ふじしまじょう

藤島城

福井県福井市


旧国名 : 越前

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西超勝寺山門
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カズサン

忠臣新田義貞公を語る藤島城 (2022/11/03 訪問)

 越前・白山平泉寺城を堪能し陽は傾きましたが帰路の北陸道インターの近くで、南朝方新田義貞が藤島城の戦いの援軍に向かう途中、燈明寺畷で戦死した事で有名な藤島城跡、現西超勝寺(西本願寺派)を訪ねました。
 車は西超勝寺山門の斜め南東側に参拝者駐車場が有りそこを利用。
 西超勝寺山門前に藤島城址の石碑、その隣に藤島城跡説明板が設置されてる、説明板には城跡説明と南朝方の新田義貞の終焉の様子が語られて居ます、長く語り継がれるでしょう。
 藤島城跡の遺構土塁跡が西超勝寺本堂裏手に残ってる。駆け足で山門、本堂、藤島城跡土塁跡を見学探訪。

 また山門の城名石碑説明板の反対側に岡倉家の墓の説明板が有り岡倉天心の偉業、足跡の説明とここに岡倉家の墓が有り菩提寺に成って居ると説明されてる。
 福井北ICから帰路につきました、日帰りの越前未踏の城廻りは藤島城で終了。疋壇城、東郷槙山城、亥山城、白山平泉寺城と合わせ楽しみました。
 
 

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昌官忠

2022夏の青春18キップ10日目:藤島城 (2022/07/29 訪問)

波多野城からの転戦です。西超勝寺前の駐車場(36.089691、136.272011)に駐車しました。
山門前(36.089784、136.271488)の城碑と説明板は確認しましたが、寺の北側にある土塁を確認し忘れました。

築城年代は定かではないようです。 藤島城は近接する林城としばしば混同されるようですが、足羽七城(小黒丸城、勝虎城、藤島城、波羅蜜城、安居城、江守城、北庄城)の一つだそうです。
1338年(延元3年・建武5年)南朝方杣山城の新田義貞が、北朝方の足利高経が籠る府中を攻め落とすと、高経は足羽へ逃れました。
新田方は河合城に三万余騎の軍勢を集め、軍勢を分けて足羽七城を攻めたてます。
この時新田義貞は北朝方へ寝返った平泉寺衆徒の籠る藤島城攻めの加勢にが向かったが、途中小黒丸城から藤島城へ援軍に向かっていた足利方と遭遇し、燈明寺畷で義貞は討死しました。(藤島の戦い)

攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=本日の城巡りは、ここがラストで本日の宿泊先に向かいました。

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イオ

藤島の戦い (2022/06/05 訪問)

築城時期や築城者など詳細は不明ながら、南北朝期には足羽七城のひとつに数えられた北朝方の城で、藤島城攻略のためにわずかな手勢で督戦に向かった新田義貞が燈明寺畷で討死するきっかけとなった城です(藤島の戦い)。その後、城跡には超勝寺が創建され、本願寺の東西分裂に伴い西超勝寺となって現在に至ります。

西超勝寺の山門脇には藤島城の石碑と説明板が建てられ、かつては北側と東側に土塁や堀があったようですが、現在では本堂の裏手に土塁の一部が確認できるのみです。

なお、藤島城から西に約5.5kmには国史跡の燈明寺畷新田義貞戦没伝説地があり、江戸前期に義貞のものとされる冑が水田から発見されたことから、新田塚とも呼ばれています。発見された冑は藤島神社が所蔵していますが、形状などから戦国期のものと考えられるようです。伝説地には祠堂のほか、石碑や説明板が建てられています。
 

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todo94

西超勝寺 (2021/06/05 訪問)

西超勝寺が藤島城なのですが、こんなに巨大な寺院がカーナビで引っかからないとはどういうことなのでしょう。立派な城址碑と説明板のほか、本堂の裏手にわずかながら土塁の遺構が残っています。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 林光明
築城年 南北朝時代
主な城主 林氏、平泉寺衆徒、斯波氏
遺構 曲輪、土塁
再建造物 石碑、説明板
住所 福井県福井市藤島町37