武蔵世田谷一帯を支配していた、足利市の流れをくむ吉良氏が、この地に移り住んだことが、蒔田城の始まりとされる。蒔田の城は「蒔田御所」・「蒔田殿」などと呼ばれていた。公園の一帯は馬場があったとされ、馬場の森(ばんばのもり)、馬場谷(ばんばやつ)と呼ばれていた。礼拝堂辺りが本丸跡で、南に天守台があったとされる。などが記されている。
城館遺構らしきものは確認できなかったが、学校周りを巡ると台地の先端に築かれていたのが分かる。学校正門脇に説明板があり、成美学園遺跡と呼ばれ、縄文時代から奈良時代の遺跡と載る。成美学園は、昭和59年の発掘当時の名を付けたようで、今は横浜英和学院となっている。南下の勝國寺に吉良家の供養塔がある。相国寺は吉良成高の建立と案内に載る。
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