葛山館は葛山城主・葛山氏の居館で起源は鎌倉時代(平安時代末期)にまで遡ります。東西約97m、南北約104mほどの規模で周囲に良く土塁を残しています。これらの遺構は戦国時代のものと見られ、西側南の開口部がかつての門跡とされています。
南に大久保川が流れ、東側一帯は宮川の峡谷に遮られた天然の要害の地に築かれています。詰の城とは少し離れた位置に存在するのが特徴です。また城郭大系の「葛山城要図」には館の北東に池久保(古池)という地名が見られ天然の堀(もしくは水瓶)の役割を果たしていた可能性があります。
永享10年(1438)の永享の乱の際に今川範忠は足利持氏の討伐に向かい、葛山氏はその先鋒を務めています。しかし「文中年間御番帳」には将軍・足利義政の御番衆の中に今川氏と葛山氏の名が併記されているようなので、徐々に今川氏に従属するようになり、北条氏とも近い間柄であったと思われます。
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