河曲バス停から徒歩10分弱で、和田神社鳥居横の空スペース(35.1728055、136.1903667)に着きました。
和田山城の築城年代は定かではないようですが、六角氏の居城・観音寺城の支城として、六角義弼によって築かれた城のようです(和田氏による築城説もあり)。
義弼は家臣の田中治部大輔を城主に任命しています。
1568年(永禄11年)の織田信長による近江侵攻の際には六角氏側の最前線の城となりましたが、箕作山城が落城すると城兵は戦わずに城を捨てて敗走しました。
和田神社にある城趾碑から登り、平坦になったところにあるピンクリボンを右に回れば城域に入ります。
資料では遺構は土塁、喰違虎口、櫓台とありましたが、写真を撮ると雑木林にしか見えません。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=目加田城を目指す為、河曲バス停から近江鉄道湖国バスで下八木口バス停に向かいました。
+ 続きを読む