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Tokyobay

外堀石垣跡?~水道橋~ (2024/02/22 訪問)

遊園地や野球場があるので子供の頃からよく来た場所だが、当時から変わった名前の駅名だなあと思っていた。そして本当に「水道の橋」があったことを知ったのは数年前。それにしても都会のど真ん中に遊園地が残っているのは奇跡的。というよりも徳川屋敷庭園が残っている方が奇跡的というべきか。とは言え、風景というのは当たり前になってしまえば気にすることもない。ましてや歴史プレートに目をやったり写真を撮るのは外国人観光客と一部のモノ好き日本人。大勢の人々が行きかう場所だが、殆どの人は通り過ぎるのみ。
それはそれとして、護岸工事で補強された部分が花壇になっているものの、神田川の上流部分に目をやると石垣跡か?と思える部分がある。ちなみに下流側にも石垣っぽいのがあるが、これは護岸工事時にイメージ的に作られたものだろう。尚、江戸時代の「水道の橋」があったのは現在の水道橋から100M程下流の場所で、外堀の城内城外双方に案内がある。

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Tokyobay

立派な模擬天守と中世遺構のコントラスト (2024/03/21 訪問)

何度目かの訪問。ちょっとした高台に立派な模擬天守があるものの、中世の遺構も少々残っている。そのコントラストが何とも言えない。模擬天守内は歴史博物館になっており、案内の方が親切に説明してくれる。桜祭りの準備なのか主郭部分で屋台の組み立てを行っており、土塁跡等は充分に見学することはできなかった。

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HKISD

平戸城散策 (2024/03/24 訪問)

平戸城を散策。見晴らし最高でしたね。松浦家の歴史も学べました。オランダとの貿易も学べました。

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T-Shionoya

三重堀の小山城訪問 (2006/03/26 訪問)

久々に過去の城郭巡りの振り返り。第23弾は静岡県榛原郡吉田町の小山城。

駿遠国境ラインの南端を抑えるポイントで、大井川西岸の河口部に近い牧之原台地の東端部、比高約20mの尖った台地の先端に築かれた、小規模ながら3つの曲輪から成る連郭式の城。

武田・徳川の今川領侵攻の際、争奪の地となるものの、1571年に武田家臣の馬場信春が砦を改修し小山城を築城。
大熊長秀などが城主となり、武田氏滅亡の1582年まで武田が支配。

現在は能満寺山公園として整備され、二の郭上段に三重の模擬天守がそびえ立つ城跡。
2006年訪問時の記憶はほぼなく、三重堀においては頭から完全に消失状態。
そこで前回投稿した諏訪原城のついでに寄ると、まずは崖上のいかにもな地形にあることを実感。
少々見にくいが台地を断ち切る円弧状の三重堀は一見の価値があり、他にもとにかく堀の数が充実。

模擬天守が目立つものの、中世からの舌状台地城郭が十分に存続・復元されている印象の小山城でした。

※写真1,2,8枚目は昨年末に撮影

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POYO58

城外にも見どころが

搦手道を下ること約15分後、だんだん明るくなってきて出口が見えてきました。そこから大きな広場へ降りてみると何やら四角の形になっているのがわかったので下へ行ってみるとやっぱり米蔵跡でした。約15メートルほどの長さの大きな石垣が建ってました。今は公園として整備されているようですがこんなところで遊べるのでしょうか?近くには樹齢150年の大きな大きな木がたってました。

2年ぶりの再攻城も楽しませていただきました♪
次は犬山城へ向かいます。

スタンプは戦国山城ミュージアムで押すことができます。

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ぴーかる

挙母城 (2024/01/27 訪問)

【挙母城】
<駐車場他>豊田市美術館駐車場
<交通手段>車

<感想>日帰り松平郷の旅ラスト7城目。挙母城の築城は1782年に挙母藩藩主の内藤氏が築城し桜城から移転しました。復興隅櫓の櫓台石垣が現存だとか、移築の米蔵があるとか知らずに、下調べなしに行っちゃったので撮影不足に終わってしまいました。 
これにてサブタイトル トヨタ車以外でトヨタ市の城跡攻めたるぞ!旅終了、以前行った市場城もそうだし、今回巡った城跡も整備力がよかった、豊田市すごいネ。423㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

福島正則の築こうとした総石垣の海城 (2024/01/04 訪問)

鞆城の始まりは元亀4年(1573)に織田信長によって京都を追われた足利義昭をかくまうために築かれた鞆要害とされています。足利義昭公は天正4年(1576)頃から当地に滞在しており要害もそのころに築かれたと思います。
現在の縄張りは関ヶ原の合戦の後に、安芸・備後国を領有した福島正則によって大改修されたもので、工事は慶長14年(1609)まで行われてましたが、完成を待たずに破却されています。
本丸跡は鞆の浦歴史民俗資料館になっていて周辺に石垣が残っています。特徴的な回の刻印のある石が複数見受けられ、三の丸の移築石垣にも回の刻印がありました。三の丸の石垣は病院建設時に23m北側の道路に面した場所に移されていますが、向きは180度近く変えられているようです。かつての石垣は海岸線に面し、福島氏改修時には軍船を係留できる海城であったことを示しているようです。

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しんちゃん

上関御茶屋/番所 山口県熊毛郡上関町・長島 萩藩毛利氏の海の要塞 (2024/01/01 訪問)

上関御茶屋/番所は上関海峡を越えた長島に築かれていました。今では御茶屋の石垣と番所の石垣が残っています。番所跡の石垣は宅地の土台に流用されているようですね。番所の背後に遍照寺が建っているのですが、この土台の石垣が凄いです。まるで城塞のようです。
上関御茶屋は江戸時代、毛利藩主や参勤交代の九州の諸大名、幕府の役人、朝鮮通信使などの接待や宿泊に使われた施設で総面積は約3000坪にも及んだそうです。
御茶屋 /番所跡 /遍照寺、物見、台場などと合わせて幕末には萩藩毛利氏の海上要塞のような風体だったのではないかと思います。

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しんちゃん

室津台場 山口県熊毛郡大字室津 (2024/01/01 訪問)

あれ‥いつの間にか しんしんちゃんになってる‥そうか昨日勢いで‥。酔ってたのかな~?まあいいや。

室津台場は上関台場と同様に萩藩毛利氏によって築かれました。上関海峡には今では上関大橋がかかり本州と長島を結んでおります。かつ北(本州)の室津台場、南(長島)の上関台場で海峡を渡る船を監視、挟撃できるようになっています。周辺には上関城や上関御茶屋/番所があり海上拠点のようになっています。室津台場にかつてあった石垣は撤去されたのか、今では見当たりません。
上関台場には石垣が残っていますが、危険なので見に行かないようにして下さい。

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todo94

建国記念の日の攻城① (2024/02/11 訪問)

西予市宇和町のホテルに泊をとり早朝にチェックアウト。すき家で朝食をとった後向かったのは、日本一細長い半島・佐田岬半島の中ほどに位置する中尾城です。持珠院がその故地です。前日には全く目にすることができなかった標柱や説明板があるだけでうれしくなってしまいました。

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朝田 辰兵衛

3連休の行軍ラストは緑ヶ丘霊園で… (2024/02/12 訪問)

一番近いJR津田山駅からアクセス。彼岸でもないのに,にぎわっていました。噴水広場にはカップルまで…。少しばかりしんみりしたところで帰路につきました。
東急田園都市線の溝の口駅からでも,1㎞以内でアクセス。自身の行軍スケジュールにプラスアルファしやすいのではないかと思います。

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しんちゃん

上関台場 山口県熊毛郡上関町長島 (2024/01/01 訪問)

上関台場は弘化2年(1845)に萩藩毛利氏によって築かれました。嘉永2(1849)に石垣の台場に改修を受け現在は小公園として整備されています。石垣の周囲に柵が有るのですが脇から下に降りれる(?)みたい。石垣が見たくて降りてみたのは良いが、下絶壁じゃん。やばい‥戻らないと、と思いつつ石垣をパシャ。危ないので絶対に真似をしないでください。
そそくさ上に戻りました。元日から何をやっているのやら‥。(この数時間後に例の地震が来ます)

関係ないですが愛知県の寺部城は城びとの城だったんですね(ぴーかるさんの投稿で気づきました、感謝)。城びとの城に気づかないとは城びと失格です‥。生まれ変わって精進致します。
そんなわけで今日から(新)しんしんちゃんです。プロフィール名も変えられるんですね~。中身は何も変わっていない気が‥
たけちゃんマンセブンみたいですね。

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ぴーかる

寺部城 (2023/01/27 訪問)

【寺部城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<見所>建物跡
<感想>日帰り松平郷の旅6城目。寺部城は文明年間(1469年~1487年)に鈴木重時によって築かれたとされます。鈴木氏は高橋荘東部を支配して、松平氏と対立します。1566年に織田方の佐久間信盛に攻められて城は落城し寺部鈴木氏は松平氏の臣下となります。1618年に尾張徳川家家老となった渡辺守綱が1万4千石で入封し寺部陣屋を構えます。渡辺家は代々相続して明治維新まで存続します。
 現在陣屋跡は公園化されて南半分が寂れたパターゴルフコースみたいになっています。北半分に陣屋時代の土蔵跡・茶室跡の建物遺構があります。西隅に寺部城時代の土塁が残されています。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

唯一の水源が「いぼ取り井戸」 歴史は古く平安時代にまで遡る (2023/12/30 訪問)

大嶋城は長治元年(1104)海老名氏の祖・家季によって築かれたとされています。小山の上に主郭が有りますが山上まで車で行くことが出来、主郭には住吉神社が鎮座しています。
海老名七代景知は赤松円心に属し、弟の詮季(あきすえ)や同族の泰知(やすとも)とともに白旗城に籠って新田義貞の軍と戦ったとされています。そのすきに大嶋城は新田義貞に与したものによって焼き払われたと現地の案内板には記載があります。
主郭から階段が下に続いていて、郭や堀切などの遺構を確認することが出来ます。訪問時が夕方だったので林の中は暗く判別がしづらい状態です。城内には唯一の水源という「いぼとり井戸」と「海老名一族の墓」があります。
これが唯一の水源ということは城兵の皆さんは皆、お肌すべすべだったということですかね?
城内に「すべすべ井戸」とかあるといいですよね。そんな井戸があったら別名・美肌城とか呼ばれたりして。

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くり

松坂城 (2019/05/21 訪問)

松坂城と御城番屋敷

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くり

犬山城 (2018/03/18 訪問)

天守から見渡す城下町

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しんちゃん

小牧・長久手の合戦の中入りで討死か? (2024/03/10 訪問)

一宮城は三菱東京UFJに一角に石碑とプレートが設置してあります。遺構は消滅し石碑のみが、ここがかつて城跡であったことを示しています。
ちゃんと日本城郭大系にも記載があり、かつて尾張国一の宮・真澄田神社の神官・関十郎左衛門によって築かれたとされており、四方に堀と土塁を配した東西およそ50m、南北およそ90mの平城であったようです。
十郎左衛門の子・小十郎長安は小牧長久手の合戦で羽柴勢に属し、池田恒興(鬼武蔵の説もあり)らと共に討ち死にしたとあります。一宮城は天正18年(1590ごろ)に廃城になったようです。関一族のその後の動向は不明です。

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しんちゃん

山内一豊誕生の地 (2024/03/10 訪問)

明応年間、五藤光秋がこの地に屋敷を構えた後、岩倉織田氏の家臣・山内盛豊が黒田城を築きました。関ヶ原の合戦で功をあげ土佐国に加増転封となった山内一豊公は盛豊公の次男とされています。現在は木曽川小学校の南東部に冠木門を備えた小公園があり、城址碑が立っています。ここに山内一豊公と愛馬の銅像があるのですが、馬の目つきが良くないですね。なついている様子を表現していると思うのですが、まるでカツア〇‥いえいえ実に愛らしいお馬さんです。カツ揚げ食ってウマ勝った(ポカッ!)
東にある法蓮寺には山内盛豊公と十郎父子の墓と山内一豊公誕生の地の石碑があります。十郎さんは浩治3年(1557)織田信長の手勢と見られる盗賊に黒田城を襲われた際に討死したとされています。

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イタさん

周辺に源氏三代の縁が多い (2024/03/19 訪問)

駐車した辺りに鳥居が多く、神明宮などの扁額がある。山号があるので寺と思うが、大行院または、大行院神明殿と碑・案内に記されている。一画に帯刀先生源義賢公の墓、源氏三代供養塔(義賢・木曽義仲・義高)などがある。

館は平安末期に帯刀先生源義賢により築かれたと伝わる。南東隅に土塁・堀跡が見られ、北西角の土塁跡と思える場所がある。大蔵神社の建つ辺りは数メートル高い。神社西には堀跡が50~60メートル程、藪化し残っている。南から西にかけての土塁がわりと残る。

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イタさん

虎ヶ岡城 埼玉県児玉郡美里町 (2024/03/21 訪問)

北武蔵ハイキングコースになっており、東の円良田特産センター、南の波久礼駅方向、西の陣見山側から来られる。城山の説明板に、花園城の支城として、藤田氏が築城、または鉢形城の支城として猪俣氏が築城とあるが、詳細は不明。鉢形城の食糧の供給を担い、天正18年豊臣勢の真田氏に攻められ落城、と載る。

尾根を西から行くと、先のピークに屋根が見えた辺りに堀切がある。更に堀切、正面は主郭の高い法面、右手から主郭下の郭(腰・帯曲輪とも)に上がる。後世の階段が付けられ、東屋の建つ山頂・主郭にでる。円良田へ下れば郭跡、二条の堀切が見られたが、更に下に井戸跡があるようだが、陣見山の西から歩いたため、登り返すのに躊躇し確認しなかった。主郭の下郭から波久礼駅側に下れば、小さな削平地らしきものもあるが、急坂となって下るハイキングコースになっている。

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