今は、敷地のほとんどが、横浜英和学院に、なっています。周囲を歩いたのですが、アップダウンが、そこそこあります。城主は、足利一族の吉良氏のようです。一説には、忠臣蔵で、有名な吉良上野介の、系統が断絶したあと、この一族が、その役割を、踏襲したようです。
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2023/12/05 20:35
2022/12/30 17:48
今年もありがとうございました。 (2022/12/16 訪問)
2022年,みなさん今年もありがとうございました。
先日の大雪で,さまざまなスケジュールが中止・変更になりました。落ち着かない年末を過ごしています。
さらに寒波がやってくるという予想ですね。みなさんお身体にはくれぐれもご注意くださいませ。
私自身,1月6日~9日まで関東方面に赴き,登城+富士山眺望を計画しておりましたが,大雪予想ということで全てキャンセルしました。EXPO時に2日間だけ使用した18きっぷも売り出し中。
ということで,POYO58さんの質問ですが,年末年始の登城はいまだにありません。成人の日を含めた連休での登城で富士山眺望というのを,2022年の岩殿山城からスタートさせる気持ちでいましたが,前述のとおり2023年は断念です。日本海側に生息していると,なかなか厳しいかと思います。
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2022/11/06 23:17
2022/05/07 08:46
横浜市11城巡り⑤:蒔田城 (2022/05/06 訪問)
太田道灌屋敷からの転戦です。横浜市11城巡り5城目は蒔田城です。
6月の九州遠征前の、なまった足腰のリハビリを兼ねた攻城(PART4)です。
蒔田駅より徒歩7~8分くらいで横浜英和学院(35.427414、139.610731)に着き、その後、勝国寺(35.425935、139.611072)に向かいました。
蒔田城は世田谷城主・吉良成高の子で、北条氏綱の娘婿である吉良頼康の居城です。
蒔田城の築城年代は不明だが、 15世紀末頃の吉良成高、あるいは吉良頼康の代には蒔田の地を領有し、「蒔田御所」と呼ばれたそうです。
1590年(天正18年)に北条氏が滅亡すると吉良氏も所領を失い、廃城となりました。
当主・吉良氏朝は旧領である世田谷の実相院に篭居しますが、氏朝の子の頼久は徳川家康に仕え、姓を蒔田に改めました。
その後、江戸中期に起きた赤穂事件によって三河吉良氏が断絶したため、ふたたび「吉良」に復姓しています。
現在城址は横浜英和学院の敷地となっており、校門脇に「成美学園遺跡説明板」があります。
なお1984年(昭和59年)におこなわれた調査で戦国時代のものと思われる「火鉢のかけら」が出土しているようです。
グーグルで選択した横浜英和女学院に向かうルートが、急な階段を登るルートでした。
横浜英和女学院から勝国寺へのルートが緩やかな下りで、その後蒔田駅へは平坦な道でしたから、選択ルートを間違いました。
校門そばの「成美学園遺跡説明板」確認後、勝国寺の吉良家の供養塔を確認しました。
吉良家の供養塔は勝国寺の奥の高所にあります。案内があるので辿り着けます。
攻城時間は15分くらいでした。
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分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 吉良頼康 |
築城年 | 室町時代 |
主な城主 | 吉良氏 |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 神奈川県横浜市南区蒔田町 |