くつきじょう

朽木城

滋賀県高島市

別名 : 朽木陣屋、朽木氏館、朽木屋敷
旧国名 : 近江

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名勝・旧秀隣寺庭園
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しんしんちゃん

朽木氏岩神館・名勝旧秀隣寺庭園 滋賀県高島市朽木岩瀬 (2023/12/03 訪問)

朽木城とされているのは陣屋のあたりなのですが、朽木氏と言えば興聖寺こと朽木氏岩神館を外すわけにはいかないでしょう。
陣屋からほど遠くない場所にあり、かつて足利将軍を慰めるために作った庭園は旧秀隣寺庭園として国の名勝に指定されています。
佐々木信綱によって承久年間に築かれたとされ、その流れを汲む朽木氏を頼って室町幕府将軍がたびたびこの地にやってきたそうです。12代将軍足利義晴が朽木稙綱を頼ってきた際に稙綱は大納言宣下を受け、管領細川高国の力によって浅井亮政・朝倉孝景の助力を受けて蓮池池泉観賞(回遊式)庭園を作庭したとのことです。庭園は往時の姿を保っているといわれ住職の話では庭園周辺の最も高い木が当時から残っているとのことです。墓地の背後から南側にかけて土塁が残っており、その外側に堀跡らしき跡が続いています。

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しんしんちゃん

関ヶ原でチェンジした朽木氏の陣屋 (2023/12/03 訪問)

朽木城(陣屋)はかつての朽木村に築かれていた佐々木氏の庶流・朽木氏の城館跡です。関ヶ原の合戦後9595石(ほぼ大名クラス)を安堵され先祖代々の地に陣屋を築いたそうです。資料館(事前予約が必要)や森林組合の周辺が陣屋跡のようでかつてはなかなかの広さがあったようです。井戸や土塁、堀、石垣が残っているようで、ひょっとして駐車場の所にあった石垣がそうでしょうか?
朽木元綱は関ヶ原の合戦で西軍から東軍に転身して純大名格として先祖代々の地に安堵されました。三男稙綱は徳川家光の側近となり土浦藩3万石に出世しています。関ヶ原の合戦の時はギリギリの判断で、改易になってもおかしくは無かったのですが、なかなか世渡り上手な一族です。うまくやりましたね。

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朽木氏の城 (2021/07/17 訪問)

 足利将軍が京を逃れて来たり、織田信長の金ヶ崎の退き口など歴史にときどき登場する朽木氏の城です。最近は整備されていないらしく雑草が生え駐車場の所の石垣はほとんど見えません。配置図が描かれた案内板も移築された茅葺民家の軒下に置かれ雑草で隠れてしまっていました。
 安曇川駅よりバスに乗り約30分。朽木グランド前にて下車。歩いて1分くらいの所に朽木資料館入口があります。資料館は休館中で入館見学は事前予約がいるようです。

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ぴーかる

朽木陣屋 (2020/08/15 訪問)

【朽木城】
<駐車場他>陣屋跡資料館前に10台分程度あり。
<交通手段>車

<感想>朽木陣屋跡は安曇川に北川という川が合流する地点にあります。陣屋跡の上段がグランドと資料館、下段が茅葺民家・井戸・石垣跡が見られます。陣屋の主要部分は今はグランドになっており、見れる遺構は下段の駐車場脇にある石垣跡と石段・井戸・井戸の傍にある石垣跡といったところだろう。堀もあるようだが未確認です。茅葺民家は移築されたもの。私が行った時は資料館は閉館中でした。
 いづれも行かなかったが、南に1.5㎞程のところに朽木氏岩神館跡があり足利義晴の為に造った庭園があります。また北2㎞程に金ヶ崎の戦いで撤退してきた信長が隠れたとされる信長の隠れ岩なるものがあります。
 足利義晴を庇護、足利義輝を匿い、信長の朽木越えを手引きした。歴史の主要人物に関与した興味深い場所と一族。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 佐々木信綱
築城年 鎌倉時代前期
主な城主 佐々木氏、朽木氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、井戸
指定文化財 県史跡(朽木陣屋跡)
再建造物 説明板(朽木陣屋)
住所 滋賀県高島市朽木野尻
問い合わせ先 朽木資料館
問い合わせ先電話番号 0740-38-2339