梶台場・丸岡藩砲台を終えて北陸路4番目北東に約10.4km程と通過点に吉崎御坊が在り10数年ぶりに再登城、今回の企画には入って居なかったのですが、国道305号線上に道の駅「蓮如の里あわら」が目に入り急遽立寄り登城。
駐車場:道の駅蓮如の里あわら専用駐車場。
道の駅から西本願寺別院と東本願寺別院の間の石垣に挟まれた狭い階段を登って約5分程で比高約40mの吉崎御坊跡地に到着。東本願寺別院には三重櫓を思わせる太鼓櫓?小型の天守閣風建物であるが江戸期からの現存。
御坊跡地は当日、八重桜が満開で広場一杯に咲き誇っており、高村光雲作の蓮如上人像が八重桜に浮かんでいるように見えました、現在建物は有りませんが、本堂跡、蓮如上人腰掛石が残って居ます、南側西側は北潟湖に囲まれて大きな濠、北側には大聖寺川が流れて水堀の役目を果たしている、西に突出た丘陵を御坊、城郭寺院に構えた事がよく理解できます。
丁度草刈のボランティア活動されてた方にお話を伺いパンフレットも頂きました、現在は八重桜が咲き、その以前には染井吉野桜、その前には寒緋桜が三本、三度桜を楽しめるようです。解説とパンフレットありがとうございました。
蓮如上人は比叡山勢力に京都を追われて、滋賀の堅田、金森、そして北陸越前吉崎で御坊を建てて布教活動、越前、加賀、越中が真宗王国に成り約100年中世戦国期を浄土真宗の国として勢力を競った。蓮如上人も在地の守護との抗争を避けて吉崎を去り、山科本願寺更に石山本願寺へと移り、本願寺勢力はついには信長との長い10年抗争と成り、石山本願寺は信長の手に、石山本願寺跡地は秀吉により大坂城へと移り変わり。
吉崎御坊は本願寺発展への礎、本願寺の聖地でもあります。
11時ちょっと過ぎでしたが、道の駅で昼食「おろし越前そば」を頂きました。金曜日ですが参拝と観光で結構混んでいました。
帰りがけに西本願寺別院に参拝して次の城郭へ移動。
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