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にのまる

太平洋を一望する海防城 (2023/08/18 訪問)

18きっぷの3回目は常磐線に揺られて日立へ行ってきました。日立駅からは徒歩です。

坂道(助川城址通り)を登って着いた広場は養正館跡。茨城百景の石碑と養正館の説明板と標柱、助川海防城の標柱がありました。養正館は水戸の弘道館に先駆けた教育施設だったそうです。

そのまま進んで奥の階段をのぼったところが本丸跡。遠見番所跡はさすが!いい眺めでした。表門礎石は二の丸の鳩石と共に残る貴重な城の遺構だと説明板にあります。ということは、かっこよく組まれた石垣は公園整備後のもののようです。
登ってきた坂道がまさに城域で、この最高所から異国船を見張っていたのだなと実感しました。

鳩石は写真⑥の階段を上がったところ、養正館跡の広場のお手洗いの前にありました。最初、どこが鳩なのかわからなかったのですが、よく見るとちゃんと鳩がいました。写真⑦です。探してみてください🕊️

日立駅からの海の眺めも素晴らしかったです🌊

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カズサン

【陸奥大寺城】福島県石川郡玉川村 大寺城跡公園整備良 (2023/09/19 訪問)

 宮沢遺跡と東北道沿い未踏の城探訪の3日目、前泊の福島市から東北道須賀川ICを降りて県道63号線走行し福島空港横を通て大寺城跡公園と成ってる大寺城を初登城。

 住所:福島県石川郡玉川村大字南須釜舘坂(大寺城跡公園)
 駐車場:大寺城主郭下と藤の丸の間に4台ほど駐車可能、トイレ有。(37°12'22"N 140°27'21"E)
 参考資料:古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。

 城びとには登録されていませんが、丹羽長重さんが2020年8月に登城投稿されて居り、城郭放浪記さん昨日のTOP10にも揚がっており、ピックアップし今回の城探訪に加えました。

 県道63号線で集落に入り堀切のような道、出丸であった東福寺の反対の北側に大寺城跡の案内指示板が出て居り、細いですが舗装されて道が大寺城址公園・駐車場まで繋がっています。
 駐車場からクランクした階段を段曲輪越しに主郭虎口へ、広く南は一段浅く落ちてる、北東角には自然石の大寺城主之碑が立ってる、中心には祠が祀られている、東屋は北側、近くに平成26年の大沢城の昔と今としてのパネルが写真入りで紹介されている。
 主郭東下に富士の丸今は枝垂れ桜で葉が茂り鬱蒼としてる、その東下に堀切の様な峠道?南、東に曲輪が段々の様に見受けられるが畑か草茂り良くは判らない。主郭、腰曲輪2段、下の段曲輪には東屋が建てる、富士の丸はよく整備されていてこじんまりと探訪し易い城跡です。

 歴史的には承保元年(1074年)石川有光により築城され石川氏代々の居城、2代3代の50年間に本丸、二の丸、三の丸、富士の丸が整えられた。文安三年(1446年)13代光義の時、石川町中野から薬師如来・日、月天・十二神将を東福寺境内に移したのにちなんで石亀ノ里大寺と改め、大寺氏を名乗るようになった。
 天正十七年(1589年)伊達政宗の来攻の際には所領争いの確執などから須賀川の二階堂氏と共に敗れ石川昭光の軍門に降ったために大寺城も没収され破壊されたと伝えられてる。(案内解説板抜粋)
 

 

 

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チェブ

小栗と船橋でこんがらがる。 (2023/10/14 訪問)

歩いても、汗だくにならなくなった秋の休日。
千葉県船橋市の「城ノ台城」でこんがらがって来ました。

JR総武線『下総中山駅』から「城ノ台城」跡となる『多聞寺』まで15~20分くらい歩きました。
山門をパチリ。
『多聞寺』の裏手が高くなっていて、木々が伸びてます。こちらに「城ノ台城」の何かが有るのではと、『多聞寺』右手の坂を上がりました。
写真②、船橋のマンホールと道路の滑り止めのシマシマ。結構な坂でした。
坂の上はお墓になっていて、入れなさそうです。
次の目的城に転戦する為、京成電鉄『東中山駅』に向かいました。
駅のすぐ近くに公園があり、何やら説明板が、、、。
写真③です。『東中山台遺跡群』の説明板でしたが、この辺りに「小栗原城」があり、城主の館もあったとあります。
「城ノ台城」の別名が「小栗原城」です。

こっから、ちょっと ややこしい話。
「城ノ台城」の城主は小栗 判官 満重さん。つまり「小栗原城」の城主は小栗 判官 満重さん。
船橋市の郷土資料室によると、小栗 判官 満重さんは伝説上の人物との事。
千葉氏家臣の小栗氏という情報もありました。

小栗 満重さんを調べたら、茨城県筑西市の「小栗城」で自刃で亡くなってます。伝説の人物ではないようです。
それに「小栗原城」「小栗城」、原の字がないだけ。惜しい。
どちらも、小栗 満重さんが活躍したのでしょう。ただ、船橋市説の方が劣勢です。
なんだか、両城でゴッチャになってしまったのかな?

私は船橋市に始めて電車で来ました。
この日、船橋・京成船橋・新船橋・西船橋の駅を使いました。さらに、西船と京成西船。(降り間違えた駅も含みます。)
調べてみたら、船橋とつく駅名は7ヵ所あるようです。これを乗りこなせる船橋市民の方々、尊敬します。

いつか船橋市が 自信を持って『小栗 満重』の居城ですと、PRしてもらいたい「城ノ台城」攻めでした。

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ぴーかる

下関前田台場 (2023/09/09 訪問)

【前田台場跡】
<駐車場他>専用駐車場あり。国道9号線沿い<33.972883, 130.969827>
<交通手段>車

<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅1城目。下関前田台場は幕末に長州藩が下関に築造した台場の一つで、低い位置する低台場と東方向6mほど高い位置に高台場とがあります。当初は低台場のみがありました。1863年に攘夷決行として5月10日から関門海峡を通過する外国船を次々と砲撃を開始します。6月フランス船が報復として前田台場を砲撃、上陸して周囲の民家を焼きはらいます。その後高杉晋作が下関の防衛を任せられると前田台場を修復し高台場を急造します。1864年にイギリス、フランス、アメリカ、オランダの四か国は長州藩の攘夷派一掃と関門海峡封鎖を武力解除するために連合艦隊を組んで下関の砲台を攻撃し破壊占拠(四国艦隊下関砲撃時事件)されます。前田台場もこの事件で占拠されます。2010年に国史跡に指定されています。
 現地は地表面に観察できる遺構はそれほど残されておらず、削平地広い削平地があるのみのようです。低台場内は散策できますが、高台場の方はロープが張られ内部はビニールシートで覆われた発掘途中?の面積が多いです。

<満足度>◆◇◇

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じゅんじん

大樹寺 (2023/09/30 訪問)

ビスタラインですね。

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じゅんじん

家康公の地元 (2023/09/30 訪問)

大河ドラマでにぎわう岡崎城へ。5年ぶりでした。おみやげ店も新設されてにぎやかでした。

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Pylori

琉球の歴史を実感 (2023/09/11 訪問)

石垣が美しく、琉球文化を感じることができました。
沖縄の辛い歴史を背負った城であり、現在進行中の本殿の復興も含めて沖縄の皆さんの思いに感激しました。

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にのまる

18きっぷ2回目のラスト (2023/08/16 訪問)

宇都宮城からの帰りに、まだ明るい!まだ行けるっ!と途中下車して行ってきました。
5年前に城内散策をしているので、今回は周辺メインでまわりました。

『小山御殿広場』①②③
歴史的な流れなどについては写真の解説をご覧ください💁‍♀️ 読みやすくてわかりやすいです。
交差点の広場に平面復元された御殿跡。推定鳥瞰図に簡単な説明もあってイメージしやすかったです。

『小山評定跡碑』④
小山市役所の駐車場に由来の記された石碑がありました。小山御殿広場からは市役所の中を通り抜けられます( *´艸`)

『小山評定之碑』⑤
須賀神社にありました。

『小山政光 寒川尼像』⑥
思川のほとりに仲よく立っています。昨年の「鎌倉殿」の時代です。

以上、ぐるっとまわってから小山城(祇園城・⑦⑧⑨⑩)へ行きました。
本丸・二の丸エリアの公園整備は継続中でしたが、北側は自由に歩けました。
地域住民の方が安心してお散歩できる、誰からも愛される城址になればよいなと思います。

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シェル

頼朝ゆかりの地と東京第一陸軍造兵廠跡 (2023/10/03 訪問)

JR京浜東北線 王子駅から徒歩約10分。
石神井川ほとりの金剛寺が城跡と言われています。
現在、遺構は無く、案内板も設置されていません。
金剛寺の本堂の辺りは、周囲より少し高くなっており、かろうじて城っぽさは感じられました。
金剛寺前には、「源頼朝の布陣伝承の地」の説明板があります。
金剛寺の北側には、石神井川に沿って遊歩道が整備されており、北区立音無もみじ緑地という公園に繋がっています。
滝野川城周辺は、戦前から終戦まで東京第一陸軍造兵廠があったため、あちこちに陸軍用地の標石が残っています。
また金剛寺から北に少し歩いたところに、造兵廠本部事務所の庁舎や兵器工場275号棟を改築した北区立中央図書館などがあります。

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織田晃司

宇宙の (2023/10/08 訪問)

もとい。雨中の地黄城。

雨がふったので近くの丸山城はびしゃこになるので登城断念。

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にのまる

宇都宮城から徒歩で行きました。 (2023/08/16 訪問)

宇都宮城から2kmくらいです。
途中、中央通りといちょう通りの交差するところに大きないちょうの木が見えました。
近づいてみると、この場所は宇都宮城の三の丸と百間堀の境の土塁で、いちょうの木は宇都宮城の清明館で催されていた「うつのみやの戦災展」でいただいた資料にあった「復興のシンボル 大いちょう」でした。宇都宮空襲で被害を受けて黒焦げになってしまったものの翌年には新芽を吹き、青々とした葉を茂らせたのだそうです。隣接するビルの9階よりも大きいです。
推定樹齢400年ということは、宇都宮家終焉の頃に芽吹き、秀忠から家慶までの日光社参や、本多正純の町づくりから改易までも見てきたのでしょう。戊辰戦争では、この木自身が危ない目に遭ったかもしれません。

その先には宇都宮城大手門跡。
戸祭城に向かっているのですが、まだまだ宇都宮城内です。

県庁の西側、昭和小学校の裏の路地に戸祭城の城碑がありました。お住まいの方以外の人や車は通らないような静かな通りです。

石碑が城址を示すだけではありましたが、戸祭城のおかげで宇都宮城の見ていなかった遺構や跡地を通ることができたので、行ってみてよかったです。

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御嶽宿(可児才蔵生誕の地)  (2023/10/14 訪問)

 中山道49番目の宿場町御嶽宿は岐阜県可児郡御嵩町にあります。戦国時代の人で「笹の才蔵」としても知られる可児才蔵は、御嶽宿にある願興寺にて生まれ幼少期を過ごしたと伝わっています。笹の指物を背負って戦い、敵の首を討つことが常に多くてとても腰に抱えることができなかったため、笹の葉をとって首の口にくわえさせたと伝わっています。他にもおもしろい逸話があり、興味ある人物です。朝倉義景の側室が身重の体でこの地へ逃れてきて才蔵が生まれたという説も説明板に書かれていました。
御嶽宿は才蔵ゆかりの願興寺の門前町として発達しました。その願興寺の本堂は国指定の重要文化財ですが、現在解体修理中です。

名鉄広見線御嵩駅で「山城に行こう2023」のポスターを見つけました。11月11日、12日に岐阜県可児市広美地区センターで開催されるようです。可児の山城巡り等のイベントの他に、春風亭昇太師匠、中井均先生、加藤理文先生、栗原響大君(お城博士ちゃん)などの講演会もあるようです。詳しくはHPをご覧ください。

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御嵩城(権現山城) (2023/10/14 訪問)

 岐阜県可児郡御嵩町にある城址で、城びとには未登録です。金峰ふれあいの森として整備されています。登城口へ行くと「金峰神社 霧の本丸」「木もれ陽の出丸」という標識が左右にありわかりやすくなっています。曲輪、土塁、竪堀等が残っています。本丸には金峰神社の本殿がありました。縄張り図を見ると畝状竪堀があり探索しました。確かに畝状竪堀はあると思われますが、浅くなっていたりしてわかりにくかったですね。説明板などは見当たりませんでした。

 岐阜の旅サイトの説明には「伝承によれば、金山城主森長可は権現山城に大軍をもってたびたび攻め込みましたが、権現様のお使いの白い大蛇が霧を出して阻み、攻略できなかったことから、「不落の霧隠城」と呼ばれていました。ところが、小栗信濃守は城の守りを強固にするため、権現山より見晴らしがよく、防御に有利な西方の本陣山に、城を新しく築き移動しました。すると、これまで得られた権現山の大蛇の加護がなくなり、敵に攻められて落城したと伝えられています。」とあります。それで霧の本丸と表示があったのですね。先に投稿した本陣山城の方は公園となっていて遺構はあまりないと思われますが、この権現山は山城の雰囲気をよく残しています。

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御嵩城(本陣山城) (2023/10/14 訪問)

岐阜県可児郡御嵩町にある城址です。城びとには未登録です。小栗信濃守重則が天文年間に築城したと伝わっています。以前は隣の権現山に居城があったようですが、防御力の高いこの地に移したとのことです。御嵩城址公園となっていて遺構はよくわかりません。説明板では空堀がありように書いてありますが、埋めてしまったのかわかりませんでした。眺めはとてもよいです。

 名鉄御嵩駅より徒歩15分くらいで行くことができます。

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織田晃司

流行に敏感なので (2023/10/08 訪問)

大河ドラマ「麒麟がくる」終了後3年経ち光秀の城・周山城に登城(笑)
石垣のある周山城(東の城)と土の城の西の城があります。

周山城がディナーとすれば西の城はデザートとなります。
周山城だけだと約1時間強。西の城を加えると約2時間強が目安です。

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織田晃司

京丹波の八木だメェ~ (2023/10/08 訪問)

キリシタン大名・内藤如安(ジョアン)の山城。
天候が気になりすべてを見ることはできませんでしたが、本丸の石垣、堀切、曲輪等確認できました。

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シャンシャン

立派な石垣が連なる城跡 (2023/10/11 訪問)

駐車場から石段を登っていくと、立派な石垣が現れる。
天守や櫓はないけど、この石垣だけでも充分見に行く価値がある。
頂上からの景色も絶景!
昔の人は人力でよくこんな山の上まで、数多くの大きな石を運んで立派な石垣を作り上げたものだと感心する。

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織田晃司

信長の野望をプレイしたことのある方は (2023/10/07 訪問)

家臣にして重宝した鉄砲の名手・稲富氏の居城。

最後の写真の縦堀はインパクトありますが実は、神輿を社殿に通すために後年に掘られたものです。

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織田晃司

細川藤孝(幽斎)・忠興父子の (2023/10/07 訪問)

築城・入城した宮津城。

近くに宮津城の前に居城とした山城・八幡山城があります。
本丸に僅かに石垣が残っているのと、見張り場から天橋立がほぼ貸し切り状態で眺める事ができます。

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織田晃司

一休さんの将軍様 (2023/10/07 訪問)

足利義満が立ち寄りその景色を絶賛した高浜城。

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