清洲城は五条川の西岸に築かれていました。応永12年(1405)に尾張・越前・遠江に三国の守護である管領・斯波義重によって築かれたとされています。尾張守護所である下津城が焼失した後は正式に尾張守護所となり、かつてはここが尾張の中心でした。尾張下四郡を支配する守護代・織田大和家の居城であり、織田大和家は織田信秀・信長親子の主筋にも当たりました。尾張守護・斯波義統が織田大和家・信友に殺される事件が起き、義統の子義銀に頼られた信長が大義名分を得て主筋である信友を討ちました。清洲城はこの時点で信長の城となり、大改修を受けたようです。今の縄張り(といってもだいぶ改変されてしまってはいる)は天正10年(1582)に入った織田信雄によるものと見られ、本丸には天守と馬出しを備えていたようです。
現在の本丸跡は東海道新幹線と東海道本線により分断され南側は清洲公園になっており、北側は清洲古城跡公園と清洲総合福祉センターになっています。福祉センター駐車場の手前に本丸の石垣が一部残っており、ほとんど遺構が残っていない清洲城で、この石垣は大変貴重なものです。二の丸跡(推測)には模擬天守が建っていて大手橋を渡って訪れることが出来ます。本格的な城郭遺構とはほど遠いですが、入場料も300円と安く、清洲を代表する観光地でもありますので、気楽に訪れると良いと思います。
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