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登城口脇のおたくのおじさんによると (2024/02/11 訪問)

道端の自然石の道標に従って短い坂道を登ると、民家の私道・作業場とも見える場所に。大根を洗って軽トラに積んでいるおじさんがおられて、目があったので、挨拶して、バイクを停めさせてもらいました。車なら駐車は無理かも。その少し前に、googleマップに導かれて、一本南の坂道を登っていく私を見たと。「googleマップに頼るとあっちに行くみたいやね」とも。下城後、感想を尋ねられました。北側、西側の堀も廻ったと言うと、喜んでもらいました。有志が年に一度、城域を草刈りしておられるそうです。
「昨年の大河ドラマ どうする家康 の影響で
千賀地氏城への訪問者が増えた。」「(千賀地氏城所縁の)服部半蔵が握り飯一つで下知される、あまりな描写は、地元民としてとても残念」とも。

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カズサン

川手櫓・脇多聞櫓台から水門へ (2024/02/10 訪問)

 「北御門桝形と腰曲輪」のつづきです。

 川手櫓は北側の腰曲輪西に在り三重櫓で豊川の守り要でした、東続きに脇多聞櫓があり脇多聞櫓下に埋門の様な水の手門が豊川との通路、虎口に成っていました。
 現在豊川の川沿い散策路があり近くで石垣に触れる事が出来ます、散策路は吉田大橋以西にもつながっており市民の散歩道でもあります。
 川手櫓台下から西へ移動して、本丸堀西下の排水口?らしき構造物、また二の丸堀西下の排水口?らしき構造物も有りましたが良くは分かりませんでした、更に西に進み水門跡が在ります、吉田大橋から東に40m程の所ですが案内板は有りません、水運揚げ降ろしに使っていたのでしょうか、北正面は閉まっています。

 続きます。
 

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カズサン

北御門桝形と腰曲輪 (2024/02/10 訪問)

 「模擬鉄櫓資料館内覧」のつづきです。
 
 北御門枡形は本丸の北側を抑える虎口です、櫓門と多門櫓でコ字で北が明き急な石段で腰曲輪へつづき、外堀代わりの豊川につながり後ろ堅固の構えに成っています。
 腰曲輪は東側の入道櫓台下から西側の鉄櫓台下まで広がっています、石段下から東側の腰曲輪の石垣は腰巻石垣と成っている。

 尚、腰曲輪入道櫓下東腰巻石垣辺りは今後の修復工事個所が縄張して修復工事の前準備の様子でした、また入道櫓台から北御門北の石垣にも同じような縄張がされて居り、修復の経過を見守っていきたいと思います。

 続きます。
 

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イオ

発掘調査現地説明会 (2024/02/11 訪問)

しんちゃんさん、キンヤさんもレポートされていますが、私も坂本城の発掘調査現地説明会(2日目)に行ってきました。この日は姫路城・西小天守の特別公開に行く予定だったんですが、西小天守は来週や再来週にも機会はあるけれど、坂本城の現地説明会は今週しかない! ということで急遽予定変更。1日目の状況を見て整理券配布の1時間半前に着くように行ったところ、すでに100人以上は並んでいましたが、この日初回の説明会に参加できました。

発掘調査地に入ると、眼前に30mにも及ぶ野面積みの石垣が続いています! 高さは1mほどですが、手前の堀に転落している石材から考えて、もう少し高さがあったようです。石垣には転用石も見られ、北側の堀底にもいくつか集められていました。石垣は高さがない分裏込石の層も薄く、石垣の内側には何故か堀らしきものも検出されています。用途は不明ですが、山崎の戦いの後、坂本城が羽柴方の攻撃を受けた際に急ぎ設けられた二重目の堀とも考えられるようです。石垣の手前は(見学スペースも)水堀跡で、石垣の西側の調査区では堀の対岸は確認されていないことから、堀幅は約12m程度だったようです。調査地の隣接地との境には水路があり、ここが対岸なのではないか、との説明でした。

石垣のほかにも石組みの井戸や礎石建物、舟入と思しき石積み遺構が確認されています。石垣の根石の下には胴木は見当たらなかったようですが、舟入の石積の下には胴木が確認されており、付近では舟のオール状の木製品も発見されています。その他、瓦をはじめ、堀から発見された木器や漆器、土器、木簡、キセルの吸口などがテントに展示されていました。

これまで坂本城の三の丸は南西部はJR湖西線の西側まであったものと推定されてきましたが、今回の調査地の西側での発掘調査では城郭遺構は見つかっておらず、今回、三の丸西辺と思しき石垣を検出したことで、推定縄張の大幅な見直しにつながる画期的な発見だと感じました。姫路城を後回しにしてでも来た甲斐があるというものです。

今回の発掘調査は民間事業者の宅地開発に伴うもので(今のところ)調査後は埋め戻される予定とのことですが、安土城に先立つ天主を備えた天下の名城でありながら、遺構といえば琵琶湖に沈んだ本丸石垣が渇水時に顔を覗かせるのみの「幻の城」だけに、たとえ一部だけでもこの素晴らしい遺構を残してもらえないものかと願わずにいられません。同様の声は多く寄せられているようですが…。

なお、発掘調査現地説明会の資料は、後日に大津市のWebページ(文化財保護課)に掲載されるそうなので、興味のある方はどうぞ。
 

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todo94

島原城登城前に (2023/12/27 訪問)

島原城に行く前にもう一つ、島原半島の城を攻めます。住宅と畑に蚕食されてわずかに土塁と空堀が残されたといった趣の城でした。説明板があるだけでもありがたい限りです。土塁に脚立が立てかけられていたので、思わず登ってしまいました。

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HKISD

元寇防塁散策 (2024/02/11 訪問)

玄界灘の波、風を感じて観た松の中にあった元寇防塁。歴史を感じました。

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ほーり

大河ドラマが終わって (2024/02/11 訪問)

9:30に入った時はすぐに入場できましたが1時間後には行列が出来ていました。
大河ドラマ館も終わったので空いていると思ったら甘かったです。
石垣の展示が良かったです。

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小城小次郎

浪岡城と基本構造は変わらないような (2023/05/05 訪問)

完全な形の環濠集落発見に湧き、建設予定のバイパスのルートを変えて保存され、国史跡として整備された。工房を伴う10~12世紀の集落だがすぐ近くの浪岡城(こちらは16世紀)も基本構造はあまり変わらないような気がする。

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朝田 辰兵衛

大沢見張り台手前の竪堀と富士山…🗻 (2024/01/08 訪問)

このシーズンに行くということで,富士山しか期待していなかったのですが,本丸背後から下って大沢見張り台手前にある竪堀がなかなかでした。また,下る途中に石垣もあり,思わぬ発見でした。だいぶ崩れたカンジでしたが…。
富士山の眺望は,帯郭,三の丸,本丸で撮影しましたが,距離的に一番近いと思われる帯郭からの眺望が良いと思いました。

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しんちゃん

福島県庁が城址 (2019/08/11 訪問)

福島城は大仏城とも呼ばれ戦国期には伊達氏の城として機能していたようです。文禄元~2年(1592~3)にかけて蒲生氏の家臣・木村吉清が入り福島城と改称したようです。江戸時代には延宝7年(1679)に福島藩が成立し、本多氏、堀田氏と入り元禄15年(1702)より板倉氏が3万石で入り明治まで12代続きました。城域の大半を福島県庁が占め、大仏橋の北側に本丸が置かれ、北に二の丸、三の丸・外三の丸が配されています。福島県庁の中心部が桜馬場跡で城址碑と出土品の宝塔が近くにありました。県庁の南側には土塁が残っています。
城址から南西に少し外れた場所に御倉邸があり現存最古の日本銀行の役宅と旧米沢藩の米蔵が有るようです。

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ぴーかる

佐治城 (2023/12/23 訪問)

【佐治城】
<駐車場他>駐車場はなし。道路脇<34.940780, 136.216430>に停めました。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>現地説明板によると佐治城の城主は佐治氏(小佐治氏)とされ、1585年豊臣秀吉の領地没収に対して籠城し抵抗したが、堀秀政・中村一氏に攻められ落城したといわれています。
 先達のじゅんじんさんの投稿登城時のゲートに入ってすぐにあるトラロープは私が行った時には無くなっていましたので奥まで進むことができました。積雪に関係あるのかもしれません。ゲートの外側にある土塁が中まで続き、先の南側が堀切になっています。奥に枡形池という堀があり、その南側が愛宕山山頂(土塁上曲輪を兼ねている)があります。山頂の西側は竹林となっていて段曲輪が数段あります。南側斜面を散策し忘れてしまいました。りゅうじん池の背後の僅かに残る土塁から南側の土塁までが主郭だったようですが、かなり改変・平坦地にされていて甲賀郡の単郭方形高土塁の遺構は見られませんでした。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

岩手公園?? (2017/05/03 訪問)

盛岡城は南部氏の居城で江戸時代の南部(盛岡)藩の中心になります。正式名称は岩手公園ですが盛岡城址公園と愛称を変更するという名目で事実上の改称になっているようです。どこへ行った「岩手公園」?と言った感じでどこにも岩手公園の記載は有りません。
北側に櫻山神社が鎮座し、烏帽子岩が社宝として崇敬を受けています。南に向かってやや西寄りに城域が伸び三の丸、二の丸、本丸と続き、本丸のまわりには腰曲輪が配されています。建造物は残っていませんが見事な総石垣の城で、どこから見ても石垣の美しさに目を見張ります。

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しんちゃん

国宝・大塔 (2016/09/20 訪問)

根来寺は戦国期に最盛期を迎え寺領72万石を領したとされています。1万以上の僧兵(根来衆)を有し種子島から伝わった鉄砲で武装し、鉄砲隊を備えていたとされます。織田信長と石山本願寺との戦いでは織田信長に協力しますが、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄との戦いでは秀吉に敵対し後の雑賀攻めを招くことになりました。
江戸時代には紀州徳川家の庇護を受け、焼失した伽藍も復興し現在にいたります。

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前ちゃん

大分遠征③完 (2024/02/13 訪問)

3日目、2日間の疲れ(運動不足)も相まって、朝8時過ぎまでゴロゴロと。
杵築駅からは、バスー杵築バスターミナル(290円)。そこからは徒歩で。腰痛と戦いながら、杵築城へ。大原家、資料館のセット券(1000円)を購入し、散策。武家屋敷群(ポスターで有名な酢屋の坂、塩屋の坂界隈)で雛人形も飾っているのでご覧あれ。

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ろっし

お城探訪 (2024/02/12 訪問)

あまり知られていないのか⁉️城の下にある太鼓谷稲荷神社は人が多いが、ここは休日に来ても人がいない。

登れば他の山城にも負けない素晴らしい石垣が待っています。

ロープウェイもあるから登りやすさではおすすめです。

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かつじ

扇坂御門跡がリニューアル (2024/02/03 訪問)

以前は植え込みがあった扇坂御門跡ですが、名前の由来通り扇形の階段に整備されていました。
整備工事直後だけあって、綺麗な階段になっていました。

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カズサン

模擬鉄櫓資料館内覧 (2024/02/10 訪問)

 「裏御門と金柑丸」のつづきです。

 本丸北西隅に建っていた三重櫓跡に昭和29年3月に復興吉田城隅櫓として復元されました設計者は有名な城戸久博士です。
 今回4年振りのなので鉄櫓に登り内部に在る資料パネル、吉田城の模型を見学、二階に本丸の立体模型、三階に石膏の立体模型が在ります、1階から最上階4階までパネルで説明がなされています、最上階4階には池田輝政の顔はめパネルが有り撮影ポイントです。
 鉄櫓と私の気に入った模型、パネルを写真投稿致します。

 続きます。
 

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カズサン

裏御門と金柑丸 (2024/02/10 訪問)

 「本丸の四角に櫓が聳えていた」のつづきです。

 裏御門は本丸の東に枡形を構えて土橋で金柑丸・馬出につなっがていました。
 本丸には南面に南御多門が東脇多門櫓とL字型に連結し、西は千貫櫓が構えた枡形で土橋で二の丸につながっています、北面は北御門枡形が構えて大石段で川手の帯曲輪へつづき豊川沿いの防御の要に成っている。

 今回裏御門をじっくり観察、今まで幾度と通ていました裏御門枡形で、登り土塀基礎石列を初めて認知観察しました、中々珍しい遺構です、辰巳櫓台から北に伸びる石塁・土塁土橋側の南方から土塁上に登って居ます。
 また裏御門の南側の石垣は今回の修復工事で直されて上端が奇麗になって居ました。土橋は南側北側とも石垣で築かれており、土橋の付根から本丸堀の本丸側に輝政時代の石垣が北に少し伸びて残って居ました。

 金柑丸は本丸の東に在り二の丸とに挟まれて居り、馬出の役目を果たしていた様で東側に土塁が残って居ます、明治期陸軍の歩兵18連隊が設けられ色々な施設が有り、此処金柑丸には弥健神社が鎮座し神武天皇立像も鎮座しています、当日は陰暦の正月元旦、建国の日(紀元節)の前日でしたので、初詣と紀元節前参拝をしました、皇紀は2684年に当たります。

 今回の収穫は裏御門の登り土塀基礎石列は私としての発見と新認識です。

 続きます。
 

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イオ

中嶋(中島)城の比定地は? (2023/12/16 訪問)

南北朝期に楠木正行が築いたと伝わりますが、戦国期に本願寺一揆衆や細川氏や足利義昭が入った中嶋城を堀城でなく三津屋城に比定する説もあり、変遷や廃城時期等は不明です。

堀城から徒歩で登城。「城之前」という字が伝わる光専寺周辺が推定地ですが、市街化により遺構は消滅しています。光専寺の山門前には三津屋城跡伝承地の説明パネルと光専寺縁起が掲示されており、光専寺は室町中期に楠木正行の末裔が城跡に建立したと伝わります。

暗くなったこともあり光専寺への入口がわからずに周辺を歩き回る羽目になった上に、山門は閉ざされていて写真もピンボケと散々でしたが、この日は大阪での仕事を午前中で終えて、日没まで阪急沿線の7城(ほとんどが遺構のない城ですが)をめぐることができましたので、横浜(お城EXPO)に行けない憂さを多少は晴らすことができました(と自分に言い聞かせる…)。
 

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todo94

島原半島の城 (2023/12/27 訪問)

佐世保、平戸に続いて諫早に泊をとり、この日は島原半島の城めぐり。島原城の城カードゲットが目的ですが、行きがけの駄賃でもちろん城もめぐります。肥前の山田城は公園として整備されていました。武蔵の山田城も森林公園の中ですが、こちらは料金はかからないので安心して楽しめます。駐車場もトイレも完備しています。展望台からは諫早湾(有明海)を望むことができました。

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