まつくらじょう

松倉城

岐阜県各務原市


旧国名 : 美濃

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樫大神碑と説明板
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カズサン

美濃南部城廻り松倉城は木曾川の中 (2024/03/16 訪問)

 昨年10月の西美濃未踏の城廻り時間切れと成って取り残された美濃南部の城廻り最後の城は松倉城、先の伏屋城から南東に約5~6km程の木曽川南側の輪中の中、堤防沿いに碑と案内板が有る。

 駐車場:無し樫大神碑の前に路駐(35°22'14"N 136°51'07"E)、堤防道路下の脇道で通行量少ない。
 参考資料:古城盛衰記さんグーグルマップに依る。

 木曾川南側堤防下に、碑「樫大神」と説明板が有る、堤防の中段に松倉城跡の説明板が立ている。堤防通路に登ると大河木曽川が流れている、戦国激戦の木曽川色々の戦歴がよみがえる、当日は霞状態で岐阜城金華山、先に訪ねた伊木山城を確認する事は出来なかったが対岸北側に三井城跡の山頂部を望むことは出来ました。
 此処から更に西約1km程の所に鬼門に当たるとしての神明神社にも寄りました。
 
 歴史などは史跡松倉城跡説明板をアップしますのでお読みください。
 
 ここの松倉城で昨年10月西美濃未踏の城廻りでリストアップした城跡は廻る事が出来ました。
 まだ時間が残って居ましたので帰路の高速入口の経路途中の尾張大野城へ寄る事にしました。
 

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しんしんちゃん

樫大神の石碑が目印 (2023/11/03 訪問)

松倉城は木曽川の南の堤防の周辺に築かれていたようです。加賀国の守護職富樫氏の庶流の坪内氏の城で、小網島と松倉上の島との境にあった樫の大木が水陸の交通の目印になっていたとのことです。明治に建てられた樫大神の碑は木曽川の改修工事で当時より70~80mほど南に移動していますが、かつては樫の木の下に松倉城主坪内氏の墓があって、工事の際にたくさんの土器や人骨が見つかったそうです。城跡の西にある神明神社は坪内美濃守の産土神で松倉城の鬼門に相対する神社として崇敬を受けたと神明神社の案内板に書かれています。
上ノ島神明神社‥岐阜県各務原市川島松倉町2232−1

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ぴーかる

松倉城 (2023/07/15 訪問)

【松倉城】
<駐車場他>駐車場はなし。<35.370586, 136.851907>の道路脇に停車できます。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾9城目。松倉城は越前守護富樫氏嫡流の富樫頼定が坪内氏を名乗り織田信康に仕え1532年に築城します。坪内利定の代では織田信長に仕え稲葉山城攻略に活躍します。信長の死後は徳川家康に付きます。関ヶ原の戦いで坪内利定は井伊直政の軍のもとで活躍して戦後6500石を与えられ旗本となり松倉城から各務郡新加納に新加納陣屋を建て拠点を移したために松倉城は廃城となります。
 現在城跡地は木曽川河川敷になってしまっており遺構は残されていません。江戸時代に城跡地に樫の大木があり道しるべになっていたそうで坪内氏の墓碑もでてきたそうです。今は樫も枯れて墓地も移転、樫の大木跡地碑と城跡説明板も少しずらして設置してあります。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:松倉城 (2023/04/23 訪問)

大野城からの転戦です。説明板前(35.370654、136.851907)に路駐しました。

1532年(天文元年)越前守護富樫氏嫡流の富樫頼定が犬山城主の織田信康(信長の叔父)に仕え尾張国葉栗郡松倉を領した際に築城したようです。
このころ、頼定は坪内姓を名乗ります。1548年(天文16年)に織田信秀により松倉城は強化されます。
織田信長の死後、頼定の曾孫の坪内利定は羽柴秀吉と不和となり、1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いでは徳川家康側につきます。
しかし、池田恒興の軍勢に攻められ、やむを得ず松倉城に自ら火を放ち金山城に身を隠しますが、暫くして徳川家康に仕え、再び松倉城に入りました。
1600年(慶長5年)坪内利定は徳川家康の会津征伐に鉄砲隊を率いて参戦しました。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、鉄砲隊を率いて功績を挙げました。この功績により6,500石を治める大身旗本となり、拠点を松倉城から新加納陣屋に移っため、松倉城は廃城となりました。

堤防側に説明板、内陸側に祠(樫大神)があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=前渡坪内陣屋(城びと未登録 岐阜県各務原市)に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 富樫頼定
築城年 天文元年(1532)
主な改修者 織田信秀
主な城主 坪内(富樫)氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 消滅
再建造物 説明板
住所 岐阜県各務原市川島松倉町2232