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織田晃司

一休さんの将軍様 (2023/10/07 訪問)

足利義満が立ち寄りその景色を絶賛した高浜城。

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織田晃司

間違っても (2023/10/07 訪問)

大飯原発の方へ曲がらないように…面倒くさい事になります。

赤礁崎オートキャンプ場内にあります。

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織田晃司

旧小学校やJRや畑で (2023/10/07 訪問)

改変されてますが本丸や空堀は残ってます。
写真は遺構であろう石垣を撮ってます。(畑の石垣も存在するので注意)

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織田晃司

BKネットワーク(琵琶湖ネットワーク) (2023/10/07 訪問)

織田信長の安土城。明智光秀の坂本城。羽柴秀吉の長浜城。織田信澄の大溝城と琵琶湖の水運の要所をつなぐ湖上ネットワーク。
本丸の石垣が残る。

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織田晃司

国東半島の片隅に (2023/09/17 訪問)

ペトロカスイ歴史公園の裏山にある岐部城。
岐部城のある山の反対側にあるもやし公園が気になる。

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ryu

篠山城 (2023/09/30 訪問)

JR篠山口駅東口でレンタサイクルを借り、八上城(高城山)に登城(登山)した後、河原町妻入商家群の街並みを散策し、篠山城へ。
八上城(高城山)駐車場から河原町経由で約4㎞。

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ryu

八上城 (2023/09/30 訪問)

篠山城探訪前に訪城。
JR篠山口駅東口でレンタサイクルを借り、高城山登山口までの約7kmをチャリで走る。
登山口から山頂(本丸跡)までは比高250mくらい。9月末とはいえ、山中に残る石垣や曲輪も夏草で覆われているし、残暑も厳しく山城歩きには少し早すぎたか。
篠山城大手前の駐車場横に八上城の屋敷門を後年篠山城下の武家屋敷門として移築した門が残っている。

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カズサン

麓の林道より眺める (2023/09/18 訪問)

 大波城を終えて場所も近く陽も有り、7年前に相馬中村城初登城前に国道115号線より霊山城の各峰を眺めて居りましたが、自身の体力脚力では登城も叶わず、せめて麓より名峰を眺め霊山城、北畠顕家を偲ぶかなと、霊山町石田辺りより林道県道31号線を走り林間より見える峰々を眺めつつ、霊山閣登山口まで走行約4km程、同登山口には霊山紫明峰縦走マップ(霊山閣登山口)が掲示されて居ります、三角コーナーに駐車が可能。
 引き返して「りょうぜんこどもの村」入口より名峰霊山を別角度で眺める、行きは国道115号線でしたが福島への帰りは新しく開通した東北中央道無料区間の霊山飯舘ICから霊山ICを利用し道の駅伊達りょうぜんで資料などを探し求める、また道の駅内部に霊山寺復元画「中世寺院城郭霊山城」が掲載されていました、ありがたく撮影。

 歴史的には南北朝時代南朝の大忠臣北畠顕家が義良親王を奉じて陸奥の国府を多賀城より移し国府を開き霊山寺院城郭化し南朝の陸奥の拠点とした、北畠顕家はじめ陸奥勢は義良親王を奉じて上洛を開始、10年余りで北朝との攻防の末落城、若き北畠顕家が偲ばれます。
 参考資料:グーグルマップ、伊達市観光ガイド道の駅で入手
 

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しんちゃん

城主細野氏は不甲斐ない主家に反抗し織田氏相手に意地を貫くが (2023/10/08 訪問)

安濃城は長野氏の分家である細野氏によって築かれ、長野氏が織田氏と和睦してからも
終始反抗的な態度を取り続け天正8年、織田信包の攻撃によって落城し、城主である
細野藤敦は専修寺に逃れ、後に蒲生氏郷に仕えたと伝わります。城域はかなり広く
丘陵上全体に築かれ、取土によって地形が変化してはいるものの、主郭と見られる阿由田
神社周辺に遺構が多く残っています。主郭は方形で周囲に土塁や堀を巡らし、南と東に
虎口が付いています。主郭の北側から東にかけ多くの郭が残り土塁や堀が南北に縦横して
主郭を守っています。それらの遺構は阿由田神社の東の虎口から続く軽自動車用の参道
ぞいに確認することが可能です。

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しんちゃん

伊勢湾を見渡せる眺望に優れた城。 (2023/10/08 訪問)

伊勢上野城は織田信長の弟、信包が長野氏の一族の分部光嘉に築かせたとされています。後に
津城が完成すると上野城は津城の出城となり光嘉が城代になったとされます。台地の最高所に
本丸が築かれ周囲に土塁が残り、櫓台らしき箇所は展望台が建っています。南東に二の丸が
配され、かつてはその先に幅20mほどの空堀があったようです。二の丸の下段にも郭が存在し
墓地になっている郭は周囲に土塁が残っています。展望台からは伊勢湾が見渡せ、かつては
櫓台から伊勢湾を望むことが出来たのかもしれません。

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朝田 辰兵衛

【再訪】観音寺城散策2/2(いざ城内へ) (2023/09/17 訪問)

繖山山頂から観音正寺への案内標識へと進みます。前回は立入禁止措置が取られており,城内へは入れませんでした…。
ここからは,個人的に新たな領域となります。迎えてくれるのは伝沢田丸。虎口と石垣は要チェックです。
すぐに,伝布施淡路丸⇔観音正寺・大石垣の分岐。やはり,大石垣散策は王道だろうと思い,右へ。その後,観音正寺⇔大石垣の分岐。これも右です。
しばらくして,伝本丸。裏虎口は見逃し注意です。
そして,伝平井丸,伝池田丸,女郎岩,大石垣と散策しましたが,残りの水分量が0.5Lを切りました…。復路のことを考えると,熱中症リスク大。残念ながら,ここで切り上げました。
伝布施淡路丸方向に大土塁があるのですが…宿題の残る攻城となりました。

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しんちゃん

宮山城 木造氏の城 三重県津市戸木町 (2023/10/08 訪問)

宮山城は式内社・敏太神社の背後にある丘陵上に築かれており、案内板も設置されて
います。最頂部に主郭が築かれ神社が鎮座しており、敏太神社から参道が続いており
ます。雨の日でも簡単に訪問することが出来、遺構も良く残ります。主郭の周囲を土塁
と空堀がめぐり、その外側にも堀と土塁が巡っており、内部に複数の郭を残します。
天文年間(1532~1554)に木造具政によって戸木城の支城として築かれたとされ、
天正12年、小牧長久手の戦の際、織田信雄に協力し蒲生氏郷に攻められ落城したと
現地案内板には書かれており、現在の縄張りは蒲生氏により戸木城攻めの支城として
改修を受けたものとされています。

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ゆいと

古代と中世の時代に別れた城山城 (2023/10/13 訪問)

駐車場あり トイレ駐車場にあり
城山城は標高458メートルの亀山にあります。城山城は古代と中世に築かれました。僕は馬立コースで登りました。石垣は山の所々にあります。中世時代の主な城主は赤松氏、山名氏、尼子氏です。山登りは上級者向けです。途中道幅の狭いところがあるのでロープをつかまないと落ちる可能性があります。ロープは木と木の間にくくってあります。近くに川が流れています。道には石が転がっています。城には亀の池という広いため池があります。くだるときもとても大変でした。山にはたくさんスズメバチがいます。

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朝田 辰兵衛

【再訪】観音寺城散策1/2(入山料無料ルートガイド) (2023/09/17 訪問)

安土城,観音寺城を攻城する際,入山料が気になる方へガイドを兼ねて紹介します。これは裏技でもなんでもなく,合法ですのでご安心ください。
JR安土駅から,徒歩約30分で滋賀県立安土城考古博物館へ。その敷地内の東側に遊歩道入口があります。そのワキに繖山のパネルがあり,遠くからでも目を引くのですぐにわかると思います。
送電鉄塔の巡視路を兼ねた遊歩道となっているようで,安土城⇔観音寺城の分岐点まではキッチリ整備されています。ここに建設されている関西電力の送電鉄塔は「東海幹線251」という名称でした。ここからは右折し,観音寺城へ。
この先,桑実寺の分岐が2度出てきますが,いずれも直進です。
山は秋らしい雰囲気が出ていましたが,実際の空気感は真夏。赤とんぼのつがいを見つけましたが,全く動きませんでした。画像はピンボケしちゃいました。スミマセン。
繖山山頂手前にビュースポットがあり,琵琶湖(西の湖)を眺望できます。焦らずに,ここでパシャリ📷
ここからすぐに繖山山頂。今回は,遊歩道入口より約60分。猛暑の中,前回より時間短縮しましたが,持参の水分量1.5Lに『少なかったかな…』と感じていました。

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しんちゃん

藤堂高虎の孫が築いた伊勢久居藩の陣屋 (2023/10/08 訪問)

久居陣屋は寛文10年から藤堂高通(藤堂高虎の孫で嫡男高次の次男)によって造築され
一年余の工期を以て完成したとされています。高通は5万石を分領され大名格ではあった
ものの城を築くことはゆるされず、陣屋として築かれました。大手は東に付き、陣屋の
大部分は久居中学校の敷地内です。かつて御殿のあった南西部は公園となっていて
立ち入りが可能です。南から西側にかけてフェンスが掛けられていて、一部ですが
フェンス越しに土塁を見ることが出来ます。西側に大きな空堀があるようですが藪が
通路を遮り確認は困難です。城下各地に武家屋敷の長屋門があると城郭体系には
記載がありますが確認できていません。

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にのまる

18きっぷ2回目。ワンコイン野菜サンドがボリュームがあっておいしかったです。 (2023/08/16 訪問)

東武宇都宮駅の方が近いのですが、18きっぷ利用なのでJR宇都宮から歩きました。
前回は雨の夕方の訪城で、復元土塁の上を歩いて櫓を覗き込んだだけで終わってしまっていたので一からやり直しです。

大通りから一本入ると真っ白な清明台が目に飛び込んできました。交差点の交通標識や信号機の密集する背後によみがえるいにしえの記憶。時代を超えて重なり合う姿に復元のありがたさを思いました。

土塁トンネルをくぐると手入れの行き届いた目に鮮やかな緑の芝生広場、本丸跡です。
土塁の上には天守代用だったのではないかといわれる清明台と、遠く富士山まで望めたという富士見櫓。共に1階だけですが入れました。風が吹き抜けて気持ちがよく、かつ眺めもいいです。開け放たれているので鳩なども入ってくるようですが。富士見櫓には模型もありました。

城址公園内には3つの施設があります。歴史展示室のある「清明館」と、復元土塁の中の「宇都宮城ものしり館」と「まちあるき情報館」です。現地ならではの豊富な資料とボランティアスタッフの方の解説に、ネット上の概説では理解が浅くなりがちな部分についても深く知ることができました。江戸時代の資料としては、別の日に行った飛山城で購入した企画展の解説書「徳川幕府の成立と宇都宮」(宇都宮市教育委員会発行)がわかりやすくまとまっていてよかったです。

宇都宮城周辺は現在も市の中心部で、西側の三の丸跡には高層の市役所があります。
これはもしかして城址公園を俯瞰できるのでは?と思い、行ってみました。フロア案内を見ると最上階の16階にレストランと展望室があります。
よっしゃー!とエレベーターで上がってみました。しかし、時刻がちょうど正午でレストランは職員さんでごった返しています。展望室もレストランの中のようで、市民でも市職員でもない者が入り込むのは迷惑になりそう。そこで「ものしり館」のボランティアさんに教えていただいた、北へ約1㎞の二荒山神社までお散歩してきました。

1時間後に戻ってくると職員さんのお昼時間も終わったようでレストランはガラ空き。ラスト1個のサンドイッチを注文して、誰もいない特等席を陣取りました。
見えました!すごいです。
現在、城址公園として整備され復元されているのは本丸の西辺のごく一部です。それだけでもよき眺めではありますが、先に見た城絵図やジオラマを思い出しつつ(スマホの写真も出しつつ)目を向けると、たちまち土塁に築地塀、水堀を巡らした広大な本丸が浮かび上がってきました。想像力で復元を完成させるのです。部分復元によってもたらされたサプライズ。仕掛けとしてはかなり壮大です。

コンクリート土塁ゆえに上にも登ることができ、エレベーターの設置も可能で、伝統工法による櫓の復元も実現。防災施設として領民を守る城の役割もばっちりな宇都宮城。独自のセンスとアイデアでまだまだ進化し続けるのではないでしょうか。これで終わり、ではないような気がします。

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カズサン

南朝大忠臣大波氏の城 (2023/09/18 訪問)

 宮沢遺跡と東北道沿い未踏の城探訪の2日目高子岡城を終えて国道115号線を相馬市方向へ走行し大波水戸内集落へ、国道沿いに上り下りからも良く分かる立看板、横看板が有る、集落の坂道を約200m程登ると案内看板、城名石碑が登城口に有り良く分かる、車は更に50m程進むとひまわり看板に駐車場案内あり。
 
 駐車場:砂利舗装で余裕のある駐車場が2段で配備されてる。
 参考資料:古城盛衰記さんグーグルマップに依ります。

 登城口に案内看板が有り、「南北朝時代吉野朝廷に仕え北畠顕家に従えた大忠臣大波氏代々の拠る処の城」と大きく目を引きました、整備された西からの道を登り主郭へ、西奥に櫓台上の土壇が有り自然石を研磨し「大波城阯」下段には碑文が戦前の陸軍中将の揮毫に依る石碑で非常に立派です。主郭内は公園化されて居り、忠魂碑も立っていました。
 近くに霊山城跡が在りますので繋がりも有ったのでしょうか?
 遺構は良く分かりませんが西側の多段曲輪?畑の跡か?、東法面に多段曲輪?の畑段は夏にひまわりが咲いてる畑の様で、集落の案内看板にはひまわりに写真が大きく目を引きます。
 帰りに立看板が「もうお帰りですか この城跡は春夏秋冬変色します またおいで下さい」大変目を引きました。
 夕立明けの探訪でした。

 大波城も近い時期に、とある煩悩の登城目録さんが登城、投稿されていますが探訪の流れなので投稿させて頂きます。
 
 

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しんちゃん

主郭はコンクリの蓋の上 (2023/10/08 訪問)

上津部田城はマックスバリュ津北店の南の道路ぞいにあります。かつては主郭の
周囲を土塁で囲っていたようですが、道路を通すため主郭の大部分が削られ、トンネル
を築くことで強引に主郭を再現しています。主郭と南西の郭の間には堀切がかかって
います。主郭は上から見るとコンクリのトンネルの上とは思えないですが南にわずかに
土塁が残っています。周辺にもいくつか扁平地があり県の施設もあります。

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WEST

名胡桃城訪問 (2023/10/03 訪問)

群馬県の名胡桃城を訪問しました。
自動車での訪問でしたが、関越自動車道の月夜野ICから約2kmのところにあります。駐車場も隣接しておりアクセスしやすいお城と思います。
名胡桃城址案内所にて前情報を得て、登城しました。城内はきちんと整備されており、馬出から三郭、二郭、本郭、ささ郭と大変まわり易かったです。
名胡桃城は、豊臣秀吉の小田原攻めに関わるお城ということで、再認識をしました。
所要時間は、城址案内所内の展示等を見るのを含めて1時間ほどでした。


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しんちゃん

本山専修寺 三重県津市一身田町 (2023/10/08 訪問)

専修寺は三重県津市にある真宗高田派の本山の寺院です。文明10年(1478)に皇室の
御祈願所となり栃木県真岡市の本寺をしのいで本山と呼ばれるようになりました。
親鸞に関わる貴重な書物や肖像などを数多く有し、如来堂と御影堂が国宝に指定され
山門や唐門が重要文化財に指定されています。このたびは調べが足りず太鼓門を
見損ねてしまいましたが長屋門のような建物の上に三重の櫓が乗っかっているような
デザインでなかなか面白い外観をしています。

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