まいたじょう

蒔田城

神奈川県横浜市

別名 : 吉良氏館
旧国名 : 武蔵

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蒔田の森公園、奥の森は主郭方向
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イタさん

城館跡は学校の敷地 (2024/10/17 訪問)

武蔵世田谷一帯を支配していた、足利市の流れをくむ吉良氏が、この地に移り住んだことが、蒔田城の始まりとされる。蒔田の城は「蒔田御所」・「蒔田殿」などと呼ばれていた。公園の一帯は馬場があったとされ、馬場の森(ばんばのもり)、馬場谷(ばんばやつ)と呼ばれていた。礼拝堂辺りが本丸跡で、南に天守台があったとされる。などが記されている。

城館遺構らしきものは確認できなかったが、学校周りを巡ると台地の先端に築かれていたのが分かる。学校正門脇に説明板があり、成美学園遺跡と呼ばれ、縄文時代から奈良時代の遺跡と載る。成美学園は、昭和59年の発掘当時の名を付けたようで、今は横浜英和学院となっている。南下の勝國寺に吉良家の供養塔がある。相国寺は吉良成高の建立と案内に載る。

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しんちゃん

「城びと捕まる」はシャレになりません (2024/05/03 訪問)

トクさんの関ヶ原の投稿、いつも楽しみに読ませていただいております。関ヶ原に関しては諸説があり、昨今学会で次々と新説が発表されております。私も関ヶ原を踏まえたうえで会津等に関わる次の投稿に繋げていきたいと考えており、従来とは異なったスタンスでの投稿になりますが、お気を悪くせずご了承いただければと思います。私なりに旧説を踏まえながら、新説も考慮して散策をする方式を取っており、近代関ヶ原研究の祖・神谷道一翁には特に敬意を表しております。

さて蒔田城の投稿になりますが、ここからいつものグダグダ投稿に戻ります。蒔田城は吉良氏の居城とされ、横浜英和学院が城址にあたります。と、言うわけで下校の時刻とも重なったため、とても写真を撮ったりできる状況ではありません。確実に通報されます。逃げるように裏手に走っていくと道がとたんに狭くなり戻って来るのに難儀しました。
そんなわけで写真が少ないため、今日の昼食で作った「水攻め」カレーをついでに載せます。郭のすみっこに乗っているソーセージは櫓をイメージしてます。さしずめ対岸にいる人影二つ(?)は豊臣秀吉と石田三成といったところでしょうか。

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横浜英和学院 (2024/05/25 訪問)

 吉良頼康の館として知られています。横浜英和学院が跡地です。遺構はないようですが、校門の横にある成美学園遺跡の説明板には「北側の斜面には腰曲輪の跡とみられるものが残っています」と書いてありました。どこのことかわかりませんでした。近くの勝国寺に吉良氏の館の説明板などがあります。
 横浜市市営地下鉄ブルーライン蒔田駅より徒歩10分くらいで行くことができます。途中、長い階段がありました。

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三浦の晃ちゃん

今は、学校に (2023/12/05 訪問)

今は、敷地のほとんどが、横浜英和学院に、なっています。周囲を歩いたのですが、アップダウンが、そこそこあります。城主は、足利一族の吉良氏のようです。一説には、忠臣蔵で、有名な吉良上野介の、系統が断絶したあと、この一族が、その役割を、踏襲したようです。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 吉良頼康
築城年 室町時代
主な城主 吉良氏
遺構 消滅
再建造物 説明板
住所 神奈川県横浜市南区蒔田町