おおくちじょう

大口城

鹿児島県伊佐市

別名 : 牛山城、牟田口城、日限城
旧国名 : 薩摩

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くうくう

薩摩・大隅・日向、三国の交通の要衝を押さえた

保元3年(1158)太秦元衡によって築城された。時は移り、城主菱刈氏(北薩に勢力をはった国人)時代を経て、島津氏重臣新納忠元が入城、島津氏の外城として機能した。大口小学校が行政所としての御仮屋、その裏山が城。大手口から主郭へと道があり登れる。曲輪、土塁、切岸が見られる。まだ整備中なのか部分的な遺構で全体の縄張はよくわからない。素朴な簡素な丘城に感じた。

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todo94

小学校の後背 (2020/12/29 訪問)

伊佐市立大口小学校の後背に所在する城です。グランドの東側に登城口があります。年末休業中の学校で誰もおらず登城の許可を得ることはできませんでした。申し訳ないと思いつつ、可能な限り学校の外を回りグランド東辺に立ち入らせていただいて登城させていただきました。外から見ただけでは想像がつかない大規模な空堀が巡っていました。展望所が本丸のようで眺望が開けていました。

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カズサン

懐かしい大口市チョット寄りました (2020/11/23 訪問)

 肥後水俣城を終えて又国道268号線を九州道栗野ICへ戻り丁度中間地点の伊佐市大口に在る大口城へ、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第14城目、ナビは大口城登城口前の伊佐市市役所駐車場(伊佐市大口里1888)に合わせ走行、先ほど通った道なので伊佐市役所から大口小学校の校門へ車は校門前の空き駐車場に一時駐る。
 16時も過ぎて居り、旗日で休み小学校に声を掛けるのも憚られそうで校門前で標柱、大口城のある辺りの写真を取り退散、是非先達の方々の投稿をお願いいたします。

 歴史的には保元の乱の軍功で平氏の地頭が下向、戦国期は菱刈氏、相良氏、島津氏の抗争で島津氏支配地域、江戸期は大口麓にて小学校が御仮屋でこの地区の行政の中心地です、明治まで続く。
 出張ベースで旧栗野町の工場によく来てましたので大口麓は見学認識してましたが大口城域には残念ながら登城していません。

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昌官忠

九州遠征 (2019/10/12 訪問)

山之神水天神社鳥居中:水ノ手公民館(32.056674、130.618152)に駐車して攻城。
登城口を見つける為、付近を歩きましたが、駐車場所からすぐ近く(徒歩1分=80m)でした。後から攻城する方の為、GPS座標(32.0573629、130.6180611)を載せておきます。
主郭の秋葉神社まではさほど遠くありません。登城口の探索に時間を要した為、付近の「忠元神社」にはいけませんでした。攻城時間は30分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 平元衡
築城年 保元3年(1158)
主な城主 牛屎氏(平氏)、菱刈氏、新納忠元(島津氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物
住所 鹿児島県伊佐市大口里上ノ馬場
問い合わせ先 伊佐市教育委員会社会教育課
問い合わせ先電話番号 0995-23-1311