わだやまじょう

和田山城

滋賀県東近江市


旧国名 : 近江

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①土塁
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)16日目:和田山城 (2024/10/07 訪問)

河曲バス停から徒歩10分弱で、和田神社鳥居横の空スペース(35.1728055、136.1903667)に着きました。

和田山城の築城年代は定かではないようですが、六角氏の居城・観音寺城の支城として、六角義弼によって築かれた城のようです(和田氏による築城説もあり)。
義弼は家臣の田中治部大輔を城主に任命しています。
1568年(永禄11年)の織田信長による近江侵攻の際には六角氏側の最前線の城となりましたが、箕作山城が落城すると城兵は戦わずに城を捨てて敗走しました。

和田神社にある城趾碑から登り、平坦になったところにあるピンクリボンを右に回れば城域に入ります。
資料では遺構は土塁、喰違虎口、櫓台とありましたが、写真を撮ると雑木林にしか見えません。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=目加田城を目指す為、河曲バス停から近江鉄道湖国バスで下八木口バス停に向かいました。

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しんちゃん

遺構は少しわかりにくいが一通り残っている。 (2023/12/02 訪問)

和田山城は標高180mの和田山の山頂に築かれ、比高は約80mです。築城は佐々木義弼によるもので守将は田中治部太夫とのことですが詳細は不明です。永禄11年(1568)織田信長の近江侵攻の際、箕作城が落城した時に和田山城の守備勢は戦わずして甲賀に敗走したそうです。麓の天満宮から和田山登山道が続いていて道標もしっかりしており、スイスイ上まで行けますが道は城址の南側を西に迂回していくので適当なところで城址にダイブしました。道なりに西北まで回り込んでいくと虎口から主郭に入り込んでいくことが出来るようです。
主郭内に空堀があり土橋がかかっています。東が高所になっており櫓台の可能性もあるようです。東側には扁平地が続きますが城址ではないようで、北側に浅いですが空堀が幾つか配されています。主郭の西側には謎の張り出しがあり、小型の馬出しのようになっているようでした。

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ぴーかる

和田山城 (2022/03/12 訪問)

【和田山城】
<駐車場他>駐車場はなし。<35.173427, 136.192667>ポイントの墓地辺りのスペースに駐車できる。
<交通手段>車

<見所>曲輪・土塁
<感想>和田山城は戦国時代に佐々木六角氏の家臣和田氏によって築城された。信長の六角氏攻めの際には信長は和田山城に抑えの兵を置き、箕作城に総攻撃をかけ陥落し、和田山城の兵は逃亡し陥落、その後廃城になったと思われます。
 和田神社の右手の横幅の広い木の階段を登ったところに城跡碑と社がありますのでそこから右手の山に入ります。比高も高くないので10分程度でたどり着きます。見れる遺構は少なく土塁囲みの主郭と西側に堀を挟んで小さい櫓台があります。櫓台西側は切岸、堀がありその西側は尾根上の少し広い削平地がありますが、山が崩れた箇所があり様子が変わってしまっている。遺構はかなり薄くなってしまっているように見えた。

<満足度>◆◆◇

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和田神社より (2020/02/15 訪問)

 主郭と横堀を隔てて馬出曲輪からなる城郭ですが、少し小さすぎるような気がします。あまり整備されていないため草木でわかりにくいのですが、櫓台、土塁、空堀などが確認できます。北面に竪堀があるとの情報でしたが、自然の地形のようにも見えてよくわかりませんでした。
和田神社から登って行くと、5分くらいで右手に青いリボンがあり入って行くと城跡があります。青いリボンより先にピンクリボンがあり、こちらからでも城跡に入れます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 和田(六角)高成
築城年 戦国時代
主な城主 和田氏、田中治部大輔(六角氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀、土橋
再建造物
住所 滋賀県東近江市五個荘和田町