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東海茶飯駿

きれいな海が見える城 (2023/06/23 訪問)

私の住んでいる長崎市外海地区にあるお城址。
中世の頃らしく、お城というより要塞だったというべきか。

たまたま神浦に行ったので、寄ってみた。
お城の影は少しもないが、休憩所から見る角力灘の景色は最高だった。
夕陽もさぞきれいに見えることだろう。

訪れるとすれば晴れた夕方に、角力灘に沈む夕日が見られる時がいいと思う。

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東海茶飯駿

御城印初GET! (2024/03/26 訪問)

平戸城へ昔の会社の仲間と行きました。
当然御城印ももらいました。
この御城印。「ごじょういん」と読むものとばかり思っていましたが、「おしろいん」なのね。

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todo94

近江の城めぐり⑯ (2024/03/10 訪問)

長光寺城からの転戦です。フェンスで囲まれた門跡とみられる石垣がまず目に飛び込んできました。その奥にきれいに土塁が連なっています。土塁の外側はかつては水濠であっただろう空堀が巡っていました。今回の近江の城めぐりの締めに素敵な城に出会えて大満足です。小荷駄さんの投稿にある徳昌寺は未訪なので機会があったら訪れたいと思います。滋賀県にはまだまだ素晴らしい城があると思うので楽しみです。蒲生スマートICが近くなので、帰路は非常にスムーズでした。

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しんちゃん

破城の痕跡? 三日月堀が二か所あるようだ (2024/04/29 訪問)

宇利城は文明年間(1469~1487)に今川方の熊谷重実が築城したと案内板には記されています。その後、享禄2年(1529)に松平清康の侵攻によって落城、天文14年(1545)には今川義元の攻撃を受け、今川氏に仕える近藤満用らが在城したとあります。文禄11年(1568)家康側に寝返った近藤氏は居城を柿本城に移し、その後の宇利城の状況は定かではないと記されています。
登城道の途中には松平右京亮の墓があり、本丸と二の丸(姫御殿)の間は堀で分けられ、本丸には北側に土塁が残っていました。西側の郭に石垣が残っているようなのですが、そこに至る道はシダの雑草が生い茂って通行が困難です。途中に井戸が有るのですが、それも草に埋もれかかっています。その先の道は草で見通しが悪いうえに下りが急になっているので、危険と判断し引き返しました。
この城は自分の家からはそれほど距離があるわけでもないので、いずれ訪問の機会があるかもしれません。その後は御馬屋平に向かいますが道はかなり崩れて来ており、これ以上崩壊すると通行は難しくなるかもしれません。
なぜか御馬屋平の入り口にロープが張ってありますが、せっかく来たのでちょっとだけ覗いてみます。すると‥有りました 三日月堀が。だいぶ埋もれてきてはいますが、これは確かに三日月堀です。状態としては野田城のそれに近いですね。
実は本丸の南の郭にも三日月掘らしき場所がありました。破城の痕跡らしき箇所も近くにあって、石が散乱し、だいぶ堀も埋まっているのですが自分には三日月掘の跡に見えました。岩略寺城の三日月堀に形態が似ていると思います。二つ目の三日月堀らしき箇所を確認したことで、この城には三日月堀が有った可能性が有ると考えます。
三河で三日月堀を確認した城は松平城山城、岩略寺城、野田城、古宮城 そして宇利城です。文禄11年以降の宇利城の状況は不明とされていますが、三河諸城同様に天正12年以降に改修を受けている可能性もあります。

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小城小次郎

声が出る。たぶん。 (2023/11/03 訪問)

立地的には安宅本城の詰めの城的な役割を考えたくなるが安宅一族の内紛で落城したと伝わる16世紀前半に当てはまる焼土層より上には遺構がないというから不思議。遺構の見事さには声が出る。たぶん必ず声が出る。

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しんちゃん

畔田城 豊橋市城下町 (2024/04/28 訪問)

畔田城は豊橋の豪族、畔田氏の城とされています。城びとの城ではありませんが、豊橋の城址では良く遺構を残している城です。平城に近いですが海に突き出した台地上に築かれた丘城(平山城)と言って良いと思います。畔田氏は寛正2年(1461)以前には豊橋市南部を支配し、戸田氏が勢力を伸ばす前の田原にも居住していたそうです。畔田氏は今川氏に従いますが、今川氏の衰退と共に、没落していったと考えられています。
城跡は住宅地の近くにありますが、遺構は良く残っており、北側から城址への道が続いています。四郭や三郭には土塁が残り、三郭と二郭の間には大きな堀があり土橋がかかっています。二郭と主郭の間にも堀があり、ここには橋が架かっています。主郭には案内板と祠があり、南側は木々に遮られて見通しは悪いですが波の音が良く聞こえます。おそらくその先は断崖絶壁で遠州灘が広がっているはずです。太平洋戦争時にも改修を受けているようで、おそらく塹壕や見張所の類としての扱いだったのではないかと考えます。主郭と二郭の間の堀は西は竪堀のように細く下にむかって続いているのですが、東側の堀底が不自然なほどに広いです。高射砲などを設置できるように二郭を削って堀底を広げてあるのかも知れません。

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名城一人旅

平成の大修理 (2014/06/21 訪問)

国宝姫路城の第天守保存修理工事
( 2009年6月〜2015年3月 )
姫路城(白鷺城)には何度か行きましたが
日本100名城、続・100名城巡りをするように
なってから今まで以上に興味が湧きました。

過去にフイルム写真で撮ったものを思い出し、
デジタルカメラで撮ったものとを比較しました。
修理中のクレーンとの2ショットはもう二度と見れないと
思います…。

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しんちゃん

井平城 浜松市北区引佐町伊平 (2024/04/29 訪問)

井伊家七代・井伊弥直の時代に分家した伊平四郎左衛門直時が伊平氏の祖とされており、南北朝時代の井伊家の支城が記されている「浜名古城記」に今城山に砦が築かれているという記載があるようです。
伊平城は旧鳳来寺街道の要衝にあり戦国時代には小屋と呼称されており、元亀3年(1571)武田信玄の将・山県三郎兵衛昌景の攻撃を受けて落城したそうです。
井平城は城びとの城ではありませんが、駐車場も複数用意されており、案内板も各所に立っていて、比較的訪れやすい山城です。本曲輪は個人の邸宅になっていますが、周囲に土塁や曲輪、竪堀の遺構が残っており、西側は急峻な切岸になっています。自分にとっては特に想い出深い城で、初めて野生のカモシカを見たのがこの城でした。まるで城の主のように高所からこちらを見下ろした、その勇壮な姿が印象に残っています。あれからずいぶん経つけど元気にやっているかなあ。

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宗春

金龍の御城印を求めに (2024/05/01 訪問)

昨年、大河ドラマの影響もあり、東照宮限定の御朱印集めを始めました。同じ岡崎市にある瀧山東照宮には昨年参ったのですが、岡崎城内の龍城神社も全国東照宮連合会傘下の東照宮だと気づいたので、早速お参りして御朱印を頂いて来ました。
という訳で、今回は岡崎城がついでとなったのですが、今年の干支【龍】をデザインした新しい御城印があるとの情報があったので、御城印を頂くためにもなりました。

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宗春

切り絵御城印を目当てに (2024/04/27 訪問)

JR東海ツアーズの「JR東海オリジナルデザイン【切り絵御城印付き】名古屋城観覧入場」でもらえる特別御城印を目当てに登城しました。
それだけでは勿体無いので、西の丸御蔵城宝館の企画展を観たりしました。ゴールデンウィークなので本丸御殿は長蛇の列のため断念しましたが、いつ来ても良いお城だと感じます。

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モト

環濠集落の名残りを見られます。 (2024/04/28 訪問)

 城跡は整備されてクリーク公園となっておりました。
佐賀地方には多く見られた環濠集落が良好な状態で残っているとの事で立ち寄りました。
それぞれの地は水堀の役目をした環濠に守られて、一度戦になれば攻めにくい城にであったであろうと想像しながら周りました。
今は釣りなどを楽しむ人も多く見られる見学しやすい公園ですが、守りの硬い城跡の雰囲気を十分味わえる城跡ではないかと思います。

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カズサン

広大な城域に織豊系遺構3/3・指示板廻り編 (2024/04/19 訪問)

 舟岡山城を北口から登城開始し、要所要所に指示板があり散策ルートに迷うことは有りませんでした、指示板も新しくくっきりして居ましたのでルートの参考に成ればと投稿致します。
 それにしても素晴らしく良い山城を探訪させて頂きました。
 長々と申し訳ございません。
 

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カズサン

広大な城域に織豊系遺構2/3・本丸~南曲輪と三の丸?編 (2024/04/19 訪問)

 広大な城域に織豊系遺構1/3・二の丸~本丸編のつづきです。

 本丸と南曲輪の土橋を渡って南曲輪へ、土橋の左右には手取川側に竪堀が落ち込み、東側には大きな空堀、南曲輪は二つの曲輪に分かれて西側には「白山比咩神社創祀之地」石碑と由来石盤が有り祀られている、古い歴史の在る舟岡山である事が良く分かります。
 南曲輪は2曲輪合わせて馬出の役目を担っていたのかも?、東に虎口が在り本丸口への登城路?虎口の北側には石垣城塁が現存ここでしっかりした現存石垣を確認、やっとほっとし安心して石垣を眺められました、此処で本丸東側下へ抜けられるかと周囲を見渡しましたが本丸口への坂道なので、引き返して南曲輪、本丸、二の丸、馬出門跡経由して、2の丸東下から2の丸、本丸の城塁、横堀を観察して、本丸から3の丸エリア?なのか分けりませんでしたが、東方向へ長土塁と空堀がセットで西と東と有り間は喰い違い土塁で馬出氏門跡にもなっている。
 大手山道、4の丸エリアは省略して探訪を終了、大変広大で石垣も残っており、しっかり良いものを観させていただきました。

 舟岡山城の歴史は一向一揆勢が鳥越城への入口を抑える拠点として修築され、手取川奥の白山麓一向一揆勢力の籠る鳥越城の出城の役目をしていた様です、天正8年(1580年)の織田軍の加賀平定戦で鳥越城と共に落城した模様。
 豊臣政権下前田利家が金沢に入城すると、家臣の高鼻石見守定吉が13000石の城主に成った、現在の残存遺構は織豊期の修築によると考えられるとか?

 城域全体は杉の植林で鬱蒼としている、もう少し杉林を伐採して陽の当たりを多くし爽やかな城域に環境整備なされると有り方かなとも考えますが、南曲輪の由来石盤には白山比咩神社が私有地を寄進されて石碑と石盤を建てたと有りますので城域全体私有地でもあれが整備は中々難しい事なのかもしれませんが、何とか全体もう少し明るくしたいなぁ~とも思ったものです。

 素晴らしい山城ですし白山青年の家の駐車場も利用出来て比高もそれなりに低く山城、山道散策には丁度いい城域です、楽しませて頂きました。
  
 

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カズサン

広大な城域に織豊系遺構1/3・二の丸~本丸編 (2024/04/19 訪問)

 和田山城、和田山古墳群を終えて北陸路8番目西に約12km程の舟岡山城を初登城、手取川を背に後ろ堅固の城郭、大規模な工事が行われたらしく、二の丸、本丸の石垣、堀、竪堀、土橋、土塁が眼前に現れると興奮状態、和田山城も興奮の山城、その直後にまた興奮2連発、大変素晴らしい山城を見させて貰いました。

 駐車場:白山青年の家駐車場を利用、青年の家の目に縄文遺跡が有り竪穴住居が復元されていました。
 参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 昨日、ヒロケンさんが投稿、同時期に登城されて居りますが北陸路城廻りの順番に投稿していますので、ダブった様な投稿に成りましたがご勘弁ください。

 登城口は余湖図コレクションは南口、城郭放浪記さんは北口で案内されていましたが比高を稼げそうなので白山青年の家駐車場を利用して、裏手にある北口登城路を選択。
 北口登城口に案内解説板が有ります、余湖図コレクションの情報では南口にも案内解説板が有るようです、北口を2段登ると4の丸と大手山道の指示板、主郭に早く行きたく大手山道を選択、西方向?に4の丸の3~4段の石垣?土塁段が南北に連なり広大さを見せつけている、中ほどまで進むと、3の丸と北口山道指示板、三の丸を選択し遊歩道は少し消えかけていましたが其れなりに進む途中に大木が倒れているので踏み越えて進むと二の丸の角城塁が見える、石垣が草に覆われてるが石垣だと分かる、馬出門跡を通り手取川が望める遊歩道へ、2の丸と北口山道・馬出門の指示板、2の丸虎口より進入、手前の手取川側に竪堀、その奥に櫓台の様な石垣台、2の丸は東側と南側に土塁、石垣が有るかは遊歩道からは判別できず、南側に一段上がって本丸へ手取川側に竪堀が落ち込んでいる、土橋の東側は2の丸と本丸の空堀、虎口より入り本丸へ虎口の手取川側に櫓台石垣、本丸は二の丸より広く、東と南に土塁、石垣かも知れないが、南へ土橋を渡って南曲輪へ。

 広大な城域に織豊系遺構2/3・本丸~南曲輪・3の丸?編へつづく。
  

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todo94

近江の城めぐり⑮ (2024/03/10 訪問)

浅小井城からの転戦です。日吉神社の左脇から登城路が伸びています。今まで知らずに来てしまいましたが、瓶割柴田の故地のようですね。瓶割山の山頂は二の郭の近くでした。散策しやすく整備されていて、古びてはいるものの各郭の表示も大きく示されていました。ありがたい限りです。地元の皆さんもハイキングに訪れていらっしゃいました。

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しんちゃん

長篠城を囲む五つの砦の主城  (2024/04/29 訪問)

鳶ヶ巣山砦は長篠城を囲うように武田勝頼が築かせた五つの砦の一つです。鳶ヶ巣山砦が本城で他の四ツの砦が支城になるようです。長篠・設楽原決戦の前夜、徳川家康の重臣・酒井忠次は奇襲を命じられ、豊川を渡り、南側から尾根伝いに移動して夜明けに鳶ヶ巣山砦を背後から攻撃しました。
五つの砦の守兵一千に対し、奇襲部隊は四千の兵に五百の鉄砲を装備しており、鳶ヶ巣山砦の守将・武田兵庫頭信実は数で勝る相手に奮戦しましたが信実以下ことごとく討死し、五つの砦は全て落城してしまったとのことです。同じころ設楽原では武田軍と織田・徳川軍が決戦に至り、武田軍の敗北で幕を閉じ、武田氏の凋落が決定的になりました。
鳶ヶ巣山砦跡には、この一連の戦いで命を落とした将士の墓(供養碑)が建てられています。東には平坦地が有りますが例によって杉が大量に植えられており、地形もだいぶ改変されているようです。扁平地と将士の墓の周辺との境には謎の土盛りが有りますが、これは境界線のようなものなのでしょうか?

※砦ではありますが、あえて主城 落城 支城などの表記で投稿させていただいております。

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まにまに

岩略寺城 (2024/04/30 訪問)

城びとで紹介されてからずっと行ってみたかった岩略寺城へ行ってきた。

久々のガチ山城だったけど、クルマで城趾のすぐ脇まで行けるので意外と気軽に行ける。クルマ一台がやっとというつづれ折りの道で、獣除けの為の柵もあったりでなかなかの道だったけども(苦笑)グーグルマップ見ても道がないし。

一応城址の入り口近くに縄張図があったり、所々には遺構を示す看板が立ってはいるけど、基本的にはほぼ単なる杉林。道もあるにはあるが、さほど整備は行き届いてはいないので、結構大変。入り口の縄張図を写真に撮って、それを見ながら回ると分かりやすい………というか、そうしないと杉木立で見通しがないので何がどこにあるやら。

堀切、切岸、土塁などはよくわかる。本曲輪に入るにはロープを伝って登るぐらい急斜面。ロープがまだ新しいので、最近設置してくれたみたいで、雨上がりの見学に大変有り難かった。
井戸も所々にあったけど、水が湧き出るというより雨水を貯めておく貯水槽のような感じ。
城域はかなり広く、曲輪も思ったより広かった。尾根筋に曲輪が連なる感じとかも良かった〜。

久しぶりに山城を堪能した!!!

城から降りてからマダニが服に付いてるのを発見したので要注意!!!

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しんちゃん

名古屋城 梅と天守と宮きしめん (2019/03/02 訪問)

この日は西南隅櫓が公開していましたが、他にも二の丸庭園でお茶をいただいたり、城内で宮きしめんを食べたりと、いろいろと楽しい訪問でした。まだ金シャチ横丁が出来る前でしたが、大手馬出のところにある名古屋城きしめん亭で名古屋名物の宮きしめんを食べることが出来ました。きしめん亭は今でも営業しているようなので金シャチ横丁と合わせて御贔屓に願います。
桜に比べると多少地味ではありますが、梅と天守の組み合わせもなかなか良いものです。他にも御殿椿が咲いていたり、武将隊が来ていたりと名古屋城は一年を通じて楽しめる城だと改めて感じました。

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しんちゃん

名古屋城・西南隅櫓 (2019/03/02 訪問)

名古屋城の西南隅櫓は明治後期から大正10年(1921)ごろまでの間に、自然災害にて石垣ごと崩壊しています。大正12年に修理再建が行われますが、正直 文化財に対しての認識が不十分だったようで壁はモルタル塗りだったそうです。平成22年から半解体修理が行われ、本来の白漆喰塗りの姿を取り戻しました。その際、内装も従来の姿に直されています。
通常非公開ですが、時期によっては公開しており、写真は公開時のものになります。外観は二重ですが、実質三重櫓と同等の容積を持ち、内部は三階の構造になっています。
かつて本丸の四方は多聞櫓で囲まれ、要所に隅櫓が建ち高い防御力を誇っていました。多聞櫓は明治維新後も残っていたのですが、明治24年の濃尾地震で大破し、撤去されています。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/04/28 訪問)

知覧城もシラス台地を利用した深い空堀の城跡で空堀、切岸、土塁が見所でした。本丸には残っている土塁の一部を見学しやすいように整備されていた。蔵之城跡(くらんじょうせき)には、掘立柱跡が復元されていた。
駐車場からは本丸などへの案内看板もあちこちにあり散策しやすい。

スタンプはミュージアム知覧チケット売り場横にあり入城しなくても押せるが、中に知覧城や城下町のジオラマや音声解説もあるので入館あしてはいかがかと。
さらい是非立寄ってほしいのミュージアム知覧の横にある特攻平和会館。知覧は特攻隊が出撃した飛行場があった場所で、海から引き揚げたゼロ戦や軍服、寄せ書きなどのほか、二十歳前後の特攻隊員の遺書も展示されている。遺書は読んでいると涙が出てくるが、戦争の悲惨さを知る資料として後世にもしっかり伝え戦争を二度と起こさない世の中を願うばかりです。

本日の行程は以下の通り
※宮崎、鹿児島城廻第三日(最終日)、知覧城に登城
※鹿児島中央駅付近のホテルに前泊

9:27鹿中駅(路線バス)、10:46特攻観音入口
 (徒歩3分)(続百名城スタンプ)ミュージアム知覧(9:00-16:30水休
  ※特攻平和会館も立寄り(9:00-16:30)
 (徒歩26分)知覧城跡
15:56特攻観音入口、17:15,17:30鹿児島中央、18:10,19:30鹿児島空港(航空機)、21:15羽田

※行きのバスが途中の平川動物園までの道が大渋滞で1時間遅延したため、武家屋敷見学を中止しました。当初予定は以下の通りでした
 知覧城跡から徒歩25分)知覧城下町
 ※武家屋敷散策約60分
 ※15時~温泉日帰り入浴
(徒歩12分)16:03武家屋敷入口バス停

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