みずがえじょう

水ヶ江城

佐賀県佐賀市

別名 : 水ケ江城
旧国名 : 肥前

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ぴーかる

龍造寺隆信の生誕地 (2024/02/11 訪問)

【水ヶ江城】
<駐車場他>駐車場はなし。佐賀城本丸歴史館駐車場
<交通手段>車

<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅4城目。水ヶ江城は文明年間(1469~1487年)に、龍造寺康家(龍造寺隆信の4代前)によって築城されたとされます。当初は館程度のものであったが、次の代の家兼によって濠を廻らし城塞化したそうです。佐賀城を築城するとともに廃城となったようです。
 佐賀城の環濠を巡っている途中に立ち寄りました。現地に遺構は残っておらず、公園内に龍造寺隆信の生誕地碑があるのみです。

<満足度>◆◇◇

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小城小次郎

龍造寺隆信はここから雄飛した (2022/11/12 訪問)

佐賀城の下に眠る村中城ともども龍造寺氏のお城で水ヶ江は村中の分家なのだが両城はお隣同士と言えるほど近い。水ヶ江に生まれ還俗して水ヶ江を継いだ龍造寺隆信は村中を糾合しやがて九州を三分する勢力へと雄飛していった。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)4日目:水ヶ江城 (2022/06/08 訪問)

神代氏芦刈館からの転戦です。乾享院駐車場(33.242685、130.305363)に駐車しました。
龍造寺隆信公誕生碑(33.242814、130.305161)は駐車場横の「中の館児童遊園」の中にあります。

築城年代は定かではないようですが、文明年間(1469年〜1487年)に龍造寺康家によって築かれたと云われています。
村中城主龍造寺康家が文明年間(1469年〜1487年)に村中城を嫡男胤家に譲り隠棲して新館に移ったのが水ヶ江城の始まりだそうです。
康家が没すると龍造寺家兼が継いで西館・中館・東館などと呼ばれる周囲に堀を巡らせた五館の曲輪群を構え、水ヶ江城と呼ばれました。
この家兼の曾孫にあたるのが龍造寺隆信で、分家である水ヶ江龍造寺氏から出て本家である村中龍造寺氏も継承し戦国大名として勢力を伸ばしました。
水ヶ江城は現在の乾亨院一帯に築かれていて、乾亨院の西側にある小公園が龍造寺隆信誕生の地として市指定史跡となっており、ここに隆信公胞衣塚があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=高木城に向かいます。

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刑部

龍造寺隆信 誕生の地 (2022/05/01 訪問)

佐賀城から少し歩いたところの住宅街の中にポツンと公園のように残されていました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 龍造寺康家
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な改修者 龍造寺家兼
主な城主 龍造寺長信
遺構 横堀跡
再建造物 石碑
住所 佐賀県佐賀市中の館町