本日、4城目一宮城です。御城印、100名城スタンプは登山道入口の案内板隣にあります。スニーカーで大丈夫ですが、山城なので登山靴等の登山の準備をした方が良いと思います。駐車場は登山口入り口前に2台ほど停めれるスペースが有りましたが、車にて訪問される方は事前に調べておいた方が良いと思います。
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2022/09/19 10:17
2022/09/19 09:54
2022/09/19 09:18
淡路・徳島の100名城を訪ねて② (2022/02/12 訪問)
本日、2城目勝瑞城です。見性寺がある箇所が城跡、道路を挟んで館跡があります。館跡は整備中でした。100名城スタンプは館跡にある史跡勝瑞城館跡展示室2階、御城印は近くのガソリンスタンドで販売されています。詳細はWebで確認願います。
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2022/09/19 08:57
2022/09/19 05:22
2022/09/19 03:31
彩の国東大宮メディカルセンター (2022/09/18 訪問)
東大宮メディカルセンター付近が跡地ということですが、遺構はありません。近くの地蔵堂の案内板に陣屋のことが触れてあります。
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2022/09/19 03:20
寿能公園 (2022/09/18 訪問)
寿能公園が跡地で大和田陣屋より歩いて登城しました。昌官忠さんの投稿で大和田公園に土塁や空堀があるとの情報がありましたが、今回は確認していません。
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2022/09/19 03:13
伊達与兵衛房実 (2022/09/18 訪問)
東武アンバーパークライン大和田駅より徒歩にて登城しました。10分くらいで陣屋のあったとされる場所に行くことができますが、住宅となっていています。個人宅の撮影は避けたいので近くの庚申塔と島村家長屋門前の標識の上にあった「大和田陣屋・土塁250m」と記載された案内の写真を撮影しました。まだ住宅地になる前に立てられたものと思いますが、一応土塁を探しましたがわかりませんでした。
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2022/09/19 03:01
2022/09/18 22:21
2022/09/18 21:28
普門院 (2022/09/17 訪問)
大宮駅から徒歩15分くらいで跡地である普門院に行くことができます。入口に石碑があります。
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2022/09/18 21:26
2022/09/18 21:21
御陣山児童公園 (2022/09/17 訪問)
御陣山児童遊園となっています。遺構はありません。
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2022/09/18 21:18
2022/09/18 21:14
2022/09/18 21:08
2022/09/18 21:00
浜松城訪問 (2005/03/27 訪問)
過去のお城巡りの振り返り第19弾は、静岡県浜松市の浜松城。
天竜川の西側、三方原台地南部の東の縁に築かれた城。
東の低地部の引馬町を統治するポイントで、東から南側に掛けて東海道が通り、北は秋葉神社(秋葉街道)に繋がる地。
家康は今川氏を滅ぼした直後の1570年、遠江の支配と武田の侵攻に備えて岡崎からここに移転。今川時代の引馬城を拡張し、浜松城に改称。その後、豊臣方の堀尾吉晴が城主になると、近世城郭に改修し天守を建てたと推定され、江戸期は松平氏や水野氏、井上氏などが城主を務めました。
現在は本丸も半分以上が削平され、城の姿は天守曲輪とその周辺僅かに残すのみ。
それでも引馬城部分は1/4区画に東照宮が建てられ、その東側の道は堀切の名残。二之丸跡の小学校は閉校となり、最近石垣が発掘されたとのこと。
初訪問の時は、天守に上り、公園全体を巡り、東照宮まで行って1時間半越えの滞在。野面積みの石垣が見どころですが、細かい記憶はもうありません。
'14年の2回目の訪問は、短時間でしたが復元された天守門に驚いた浜松城でした。
※5枚目のみ'14年、残りは’05年の写真
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2022/09/18 20:57
2022/09/18 18:17
県道沿いにひっそりと (2022/08/28 訪問)
県道174号線沿いに神明宮が建ち、この辺りが城跡のようです。
神明宮は小さな祠で前に小谷城址の石碑も立っています。
近くに駐車場はありませんが石碑の前に駐めるスペースがありました。
説明板も立っていますがやや老朽化。
そして遺構もありませんでした。
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2022/09/18 14:30
空堀が見応えあり (2022/09/17 訪問)
小机城址市民の森として遺構が整備されている。1438年頃、関東管領上杉氏により築城と伝わるが詳しくは不明らしい。文明8年(1476)に長尾景春方の武将として、小机城主矢野某が載る。2年後に豊島氏が太田道灌に敗れ、小机城に立てこもるが、太田道灌により落城する。道灌が陣を構えた場所が、鶴見川対岸の亀之甲山。その後北条氏綱により修復され、家老の笠原信為が城代として入り小机衆が組織されたとある。1590年の秀吉の小田原征伐では、戦場とならず開城し、家康の関東入封後に廃城となる。
西曲輪(本丸とも)虎口前には馬出が設けられているのだが、明確な判断が難しい。虎口には模擬冠木門、曲輪の四周の東部を除けば高い土塁で囲まれている。南・北の堀は深く造られている。虎口から東に行くと右下には幾段かの平地が見える。先の小さな祠のある小曲輪辺りから眺める土塁・堀は見所であり、堀底まで入れる。散策路は北に向かい、井楼跡標識まで上るが、本来の道ではないようだ。
上った左はつなぎの曲輪と呼ばれ、南北に細長い曲輪になる。南端には櫓台跡とあり、空堀からは相当の高さがある。右が井楼跡だが、正面の土塁が続いていたらしく、東曲輪(二の丸とも)の虎口は少し東にあったと言われ、急斜面の道だったようだ。西曲輪同様、畑時代に土塁などは削られ、部分的に遺るのみ。東曲輪北隅からの堀も深く、散策路が付けられ堀底へ下りて半周できる。下りた正面の高まりに櫓があったらしい。西曲輪虎口から第三京浜を潜り、上り返せば富士仙元大菩薩の石碑が建つ小山があり、如何にも櫓があったように思える。
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