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WEST

金沢城探訪 (2023/10/11 訪問)

数十年ぶりに金沢城を訪問しました。多くの門、櫓等が復元されており、その大きさは壮観です。城址内をゆっくり探索するには半日程度必要と感じました。
市街地にあり、早朝から登城している人が数多くいて、その人気の高さを実感しました。
順次整備しているのか、残念ながら現存する三十間長屋は工事中でみることができませんでした。(令和6年3月まで)
城址内の玉泉院丸庭園も整備され、その眺めに散策後の軽い疲労感を癒してくれました。庭園内の休憩所「玉泉庵」で抹茶を頂き、お殿様の気分に浸りました。
再度登城したくなるお城です。

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駿府城

企画展 特別講演会「“皇帝”家康の駿府城」を開催します!

慶長期駿府城は、大御所家康が手腕を振るう国内最高レベルの政治拠点。ヨーロッパの人びとから“皇帝”とも呼ばれた家康が、世界に向けた外交に取り組む場でもありました。巨大な天守台の築造経緯を物語る発掘成果や、他の城に見られない特徴などを挙げながら、城郭・文献・考古の専門家たちが慶長期駿府城の実像を探ります。
日時     10月28日(土) 13:00~16:00(開場12:15)
会場     静岡市民文化会館 中ホール
定員     500人(申込順)
参加費    無料
申込     10月23日(月)まで、静岡市コールセンター(電話054-200-4894)
で受付(申込順)
講演・報告  基調講演/中井均さん(滋賀県立大学名誉教授)
成果報告/松下高之(静岡市歴史文化課)
パネルディスカッション
コーディネーター/萩原さちこさん(城郭ライター・編集者)

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しんちゃん

長野城 写真のあまり 三重県津市 (2023/10/15 訪問)

長野城の写真が余ってしまったので掲載させていただきます。個人的には主郭より
北東の遺構の方が興味がありました。南北朝のころから使われている城らしいの
ですが、北東部の遺構の堀、土塁、これらの遺構は戦国期のものではないかと
考えます。わずかですが石積のようなものまであり、尾根の下方から通路が堀の
ように上方に続いていて、上の方には両側に大きな土塁まであります。門の礎石
らしいものが幾つかあり、北東から尾根沿いに昇ってくるとなかなか壮観な
光景だったのではないでしょうか?ここから西に回り込み大岩の間を通って
主郭に到達したのかな?想像が膨らみます。

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しんちゃん

山奥に佇む長野工藤氏の城郭。 (2023/10/15 訪問)

長野城は長野氏によって築かれ、長野氏は工藤祐経の孫、祐政が名乗ったのが始まり
とされています。標高540m、比高360mの高地に築かれ、車で通れたり通れなかったり
する林道の先にあります。見所は2か所あり主郭周辺の主要部と北東に広がる堀切や土塁
を備えた遺構になります。主郭は城域の最高部にあり東側を除く周囲に土塁が残って
います。西側に郭が配され、その先にも遺構が残ります。北東の遺構は一度主郭から
降りて駐車場の近くまで戻ると北側に歩道が続いているのでそこを進みます。
すると主郭の北側にいきなり大きな竪堀があり、それに沿って歩道が湾曲して続き
ます。歩道と竪堀はすれすれなので足を滑らすと下に転げ落ちてしまいます。その先には
堀切が下方に延々と続き、それに沿うように左側に郭が配されています。郭は土塁を伴い
一部に石積みが残っています。堀切の下方には門の礎石らしいものが残り、堀切の上方
には左右に大きな土塁が残っています。これらの遺構はその完成度から戦国期のもの
かもしれないと思います。ひとしきり城域を確認した後の満足感はなかなかのもので
わざわざ林道を2km弱歩いてくるだけの価値はあったと思います。(帰りもありますが)

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しんちゃん

長野城への強制ハイキング 林道・高挟ケ野線 (2023/10/15 訪問)

長野県津市の国指定史跡・長野城へ向かう林道・高挟ケ野線は現状通行止めになって
います。3月あたりには車での通行が可能だったのですが今は落石が多く、未舗装路の
わだちの跡に水が流れ込んで小川のようになってしまっています。崩落個所も小さい
ですが一か所だけあります。4WD車ならなんとか通過は可能だと思いますが自分の
車では厳しいですね‥どちらにしろ現状は車両通行止めです。道中いくつか滝があり
ました。道の下を通過して下方に放流してます。片道2km程度で往復4kmちょっと
、所要時間は約1時間ぐらいです。ハイキングは間に合っているのですが、ここは
あきらめて歩くしかないです。長野城の史跡にはそれだけの価値はあったと思います。

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WEST

七尾城探訪 (2023/10/04 訪問)

石川県の七尾城を訪問しました。時間の関係で麓の登山口からではなく、本丸駐車場から登城しました。
散策途中で出現する桜馬場及び本丸の石垣は壮観です。
お城は名前の通り、七つの尾根に曲輪が跨って展開しているとのこと。今回は調度丸、本丸、桜馬場、二の丸、三の丸、袴腰、寺屋敷と回りましたが、アップダウンがあり少々きつい散策となりました。
その中で本丸からの眺望は素晴らしく、七尾城下が見渡せます。
なお、麓の七尾城史資料館は月曜日(祝日の場合は翌日)が休館ですので注意が必要です。

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WEST

高岡城探訪 (2023/10/04 訪問)

富山県の高岡城を訪問しました。自動車での訪問でしたが、小竹藪駐車場が近い駐車場になります。
高岡城の見どころは築城以来保存されている水堀と七つの郭、それに石垣です。七つの郭をゆっくり散策しながら、その大きさが実感ができます。
二の丸と三の丸の土橋の石垣も石垣ファンにはたまりませんね。
また、本丸には射水神社が鎮座されており、是非参拝してみてください。

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カズサン

麓だけでも見てみたい (2023/10/01 訪問)

 淀山城の探訪が不発に終わり、国道372号線往来で八上城の山容は見て居り又以前の丹波篠山城天守台、北側の大渕舘、沢田城探訪でも八上城の山容は良く目に焼き付けて居り、淀山城からの帰り体力脚力の弱い私ですが是非麓だけでも見てみたいと、駐車場、案内解説板、登城口確認へと出向きました。

 駐車場:春日神社登城口駐車場、国道372号線南に一本入った集落の道北沿い(35°04'00"N 135°15'01"E)、砂利舗装20台は可能
     春日神社鳥居を南入った約50m西に駐車場有10台弱ここはあまり使われていない。
 参考資料:古城盛衰記さんグーグルマップに依る
 パンフレット:春日神社鳥居お潜り南に突き当たった掲示板下にA3六つ折りパンフレット有り、1枚ゲット。

 春日神社より南山手に波多野氏が倒れ落城後、時の城主が政務を執った主膳屋敷跡が麓に広く残っております、最近できた八上城主前田主膳供養塔が山頂登城坂手前に設置されています、屋敷地は杉の植林で鬱蒼撮りており、虎口は土塁が目を引きます。
 入口の春日神社への導入路は石垣、崩れかけた土塀と寂れた風情を出していました。
 八上城は明智光秀が丹波攻略で大変手をこまねいた城であり、波多野氏であります、人質の母親を殺されてる処でもあり歴史に深く刻まれています。
 次に訪ねた丹波篠山城天守台で八上城を再度遠望しました。
 

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カズサン

期待した駐車エリア先客有り麓探訪で撤退 (2023/10/01 訪問)

 城びと先達各位の投稿で、私でも登れそうと行ってみたい城に登録し待機して居ました、今回の鳥取での用事が重なり帰省の折、丹波篠山経由で鳥取へ、丹南篠山口ICを降りて国道372号線を東行約12km程、道沿い北約50m程に溜池が有り、その東に古城盛衰記さん情報で駐車エリア有(35°04'19"N 135°18'41"E)を訪ねると既に1車先客駐車。
 車の駐車処理に困り、集落の方に迷惑掛からない様にと北側の道に若干進入して仮駐車、徒歩で溜池北の付け根の登城口と案内解説板を確認し、害獣除けのフェンス入口を確認するが施錠の仕方が判らず、開く事が出来ず、撤収する事にしました、コンパクトな山城登城できず残念でした。
 参考資料:古城盛衰記さん、グーグルマップ、城びと投稿各位。
 
 

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しんちゃん

墓地から入ると比較的楽に散策できる。 (2023/10/15 訪問)

西の城は標高234mの最高所を主郭とし周囲の尾根に郭を展開しています。南西に
大きな土塁があり南からの敵の侵入を防ぐと同時に中の城を守っているかのようです。
中の城から尾根沿いに登城できますが、なかなかしんどいです。
実は北側の美里町墓地に道が続いていてそこから簡単にアクセスすることが出来ます。
案内板もあるので推奨ルートの一つと見て良いでしょう。中の城と東の城は登城道を
使って問題なく訪問できるので、一度そこから下って西の城にアクセスするのが
結果的には楽だと思います。
美里町墓地への入り道 34°44'41.7"N 136°21'55.9"E

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しんちゃん

細野氏の城郭群(細野城)の中心に位置する。 (2023/10/14 訪問)

中の城は三城の中心に位置する城で、位置的に重要な役割りを持っていたの
ではないかと思われます。北側から侵入するのですが堀切が幾重にも配され行方
を阻んでいます。主郭の北側には土塁が残り、土塁の上には櫓台を設けることが
出来そうなスペースがあります。主郭の南は堀切に土橋がかかり広い郭が
あります。このあたりが二の郭でしょうか? さらに南側に向かって郭が配され東側
にも段状に帯郭があるようです。中の城から北に尾根上に進むと西の城に
到達できるようです。西の城の南西に高土塁がありますが、これは中の城への
敵の侵入を防いでいるようにも見えます。中の城の主郭を守るために幾重もの
防衛線が敷かれているのを見ると、ここが細野氏の城郭群の防御の中心に
なるのではないかと思います。西の城には尾根上から向かうルートの他にも
簡単に行ける道がありますので、西の城の口コミで紹介したいと思います。

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しんちゃん

三つの城の中で最初に訪問。肩慣らしにはちょうど良い。 (2023/10/15 訪問)

細野城は長野氏の流れをくむ細野氏によって築かれたとされています。比高60mほど
の丘陵上に三箇所に城が築かれていて東の城・中の城・西の城とそれぞれ呼ばれ
ています。県道上野津線ぞいからアクセスでき、中の城と東の城の中間の谷間から
登城道が続いています。東の城は主郭の周囲に円錐状に郭を配し、堀と土塁を備えて
います。南東側にも郭があり、三つの城の中ではもっともシンプルな縄張りですが
この先まだ二つ城を周ることを考えると、ちょうど良いウォームアップになるのでは
無いでしょうか。

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ぴーかる

櫛崎城 (2023/09/09 訪問)

【櫛崎城】
<駐車場他>関見台公園駐車場 無料数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>現存石垣・復元天守台
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2城目。現地説明板によると櫛崎城は戦国時代に大内氏重臣の内藤隆春が築城したとされています。関ヶ原合戦後に長門国を与えられ山口城に居城していた毛利秀元が内分分地5万石という形でこの地に移り、城を改築城し名称を雄山城として支藩の長府藩主となります。一国一城令によって城は廃城となり秀元は山麓居館に移ります。幕末には館は内陸に勝山御殿を築造し移り住み、城跡は砲台として利用されます。
 城跡は丘城で山頂付近から復元石垣、山頂に復元天守台があります。本丸跡に積み方の違う石段や天守台下部の一部に積み方の違う石垣が見られるので当時の遺構かと思われます。また山の北麓西面に当時の高石垣が残され(山頂部分は民家となっています)かなり見応えがあり、なかなかの遺構かと思います。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

御殿から 天守を眺める 嬉しさよ (2023/09/30 訪問)

掛川城は今川氏の臣・朝比奈氏によって築かれ、後に山内一豊によって近世的な
平山城に改修されました。現在は大手門と天守が木造で復元されていて、
二の丸御殿が現存しており1980年に国の重要文化財に指定されています。二の丸
御殿は文久元年(1861)に再建されたものですが全国でも珍しい遺構として
掛川城の大きなウリになっています。現存・再建と多くの木造建築物を有する
掛川城は江戸時代の城郭の雰囲気をリーズナブルに味わえるという点では
全国でも屈指と言ってもよいのではないでしょうか。

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初芽

山々をバックに遺構を堪能! (2023/10/14 訪問)

滞在時間:45分ほど

太鼓門前橋工事中のためか水堀の水が
抜いてあるという少しレアな光景を
見ることができて逆にラッキー!
屋根がトチ葺きの太鼓門、石垣に渡らず
独立した櫓門の北不明門、
土塁のトンネルのような埋門など
見所いっぱいで満足した〜!

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にのまる

LRT初乗車で。 (2023/09/01 訪問)

今年8月26日に75年ぶりの路面電車として宇都宮に開業したライトライン。(「宇都宮ライトレール」「芳賀宇都宮LRT」など複数の呼称がありますが“ライトライン”と呼んでいいようです。)
開業7日目に行ってきました。
完乗目的……ではなくて「飛山城跡」駅下車です。
飛山城へは2019年春に宇都宮駅から路線バスで行って以来になります。

“次世代型路面電車”のイメージ通りの黄色と黒の車体にすっきりとしたシャープな顔つきのライトラインは、SuicaもOKで座席はクロスシートメイン。遊園地のアトラクションに乗り込むような気分での初乗車でした。

駅前の繁華街を過ぎ、町なかを抜けてゆっくり進みます。
左側の窓にへばりついていると、見えてきました!平山城オーラ全開の飛山城。惚れ惚れするようなシルエットです。
鬼怒川橋梁を渡って飛山城跡駅に到着。宇都宮駅から8駅約20分の電車旅でした。

飛山城跡駅は高架上。周辺には特に何もない、のどかなところです。飛山城までは歩いて20分くらいでした。

まずはとびやま歴史体験館へ。ミニ企画展「真岡の城 芳賀氏の城」開催中でした。
飛山城のジオラマや解説も充実しており、特に復元の根拠が写真付きで丁寧に説明されているのがたいへん勉強になりました。「飛山城ものがたり」のビデオもお願いして上映していただきました。「飛山城Q&A」「のろしQ&A」にもチャレンジ。いい大人のくせに全問正解になるまでやりました。資料や書籍も充実。企画展資料の販売もあって、館内だけでかなり楽しめました。地元の子供たちの学習・体験の場としても最適。地元愛が深まること間違いなし!で羨ましいくらいです。

史跡公園は櫓台からの横矢に枡形、ビジュアル抜群の5号堀と入口から楽しいです。各所の説明も親切で「この土橋はニセモノです(意訳)」ということも書いてくださっています。
9月と言えど、城夏にして草木深し。歩けそうなところは一巡りしましたが堀跡もはっきりとは認識できず、土塁のぼりも無理だったのが心残りです。
しかしライトラインは時刻表を気にしなくてもいいくらいの本数が出ているのでこれからは気軽に行けそうです。富士山が見える冬がいいかな。

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トク

72【関ケ原の26人】 (24) 島津義弘 (島津義弘と一宇治城) (2023/09/24 訪問)

(24人目)島津義弘の続き③です。
義弘が少年期を過ごした「一宇治城」を訪れてきました。
JR鹿児島本線「伊集院駅」から徒歩で30分程登った所にあります。

駅前では義弘の銅像が出迎えてくれました。何とも勇ましいというか、関ケ原の敵中突破をイメージして作った銅像だそうです。「義弘様!かっこいい~!」(写真①②)。

ここ一宇治城は、義弘の父「島津貴久」の居城です(写真③④⑦)。貴久は1537年頃に伊作城より拠点をここ伊集院へ移し薩摩を統一します。そして1550年に鹿児島市の内城へ移るまでの約13年間、ここを居城としました。義久・義弘はその時の少年期をここで過ごしたと言われています(義弘3~15才頃)。城は日置市街を眺める高台にありました。ここで兄の義久は当主としての心構えを、弟の義弘は兄を守る軍師としての教えを、祖父の忠良(日新公)から徹底的に叩き込まれたそうです。得意の「釣り野伏せ」戦法も、ここで忠良から教え込まれたのかもしれません(なるほど🤔そうだったのか~!)。

1549年日本に上陸したザビエルが、日本で最初に謁見したのが島津貴久でした。その会見の地碑がありました(写真⑤⑥)。貴久はザビエルの平和と愛を説くキリストの教えに感銘し、日本で最初に布教を許可した人物で、島津の丸に十字架の家紋はこの時に生まれたようです。

義弘は関ケ原後の晩年に、自分の菩提寺を忠良と少年期に学んだ麓の「妙円寺」(写真⑨)と決めたようです。妙円寺には義弘の位牌があります(墓は別の場所です)。今でも敵中突破を果たし帰還した義弘公をしのび、毎年10月に鹿児島市から伊集院のここ妙円寺までの20kmを歩く「妙円寺詣り」が行われているそうです(今年は10/22)。幕末には西郷隆盛や大久保利通も詣でたとか。麓には他にも、義弘を祀る「徳重神社」(写真⑧)もありました。

この日は天気がよく、一宇治城から日置市街や遠くの桜島までがきれいに見えました(写真⑩:中央に見えるのが桜島、左下が伊集院駅、その左には妙円寺と徳重神社があります)。

まだ少年であった義久と義弘は、この一宇治城から遠くの桜島を眺めながら、いったいどんな将来の夢を語り合っていたのでしょうかね?😊

次は、島津本城(内城)を訪れます。
 

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WEST

白井城探訪 (2023/10/04 訪問)

群馬県渋川市にある白井城を訪問しました。
築城主、築城年は諸説あるそうですが、現在の姿は、徳川家康の関東入り後に整備されたとのことです。
北郭、三の丸、二の丸は農地となっていますが、本丸は綺麗に整備され登城し易かったです。本丸周囲の土塁は立派であり、是非これからのお城訪問先のリストに入れてみてください。
アクセスは自動車がおすすめですが、少々狭い道路ですので注意をお願いいたします。

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WEST

岩櫃城探訪 (2023/10/03 訪問)

真田氏上州の拠点、岩櫃城を訪問しました。平沢登山口観光案内所にてパンフレット、縄張図を入手して登城しました。
山城ですので、登城は少々きついですが、中城跡、三の丸跡、二の丸跡と進み、その先の本丸址まで約20分で行けます。
途中には大きな堀が数多くあり、山城らしさを感じました。(「熊出没注意」の看板がありましたが、熊がでることがあるのでしょうか・・)
登城後は、不動堂、不動の滝や反対側の古谷登山口付近にある密岩神社(岩櫃山が綺麗に見えます)、潜龍院跡に行くのも良いかと思います。
なお、名胡桃城、沼田城、岩櫃城の三つのスタンプで平沢登山口観光案内所にて特製のクリアファイルを貰いました。ラッキーでした。

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WEST

沼田城探訪 (2023/10/03 訪問)

沼田城を訪問しました。
名胡桃城から自動車でも約15分と近く、戦国時代での真田氏と北条氏の両城の間での緊張感が感じさせられます。
その後の真田信幸の沼田城主時代は、五層の天守閣等があったとのことですが、今は残念ながら、当時の建物はなく、一部の石垣や土塁がわずかに残っています。
なお、沼田市観光案内所には天守の推定模型がありますので是非寄ってみましょう。

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