削平が続いていて、縄張り図からも、もう少し陣城があることがわかります。堀切などがあるようです。眺望はすばらしく、この日は靄がかかっていてよくわかりませんでしたが、名古屋城から犬山城まで見られるようです。反対方向には関ケ原古戦場が見えるはずですが樹木で全く見えません。

 それにしても安国寺恵瓊陣跡から展望台(毛利秀元陣跡)まで1時間の標識があります。実際に1時間近くかかりました。こんな所に陣を構えて戦に参加する気は最初からなかったのではないかと思える所です(実際に参加していませんが)。景色のいいところで弁当(あるいは空弁当)を食べるためだけに登ってきたのではないのかと思いたくなります。今回は行っていませんが、長束正家や長曾我部盛親の陣地跡は主戦場から見て南宮山の裏側にあります。実際の思惑はわかりませんが、戦に参加する気が最初からなかったのではないかと思ってしまいます。現地に来てみるといろいろと考えますね。

JR垂井駅から徒歩で登城口の南宮大社まで約15分です。

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じゅんじん

井伊家 (2023/10/07 訪問)

引佐は井伊の故郷です。

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じゅんじん

道の駅上 (2023/09/30 訪問)

道の駅から歩いて行けます。かなり整備がされています。

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ヒロケン

高い土塁・広い堀 (2023/10/07 訪問)

高田城は高田平野の中央よりやや西に寄った地に築かれ、本丸の周囲を二の丸・北の丸に囲まれ南側に三の丸を配した輪郭式平城で、上杉景勝公・前田利常公・伊達政宗公ら13の大名によって、天下普請で築かれました。竣工からわずか4か月で完成させたといわれています。(所説あるそうですが)この城の特徴として、近世城郭でありながら、天守は建てられず、石垣も使われておりません。

城主は、徳川家康公の六男、松平忠輝公で越後福島60万石・信濃川中島12万石合わせて72万石の大大名です。

この城の見所は、何と言っても高い土塁と広い堀です(*^▽^*)土塁の高さは10m程で、総長は1kmにも及び、横矢掛りなどが見られます。
堀は外堀の広い所で100m程もあり、内堀の幅も40m~50m程もあります(*^▽^*)。また、絵図や古文書、発掘調査などで再建された三重櫓、木造で復元された極楽橋などがあります。

現在の高田城は、高田公園として二の丸・三の丸周辺は、陸上競技場やテニスコートのどの施設となっており、周辺には駐車場・公衆トイレが完備され困ることはありません。また、外堀には蓮の花・公園内には桜の木は植樹され、四季折々の花々が咲き誇るそうです。
続・100名城のスタンプは、上越市立歴史博物館と三重櫓前休憩所の建物内にあります。

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三浦の晃ちゃん

有馬氏一万石 (2023/10/29 訪問)

今は、五井駅になっています。周りを少し歩いたのですが、遺構や案内板は、見つかりませんでした。主としては、暴れん坊将軍の御側御用取次だった、有馬氏倫が有名ですね。ドラマでは、すまけいさんや名古屋章さんが演じていたようです。

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しんちゃん

キリシタン大名の城。石垣や階段遺構が見所。 (2020/01/02 訪問)

日野江城は標高60mの丘陵上に築かれていて、本丸を中心に東に二の丸、南西方向に
三の丸が広がり、北西方向にも郭が広がっており、かなりの城域を持っている城です。
本丸の周辺や二の丸の下段に石垣が残され、特に二の丸の下段の郭のあたりからは
階段遺構と呼ばれる東側の大手口からつながる直線的な階段が発掘されています。
いまは埋め戻されているようですが雰囲気は感じとることができます。
城主有馬義直は先にキリシタンとなった弟の大村純忠の勧めで晩年に洗礼を受けて
キリシタンになっています。あとを継いだ晴信も洗礼を受け、大友宗麟や
大村純忠とともに少年使節をローマへ派遣したとあり、キリスト教とかかわりの
深かった土地柄のようです。

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シェル

偕楽園公園の一角にあるお城 (2023/09/25 訪問)

水戸駅北口からバスに乗車し、千波山のバス停で下車。
バス停から好文橋通りを西に10分ほど進むと、見川城跡が見えてきます。(好文橋通り沿いに駐車場とトイレがあります。)
見川城周辺も偕楽園事務所の看板があるため、偕楽園公園の一部になっているようです。
好文橋を渡り、左側に見川城跡の碑があります。
城跡の碑に見川城の説明が記されています。
城跡の碑から近くの遊歩道を途中まで進むと、遊歩道から土塁と思われるものを遠望できました。
遊歩道を出て、南に進むと荒人神社があります。
神社境内から、城跡の方を見ると、かなり藪っていましたが、土塁と空堀が肉眼では確認できました。

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しんちゃん

大手に配された複雑な構造の石垣が敵の勢いをそぐ。 (2020/10/02 訪問)

玖島城は近世大村氏の居城で慶長3年に築かれ、幕末まで大村氏の居城であったとされて
います。現在は石の門をくぐって大手から本丸に向かいますが、石垣や塀が複雑に
配置され、折れ曲がりの箇所が多く枡形のような役割を成しているようです。南の
台所門や西の虎口門も侵入角度に対し門が直角に配置されるなどの(くふう)がしてある
ようです。本丸は大森神社になっていて、西の二の丸には堀が残ります。大手外側の
南掘沿いの高石垣の西側に板敷櫓があり、玖島城のシンボル的な存在になっている
ようです。
※以前このサイトで(ひじかた)と書いたら不適切な内容としてエラーが出ました。
今回は(くふう)と書いてもエラーが出ます。どうにかしてくださいよ‥。

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小城小次郎

今川の幟に涙する (2023/04/01 訪問)

永禄13年、武田信玄の駿河侵攻時に最後まで抵抗したのが徳之一色城(田中城)とこの花沢城。武田・徳川が深い爪痕を残す駿河にあって今川の香りを残す数少ないお城に本当に今川の幟が立っていたのはちょっと感動した(泣いた)。

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