村岡地区の中心部近く、国道9号線から模擬門をくぐって登る道があります。
車で登れ、駐車場もあります。
駐車場から上は公園として整備されています。
陣屋跡は少し下に降りたところ、以前は高校があったそうです。
かなり広い敷地でした。
その横に復元修理された奥方部屋があります。
旗本山名氏の陣屋、ニッポン城めぐりのエリ限で訪れました。
【見どころ】
・奥方部屋
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2025/11/20 06:54
2025/10/31 20:49
ヘイ奥方 (2025/10/11 訪問)
村岡陣屋跡は兵庫県立村岡高等学校として利用されていましたが、現在は移転して御殿山公園になっています。山名豊国が慶長6年(1601)に七尾五郷6700石を徳川家より与えられ村岡山名氏の初代となりました。初代と二代は領地に入らず代官を置きました。
三代矩豊は寛永19年(1642)に陣屋を黒野村に移し、初めて国入りし地名を村岡と改称しました。八代義方は文化3年(1806)に陣屋を尾白山(おしろやま?)に移し、中腹に陣屋を置いて大手門・中門・長屋・鎮守社・煙硝蔵・練兵場を設けたとのことです。
駐車場から下って行ったところに奥方の為に建てられた奥方部屋があります。裏庭から入れそうなので忍び込みますが、何か・・
「間男」みたいな気になりますな。表からも入れるみたいなので「間男」じゃイヤだって方はそちらからドウゾ。
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2023/12/06 07:10
2021/03/18 15:19
元鳥取城主山名豊国の旗本陣屋 (2014/11/03 訪問)
鳥取で母の七回忌法要を終えた翌日国道9号線で但馬村岡陣屋へ初登城しました、高校時代キャンプ、山登りで通過点、中国道が開通して無い頃の国道9号線帰省での通過点として馴染みは有るのですが陣屋跡との認識は有りませんでした。
車は国道9号線山手側の登城口手前の駐車場を利用。登城路を登って陣屋内の御殿山公園にも駐車可能です。
歴史は秀吉と第一次鳥取城合戦で戦った山名豊国が秀吉に降伏し鳥取城を預かるが部下との抗争で追い出され、秀吉天下時代は御伽衆で秀吉に仕え、関ヶ原合戦で東軍に付き戦後美方郡6700石で交代寄合の旗本、明治元年維新政府に新田開発4300石が認められ11,000石で大名に列し村岡藩を立藩。 室町期隆盛を極めた山名家も山名豊国の流れが明治まで残った。
遺構は無く陣屋跡は御殿山公園と成り町民の憩いの場、曲輪は西向きに三段に成ってる様子で城郭の構えで有る、下の段に奥方の部屋が移築復元されてる。
登城口9号線を挟んだ南側に「民俗資料館まほろば」が有る、パンフレット「村岡町城下めぐりマップ」を入手、南に下り城下町を散策、山名氏菩提寺法雲寺、境内の山名蔵(山名資料館)を参拝見学、村岡藩陣屋図が展示されてる。
終わって八木城へ、車は八木城交流館前に駐車場在り利用、徒歩で9号線を渡り獣除けフェンスの手間に案内解説板が設置されてる、山頂の石垣の本丸までの登城は考えてないので麓周辺と山頂を望み終わりとする。
情報で八木城のパンフレットが9号線を上って「道の駅ようか但馬蔵」(兵庫県養父市八鹿町高柳241-1)に有るとの事で、観光案内所で話をして入手した。
この後は豊岡、玄武洞、日和山海岸、城崎温泉泊り湯めぐりを楽しんだ。
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| 分類・構造 | 陣屋 |
|---|---|
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 山名矩豊 |
| 築城年 | 寛永19年(1642) |
| 主な城主 | 山名氏 |
| 遺構 | 石垣、奥方部屋 |
| 再建造物 | 石碑 |
| 住所 | 兵庫県美方郡香美町(御殿山公園) |